eHills Club 試写会日記

毎週、映画ファンの皆さんへ熱いメッセージ! 傑作でもB級でも映画ってやっぱり素敵!!

ジュディ 虹の彼方に

47歳で他界した伝説的女優のラスト・ステージ
レネー・ゼルウィガーがスターの苦悩と輝きを熱演
名曲と共に描く、アカデミー賞主演女優賞受賞作品

ジュディ 虹の彼方に© PATHÉ PRODUCTIONS LIMITED AND BRITISH BROADCASTING CORPORATION 2019

1939年のミュージカル映画『オズの魔法使』に主演し、17歳でスターとなった伝説的な女優ジュディ・ガーランド。彼女が47歳で他界する半年前、ロンドン公演の日々を描いたピーター・キルターの戯曲をアレンジして映画化。出演は、本作で第92回アカデミー賞にて主演女優賞を受賞したレネー・ゼルウィガー、歴史ドラマ「TABOO」のジェシー・バックリー、『ヘラクレス』のルーファス・シーウェル、『ラ・ラ・ランド』のフィン・ウィットロック、『ハリー・ポッター』のマイケル・ガンボンほか。監督はイギリスで舞台の演出家として活躍し、2015年に『トゥルー・ストーリー』で長編映画デビューしたルパート・グールド、脚本はNetflixのオリジナル作品「恋愛後遺症」で脚本と製作総指揮を担当したトム・エッジが手がける。かつてはミュージカル映画の大スターとしてハリウッドで活躍したジュディは、薬物とアルコールの依存症で情緒不安定となり仕事が激減、住む家もなく借金が増大してゆく日々に。2人の子どもたちとの安定した家庭を実現すべく、ロンドン公演のオファーを受けるが……。劇中のコンサートシーンは、レネーが歌のレッスンを積み全曲を熱唱。ミュージカル女優として成功するも、10代から大量に投与された薬物による中毒と精神不安に苛まれ苦悩し、それでも人々に全身で愛を届けた天才的スターの晩年の姿を描く、実話ベースの人間ドラマである。

ジュディ 虹の彼方に

1968年の冬。映画出演のオファーも途絶えたジュディ・ガーランドは、幼い娘と息子を連れて巡業ステージでなんとか暮らしている。住む家もなく借金が増えていくなか、イギリスのクラブ「トーク・オブ・ザ・タウン」からショーの依頼が。2人の幼い子どもたちとの経済的に安定した家庭を目指すべく、元夫のシドに子どもたちを託して単身ロンドンへ渡る。イギリスではジュディの人気はまだまだ高いなか、彼女はプレッシャーから公演初日のステージをボイコットしそうになる。しかし世話係のロザリンが身支度を整えさせてステージに押し出すと、ジュディはベテランのスターとして歌とトークで観客を引きつける。そしてショーは連日大盛況、メディアの評判も上々に。疲労と孤独のなかジュディは常用している薬物に頼り、年下の青年ミッキーとの新しい恋に癒しを求め、テレビのインタビューでは母親失格と批判される。そして精神不安が悪化したジュディはステージでトラブルを起こしてしまい……。

2020年の第92回アカデミー賞にて主演女優賞、第77回ゴールデングローブ賞のドラマ部門にて主演女優賞を受賞したほか数々の賞を受賞している本作。原作は、2005年にオーストラリアで初演、ロンドンやブロードウェイ、東京などで世界的に上演されている、イギリスの劇作家ピーター・キルターによる舞台『End of the Rainbow』であり、内容をアレンジして映画化。企画のはじまりは、舞台を気に入ったプロデューサーのデヴィッド・リヴィングストーンが映画化権を取得し、脚本をトム・エッジに依頼。エッジはジュディを過去の犠牲者としないで、波乱の人生でもあきらめずに大勢の人たちに多くのひらめきを与えたことを称賛したい、と考えたという。最初はジュディを悲劇的な人物と捉えて気が進まなかった、というプロデューサーのキャメロン・マクラッケンは、この映画の魅力について語る。「完成した脚本を読んで考えが変わったんだ。ジュディの悲劇を避けることなく、彼女の天賦の才と不屈の精神を称え、インスピレーションの源として描いていた。結末も幸せな気分にしてくれる」

