奇蹟がくれた数式

インド人の若き天才数学者の秘話を映画化
彼を導いたイギリス人数学者との絆と彼らの功績とは
ただの偉人伝ではない、見ごたえのある人間ドラマ

  • 2016/10/17
  • イベント
  • シネマ
奇蹟がくれた数式

“アインシュタイン並みの天才”と称えられるインド人の数学者、シュリーニヴァーサ・ラマヌジャンの実話をもとに映画化。出演は、『スラムドッグ$ミリオネア』のデヴ・パテル、現在公開中の映画『ある天文学者の恋文』でも教授を演じているジェレミー・アイアンズ、『裏切りのサーカス』の個性派俳優トビー・ジョーンほか。原作はアメリカのサイエンス・ライター、ロバート・カニーゲルによる評伝『The Man Who Knew Infinity: A Life of the Genius Ramanujan(邦題:無限の天才 ―夭逝の数学者・ラマヌジャン)』、監督・脚本は作家であり長編映画は2作目となるマシュー・ブラウンが手がける。20世紀初頭、インドがイギリスの植民地だった時代。英国のケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで教授を務めるゴッドフレイ・ハロルド・ハーディのもと、インドの見知らぬ人物から数学に関する貴重な発見を記した手紙が届く。差出人は事務員ラマヌジャン。学歴がなく身分の低い彼をハーディは英国の大学に招聘するが……。人種や国籍、文化や宗教、育った環境や受けた教育、あらゆることがまったく異なる2人が数学によって出会い、研究を通して対立と和解を繰り返しながらかけがえのない結びつきを得て、現代の研究にこそ役立つ重要な発見を成し得た経緯を描く。専門家以外にはあまり知られていない素晴らしい功績を成した数学者を、実話をもとにドラマとしてわかりやすく伝える良質な作品である。

1914年、イギリス。名門ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジのハーディ教授は、南インドから届いた1通の手紙に夢中になる。そこには著名な数学者である彼も驚くほどの数学の発見が記されていた。ハーディは差出人の事務員ラマヌジャンを大学に招聘。ラマヌジャンは敬虔なバラモン教徒として信仰にそぐわないこと、妻と母を自国に残して海外へ赴くことに胸を痛めながらも、数学の研究に本格的に取り組むことのできる喜びとともに渡英する。しかし、系統的な教育を修了しておらず数学のみを独学で学んでいたこと、貧しく身分が低いこと、人種も文化も異なることからカレッジでの生活や研究になじめず、教授たちからも拒絶されてしまう。ハーディは妻子がなく友人も少なく人づきあいが得意ではなく、ラマヌジャンが発見した公式が正しいものであると証明することを優先したため、ラマヌジャンはどんどん孤立し追い詰められてゆく。

ジェレミー・アイアンズ,デヴ・パテル©Richard Blanshard

ただの偉人伝ではなく、人間ドラマとして見ごたえのある本作。イギリスでもはえぬきのエリート組織に、いきなり植民地インドの学歴がなく身分の低い貧しい青年が入ってくれば、完全に異質で浮くのは当然で。それでいて数学に関してだけはカレッジ内の教授の授業でもノートを取らずとも難解な公式をすらすら解くほど抜きんででいれば、ラマヌジャンに悪気はまったくなくても人間関係がうまくいかなくなるのはよくわかる。頼みの綱のハーディも才気ある数学者であり人づきあいが得意ではないことから、周囲にとりなすより、とにかくラマヌジャンの発見を証明し発表さえできれば状況は良くなると共同研究にばかり注力することで、ラマヌジャンの孤独に気づかずにいる、という悪循環が窮まった時、彼らはどうなるのか。またバラモン教を敬虔に信仰し自国に残してきた妻や母を大切に思うラマヌジャンに対し、家族の結びつきや信仰からは遠いハーディ。あらゆる面で相容れない2人が数学という濃厚な接点だけで、まるで戦友のような結びつきを得てゆくところが繊細に描かれている。

