鳩森八幡神社

東京体育館から明治神宮方面に向かうと現れる鳩森八幡神社は、1000年以上前からこの地を見守り、江戸時代には富士塚で賑わった歴史を持つ。
境内に茂る大イチョウが気持ちの良い木陰を作り、能舞台では毎年薪能が催される。
休息や散策に訪れる人も多い気軽さが魅力の社だ。

  • 2015/06/16
  • カルチャー
  • 緑の散策路

千駄ヶ谷駅から南に歩いて約5分。鳥居越しに見える神木の大イチョウが歴史を感じさせる。石畳を進むと、左手に赤い鳥居が並ぶ甲賀稲荷社、右手には日本将棋連盟と共同で建立した将棋堂が見え、社殿の隣にある広場へとつながっている。木陰は涼しく、ちょっとした森林浴のようだ。

“大昔、青空から白雲が降りてきたのを不思議に思った村人が林に入ると、突然多くの白鳩が西に向かって飛び去った”という霊瑞により鳩森(ハトノモリ)という名の祠が営まれたのが最初と言われている。860年、ご神体を求める村民のために慈覚大師が、応神天皇・神功皇后の像を作って奉り、正八幡宮となった。
同社の最大の見どころは、境内の一角にそびえる千駄ヶ谷の富士塚。江戸時代に富士山を信仰した人々がより身近に参詣できるようミニ富士として築いたもので、都内最古。山裾には浅間社、7合目には富士山で断食を行った食行身禄の像や烏帽子岩、頂上には溶岩で覆われた奥宮など、富士山にあるものを忠実に再現している。浅間社までの石段は歩きやすいが、中腹からクマザサが茂る山道のようになっていて、登山っぽく面白い。

境内には梅、チューリップ、ツツジ、菖蒲などの花が各所に植えられ、末社の神明社の裏手には竹林も。季節を感じながら散策する近隣住民や、ベンチで一休みするワーカーの姿も多い地域に溶け込んだ神社だ。

  1. 境内の中ほどにある富士塚。1789(寛政元)年に築かれたもので、奥に里宮(浅間社)が見える
    境内の中ほどにある富士塚。1789(寛政元)年に築かれたもので、奥に里宮(浅間社)が見える
  2. 富士塚の頂上からは社殿、能楽殿、将棋堂などが見渡せ、気分も爽快
    富士塚の頂上からは社殿、能楽殿、将棋堂などが見渡せ、気分も爽快
  3. 富士塚の頂上には、富士山の溶岩で囲まれた奥宮がある
    富士塚の頂上には、富士山の溶岩で囲まれた奥宮がある
  4. 頂上から裏側は溶岩でごつごつした雰囲気。甲賀稲荷社の隣に降りられる
    頂上から裏側は溶岩でごつごつした雰囲気。甲賀稲荷社の隣に降りられる
  5. 応神天皇、神功皇后を御祭神とする総ケヤキ造りの社殿
    応神天皇、神功皇后を御祭神とする総ケヤキ造りの社殿
  6. 富士塚の隣にある能楽殿。毎年5月には薪能が行われる
    富士塚の隣にある能楽殿。毎年5月には薪能が行われる
  7. 神社と日本将棋連盟が共同で建立した将棋堂。棋力向上の絵馬を奉納できる
    神社と日本将棋連盟が共同で建立した将棋堂。棋力向上の絵馬を奉納できる
  8. 樹齢400年を超えると言い伝えられている大いちょうが作る木陰が気持ち良い
    樹齢400年を超えると言い伝えられている大いちょうが作る木陰が気持ち良い
  9. 境内には随所にベンチがあり、一服、休息、ランチなど憩いの場に
    境内には随所にベンチがあり、一服、休息、ランチなど憩いの場に
  10. 境内の奥には滑り台やブランコのある公園も
    境内の奥には滑り台やブランコのある公園も
神社の歴史
860(貞観2)年
慈覚大師(円仁)がご神体を求める村民の要望に応え、応神天皇・神功皇后の像を奉る
1845(弘化2)年
ケヤキ造りの社殿を上棟
1885(明治18)年
青山練兵場設置に伴い、甲賀稲荷社を境内に遷座、合祀
1908(明治41)年
権田原にあった神明社が八幡神社の末社になり、境内に遷座
1945(昭和20)年
戦火で社殿、稲荷社などを焼失
1985(昭和60)年
富士塚の山裾にある富士浅間神社の社殿を建て替え
1993(平成5)年
上棟当時の社殿の復元工事を行い、6月に竣工

基本情報

名称 鳩森八幡神社
所在地 渋谷区千駄ケ谷1-1-24
問合せ 03-3401-1284(社務所)
社務所窓口 9:00〜17:00
アクセス R総武線「千駄ヶ谷駅」徒歩5分
大江戸線「国立競技場駅」徒歩5分
副都心線「北参道駅」徒歩5分
公式サイト https://www.hatonomori-shrine.or.jp/

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