レネー・ゼルウィガー,ほか

複雑な状況を抱えるジュディ役は、レネーが渾身の役作りで熱演。ガリガリに痩せ細って背骨が曲がり、実年齢よりも倍くらいに老いて見える風貌でも、ステージでは歌い踊り強いエネルギーを明るく放つ、伝説的なスターの姿を生々しく表現している。もともとはグラマーでふっくらとした体形のレネーとは思えないほど、しおれた枯れ木のように触れたら折れそうな姿が痛々しい。老けるメイクや演技を嫌って避ける女優は多いが、劇中のレネーはたまにゾッとするような生気のなさ、当時のジュディ本人を思わせる悲哀と苦悩を全身で表現している。グールド監督はレネーの演技をこのように称賛している。「彼女の演技で僕が一番好きなのは、肩の置き方だ。ジュディは背骨が湾曲していたから、晩年は年齢より上に、また弱々しく見えた。それを表現したレネーを初めて見た時、これこそプロの俳優だと感心した」
 もともとジュディの大ファンだったというレネーは、歌のレッスンを積み、吹き替えナシで劇中の全曲を歌唱。まずはリハーサルの1年前からアメリカで歌のコーチとトレーニングしたのちに、音楽監督のマット・ダンクリーと4か月のリハーサルを行ったとのこと。ジュディ本人の声と言葉の発音、“小刻みに震えるような”独特の仕草まで身につけたとも。レネーはジュディの歌や話し方やストーリーなど「彼女のすべてを学んだ」と話し、本作への強い思い入れについてこのように語っている。「このチャンスを絶対に逃したくないと思った。芸術に関わる者として、予測できない領域への挑戦ほどワクワクすることはないわ」
 ロンドン公演でジュディの世話係となるロザリン役はジェシー・バックリーが、ロンドン公演でピアノを担当するバート役はロイス・ピアソンが、ジュディの新しい恋人ミッキー役はフィン・ウィットロックが、ジュディの元夫で2人の子どもたちの父親であるシド役はルーファス・シーウェルが、10代の頃のジュディ役はダーシー・ショーが、ロンドンのクラブ「トーク・オブ・ザ・タウン」のオーナーで公演の興行主であるバーナード・デルフォント役はマイケル・ガンボンが、それぞれに演じている。
 ロンドン公演でジュディの世話係だったロザリン・ワイルダーは存命で、本作の製作に協力。当時のジュディやロンドン公演についてさまざまな情報を提供し、製作スタッフは大いに参考にしたとのこと。彼女は撮影現場でもロザリン役のジェシーと対話し、役作りのサポートなどもしたそうだ。

47歳で他界したジュディ・ガーランドの人生は、とても波乱に満ちたものだった。2歳半から舞台に立っていたジュディは、7歳くらいの頃に姉2人とともに3人でデビュー。13歳の時に歌唱力を認められて映画会社MGMと契約。1939年の映画『オズの魔法使』で主人公のドロシーを演じて「Over The Rainbow(邦題:虹の彼方に)」を歌い、17歳で一躍スターとなる。太りやすい体質だったために10代の頃から当時はダイエット薬とされていた覚醒剤アンフェタミンを常用していたと言われ、『オズの魔法使』の撮影時にはハードな撮影をこなすために興奮剤と睡眠薬と減量剤が交互に投与されていたとも。ミュージカル女優として、当時の人気俳優ミッキー・ルーニーと共演した映画『Babes in Arms(邦題:青春一座)』(39年)や『Meet Me in St. Louis(邦題:若草の頃)』(44年)や『ハーヴェイ・ガールズ』(46年)、フレッド・アステアとの共演作『イースター・パレード』(48年)などに出演。しかし薬物中毒による情緒不安で遅刻や撮影のボイコットが続いて信頼を失い、1950年の映画『サマー・ストック』を最後にMGMから解雇される。その後、コンサートで成功したジュディは1954年に映画『スタア誕生』で映画女優として復帰。アカデミー賞主演女優賞の最有力といわれながらも受賞できず、ジュディの映画界への復活を快く思わない関係者が裏工作をしたと言われた。その後、再びコンサート活動で人気を得るも、公私の紆余曲折のなか薬物依存が悪化し、コンサートでもパフォーマンス内容が極端に不安定に。困窮してゆくなかで1968年に、この映画で描かれているロンドン公演の依頼を受けたそうだ。そして翌年1969年6月22日にロンドンにて睡眠薬の過剰摂取で他界。女優で歌手のライザ・ミネリを含めて3人の子どもを生み、生涯に5回結婚をした。
 この映画ではジュディが、子どもの頃から長い間ショービズ界で根深く植え付けられたさまざまな強迫観念、成功と転落を繰り返してどんどん重くなる失敗へのプレッシャーにさらされ、苦しみ葛藤しながらも、それでも表現を通じて観客と言語外のコミュニケーションができるベテランの一流スターだったということが、とてもよく伝わってくる。また天性の際立った才能と個性、センシティブで極端な性質をもつジュディがLGBTQの人々に愛され、ジュディも彼らを尊重していたことについても、劇中で描かれている。また同性愛解放運動の象徴である“レインボー・フラッグ”は、彼女が歌った曲「虹の彼方に」に由来すると言われている。