数学に対して天才的なひらめきをもつラマヌジャン役はデヴ・パテルが信仰心の厚い純粋な青年として、無名だったラマヌジャンを見出し彼を熱心にサポートしたハーディ教授役は、ジェレミーが彼との出会いにより学者としてひとりの人間として幅と深みを得てゆくさまを、それぞれに好演。数学に対する情熱や実力を認め合いながらも人生観や性格は正反対の2人だからこそ、かみ合わずに対立しすれ違いながらも、互いの弱点を補い合い、高め合うことになり、結果的に大きな成果を得てゆくまでが丁寧に描かれている。そこには師弟、同僚、友人、父子、そして同志である、形容しがたい関係がある。
 2人の天才タイプの間を取り持つように心を砕く、ハーディの友人であり同じトリニティ・カレッジの優れた学者である気立てのいいリトルウッド役は、トビー・ジョーンズが面倒見のいい同僚として、インドでラマヌジャンの帰りを待つ妻ジャナキ役はデヴィカ・ビセが、サー・フランシス・スプリング役はケンブリッジ大学のクイーンズ・カレッジで英文学を学んだスティーヴン・フライが演じている。

ジェレミー・アイアンズ©Richard Blanshard

撮影はラマヌジャンの生まれ育った南インドと、イギリスのケンブリッジの両方にて。本作で初めて映画撮影が許可されたケンブリッジ大学トリニティ・カレッジの映像が壮観だ。ここはノーベル賞受賞者やイギリスの首相を何人も輩出している名門であり、アイザック・ニュートンが実際に重力を発見したリンゴの木や、彼の書物が展示されたレン図書館をはじめ、いくつもの伝説的なものや伝統ある建物が映画でも印象的に映されている。南インドではブラーミンの小さな村や、チェンナイ郊外の美しい寺院などで撮影。インド人スタッフのアドバイスを積極的に取り入れ、当時の文化や服装、伝統に基づいて撮影したとも。

原作者のカニーゲルはサイエンス・ライターとしてさまざまな媒体に執筆し、1989年に科学上の著作に贈られるグラディ・スタック賞を受賞した人物。1999年より7年間、マサチューセッツ工科大学の教授として、サイエンス・ライティングプログラムの大学院コースを立ち上げ、ディレクターを務めた。ブラウン監督は米国コネチカット州ハートフォードのトリニティ・カレッジ卒で、第一次大戦の時代を研究していたこともあり、この時代を鮮烈に生きたラマヌジャンを描く原作に強く魅かれたとのこと。そして1991年の出版から数年後にカニーゲルに連絡し、映画化を申し入れた。そして若い映画制作者をサポートしてきたプロデューサー、エドワード・R・プレスマンに企画を持ち込み認められ、製作を進めたそうだ。また本作の数学監修として、ラマヌジャン奨学生であり、ジョージア州アトランタのエモリー大学にて数学のエイサ・グリッグス・キャンドラー教授職であるケン・オノが参加。ラマヌジャンの発見について正確に伝えること、数学の複雑な理論を俳優たちが理解するためのサポートなどを担当した。オノ氏はラマヌジャンについて語る。「彼が私たちに残した遺産はすべて圧倒的なものだ。当時の人々は彼のアイデアはどこから来ているのか疑問に思っていたが、それは今も謎のままだ。重要なことは彼の発見に基づき、数学や科学においてほんの10年前には想像すらできなかった新しい応用が今でも生まれているということ。ラマヌジャンが生きていた時代には存在すらしていなかった分野で、重要な数式や公式をどのように思いついたのか。本当に驚くべき物語だ」

