© THE PETER MOORES FOUNDATION-2006

初演は1791年のウィーン郊外。モーツァルトの35年の生涯で最後に制作されたオペラにして、天から祝福されたその類稀なる才能をあますことなく注ぎ込んだ集大成『魔笛』。その映画化の監督・脚本という大役を果たしたのは、これまでに数々のシェイクスピア劇の映画化を成功させ、シリアスからコミカルまで俳優としての懐も深いケネス・ブラナー。キャストには当代きってのバス歌手であるドイツ出身のルネ・パーペをはじめ本物の歌手を起用。軸となるテーマを明確に捉えつつ、現代人にわかりやすく映画として映えるようにアレンジ。モーツァルトの名曲が全編を彩るオペラ映画であり、スペクタクルな活劇であり、愛に帰結する、壮大な物語である。

第一次世界大戦下。美しい野原を裂いて作られた塹壕の近くで毒ガスによって命を落としかけた兵士タミーノは、夜の女王の侍女たちに助けられる。暗黒卿ザラストロに誘拐された娘パミーナを救出してほしい、と女王から懇願されたタミーノは、陽気な兵士パパゲーノとともに出発。ザラストロの城内でパミーナと対面したタミーノは、その場で恋に落ちる。

王子タミーノが神殿で大蛇に襲われる場面から始まる寓話的な設定のオペラから、映画では20世紀初頭の戦渦のヨーロッパへと舞台を変更。原作にある光と闇、愛と憎しみという両極の対立に加え、戦争と平和という今に投げかけるテーマを打ち出している。

序曲からフィナーレまで『魔笛』の22曲すべてを新たに収録した本作の音楽監督と指揮は、全米でトップクラスの人気を誇る指揮者ジェイムズ・コンロンが担当。舞台でもザラストロが当たり役として高く評価されているルネ・パーペは、深い歌声と気品ある存在感でその魅力を十二分に発揮している。特にインパクトがあるのは、単独で歌われることも多い有名なアリア「怖がらないで、親愛なる若者よ」。夜の女王に扮するロシア出身のソプラノ歌手リューボフ・ペトロヴァが、リズミカルに生き生きとコロラトゥーラ(技巧的で華のある旋律)を披露。超高音でありながら耳を刺すような棘はなく、躍動感と安定感、ある種の貫禄を感じさせる迫力が好い。

ウィーンの民謡調、イタリアのオペラ・セリア(正歌劇)、北ドイツの教会音楽風など当時のさまざまな音楽を鮮やかに活かしていることからモーツァルトの最高傑作と賞され、現代では高次に置かれている『魔笛』。初演時にはシングシュピール(歌芝居)という現代のミュージカルの始まりとも言われる様式で、一般聴衆に向けた娯楽としてわかりやすく作られたとのこと。ブラナーは笑顔で語る。「私のように、オペラに抵抗感を持っている人にこそ、あえてリスクを冒して見て欲しい」。

近年、もともと有名だった天才伝説に加え、実は相当やんちゃだった言動や暮らしぶりが、直筆の手紙やマイナーな作品タイトルなどから次々と明らかにされているモーツァルト。生誕250年である2006年に製作された本作にも通じる、関連のCDや映像や書籍が巷にあふれている今。映画を機にモーツァルトに興味をもったのなら、有名なアリアや名曲集、良し悪しを含めて人となりがよく描かれた伝記本、そしてオペラの舞台映像などを辿ってみるのも面白いだろう。