レネー・ゼルウィガー,ジェシー・バックリー,ほか

「I can live without money, but I cannot live without love.(お金が無くても生きていくことはできる。だけど私は愛なしでは生きられない。)」
 ジュディのよく知られている言葉の通り、劇中のコンサートシーンではラブソングが印象的だ。唯一のパートナーとの出会いを歌う「For Once in My Life」、どんな時も愛し続けると熱く歌い上げる「Come Rain Or Come Shine」など。そして名曲中の名曲「Over The Rainbow(虹の彼方に)」を歌うクライマックスのシーンのエピソードについて、脚本家のエッジは語る。「あれは、(トーク・オブ・ザ・タウンで起きたものではないが)実際にあった出来事だ。その時、それまで観客に多くのものを与えてきたジュディが、観客からお返しをもらったと感じたんだ」
 この特別なシーンの撮影について、グールド監督は語る。「実は観客として集めたのは300人余りのアーティストたちなんだ。彼らの前で歌うことは、レネーにとってかなり怖いことだったと思うよ。でも、彼らが本当に涙を流しているのが見えた。3度目か4度目のテイクなのにね」

第92回アカデミー賞にて主演女優賞を受賞したレネーは、2004年の第76回アカデミー賞にて『コールド マウンテン』でアカデミー賞の助演女優賞を受賞したこととあわせて、アカデミー賞で主演・助演2つの女優賞を受賞した史上7人目となった。レネーは2010年の映画『ケース39』に出演後、約6年間活動を休止し、2016年の『ブリジット・ジョーンズの日記 ダメな私の最後のモテ期』で活動を再開、そして本作での受賞となった。レネーには、演技も歌も優れている女優として2002年の『シカゴ』のような代表作もあるのに、“ブリジット・ジョーンズ”シリーズがわかりやすいヒット作となり、演技派であることよりもコメディエンヌやキャラクターぶりのイメージが強くなっていたことに、悩ましくもどかしいところもあったことだろう。そうした時期を経てのレネーのドラマティックな成功は、撮影時に彼女がジュディの晩年と近い年齢だったこともあり、ジュディ本人の波乱の人生と重なる部分もある。またレネーはアメリカ・テキサス州生まれのアメリカ人であるものの、ドイツ系スイス人の父親と北欧の先住民族であるサーミ人の血を引くノルウェー人の母親が移民であることから、今のアメリカに対して自分なりの思いがあるようで、2020年2月9日(現地時間)に行われた第92回アカデミー賞の授賞式にて、このようにスピーチした。「全キャストスタッフでジュディ・ガーランドの人生を描くために必死に取り組みました。また25年間の芸能生活を支えてくれたみなさんありがとう。移民の仲間たち、何もないなかでやってきました。アメリカン・ドリームを信じて、そして今、なんでもできると信じられるようになりました。この1年間ジュディに関してたくさん話す機会がありました。私たちはヒーローがいれば団結できるのです。ジュディ・ガーランドは私のヒーローです。あなたに捧げたいと思います。感謝します!」

2020年2月26日更新

作品データ

公開 2020年3月6日よりTOHOシネマズ日比谷ほかにて全国ロードショー
制作年/制作国 2019年 イギリス
上映時間 1:58
配給 ギャガ
原題 JUDY
監督 ルパート・グールド
脚本 トム・エッジ
原作 ピーター・キルター
出演 レネー・ゼルウィガー
フィン・ウィットロック
ルーファス・シーウェル
ジェシー・バックリー
ロイス・ピアソン
ダーシー・ショー
マイケル・ガンボン
ライター:あつた美希 CSホロス株式会社代表取締役。フリーライター、アロマコーディネーター、クレイセラピスト インストラクター/インタビュー記事、映画コメント、カルチャー全般のレビューなどを執筆。これまでに取材した人数は600人以上、2015〜2018年に『25ans』にてカルチャーページを、2015〜2019年にフレグランスジャーナル社『アロマトピア』でコラム“シネマ・アロマ”を担当。2018年よりハースト婦人画報社の季刊誌『リシェス』の“LIFESTYLE - NEWS”にてカルチャーを連載中。