ジェレミー・アイアンズ,トビー・ジョーンズ©Richard Blanshard

「神を表現しない数式は無意味だ」とは、ラマヌジャンの言葉。バラモン教を信仰する彼は、数式は「女神ナマギーリが教えてくれる」と語る。瞑想により脳が活性化することは、現在は科学的にも裏付けがされ始めていて、そうしたことも無関係ではないのだろう。数学と信仰やスピリチュアルは一番遠いように思えるかもしれないが、真理に人が近づくことのできる手段としては近いものがあるかもしれないと、感覚的に理解できる。
 多くの人は自分の理解の範疇を超えるもの、規範にそぐわないものと出会うと、畏れ、迫害し、排除しようとする。それらは自分たちを攻撃し害や不利益をもたらすと思い込むからだ。そして数学は容易に理解されるものではない上に、さまざまな論理の根底をつなぐ真理に触れるもののため、人によっては尋常じゃなく恐ろしいものに感じるのかもしれない。しかし数学者でも天才的ともなれば、果てしない数学の深遠さに少しでも近づきたい、触れていたい、解き明かしたい、という純粋な探究心で、神を崇めるか女神に恋い焦がれるかといった風情でのめり込んでゆくなか、彼らの発見した定理や数式が結果的に社会のシステムに大きな変化を及ぼすことはあるにしても、人を個別にどうこうしようという考えはみじんももっていないことがほとんどなのではないだろうか。天命を全うするかのごとく鮮烈に生きた人物を知ると、いち凡人としてしみじみと謙虚な気持ちになる。
 数学を監修したケン・オノも語っている通り、なんといっても現代の最新研究にラマヌジャンの発見が役立っていることが非常に面白い。ざっくり言うと、ようやく時代が彼に追いついたようなものだろう。天才ラマヌジャンの数学者としての魅力を筆者が伝えようとしても、数学の神秘に憧れながらも大量の数字を見るとすぐ眠ってしまう筆者では語りきれないので、プレステキストに寄稿している広島大学大学院の理学研究科教授である木村俊一氏のエッセイより引用する。木村先生のエッセイは映画だと一度観ただけでは数学の素人には理解しきれないラマヌジャンの発見について、とてもわかりやすく噛み砕き、かつ興味深く解説している。映画のパンフレットにもあると思うので、読むと本作の面白さがさらに倍々で深まるだろう。そのエッセイはこんな風に締めくくられる。「ラマヌジャンが発見した擬テータ関数はブラックホールの研究に登場し、整数論的な起源を持つタウ関数についての予想は、ラマヌジャングラフとして回線の切断に強いインターネット網の研究につながる。深い水脈を通って、ラマヌジャンの研究は今ようやく理解され、役立ち始めているのである」

作品データ

奇蹟がくれた数式
公開 2016年10月22日より角川シネマ有楽町、Bunkamura ル・シネマほか全国ロードショー
制作年/制作国 2016年 イギリス
上映時間 1:48
配給 KADOKAWA
原題 THE MAN WHO KNEW INFINITY
監督・脚本 マシュー・ブラウン
原作 ロバート・カニーゲル
出演 デヴ・パテル
ジェレミー・アイアンズ
デヴィカ・ビセ
トビー・ジョーンズ
スティーヴン・フライ
:あつた美希
ライター:あつた美希/Miki Atsuta フリーライター、アロマコーディネーター、クレイセラピスト インストラクター/インタビュー記事、映画コメント、カルチャー全般のレビューなどを執筆。1996年から女性誌を中心に活動し、これまでに取材した人数は600人以上。近年は2015〜2018年に『25ans』にてカルチャーページを、2015〜2019年にフレグランスジャーナル社『アロマトピア』にて“シネマ・アロマ”を、2016〜2018年にプレジデント社『プレジデントウーマン』にてカルチャーページ「大人のスキマ時間」を連載。2018年よりハースト婦人画報社の季刊誌『リシェス』の“LIFESTYLE - NEWS”にてカルチャーを連載中。
XInstagram

記載内容は取材もしくは更新時の情報によるものです。商品の価格や取扱い・営業時間の変更等がございます。