ジゴロ・イン・ニューヨーク

個性派俳優ジョン・タトゥーロが監督・脚本・主演、
ウディ・アレンが自作以外で14年ぶりに俳優として出演。
NYを舞台に、コミカルに味わい深く、大人の恋愛事情を描く

  • 2014/07/14
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個性派俳優のジョン・タトゥーロが監督・脚本・主演、かのウディ・アレンが自身の監督作品以外で、2000年の映画『ヴァージン・ハンド』以来14年ぶりに俳優として出演する、恋あり笑いありの良質なドラマ。共演は、映画『氷の微笑』『カジノ』などのシャロン・ストーン、1999年の映画『橋の上の娘』で知られるヴァネッサ・パラディ、舞台や映画などで活躍する演技派リーヴ・シュレイバーほか。もと本屋の店主と花屋のバイト、いい歳をした冴えない男2人が、ポン引き&ジゴロとして“男娼ビジネス”を始め……。ニューヨークを舞台に、女たちの欲望や寂しさ、男たちの思惑や目的、男女間のリアルなやりとりと心情、そして厳格な宗教の慣習をデフォルメして織り交ぜながら、大人の恋愛事情を描く。コミカルで味わい深く、どこかやさしい、タトゥーロ×アレンの恋愛ストーリーである。

ニューヨークのブルックリンで祖父が始め、父が継いだ本屋を、自分の代で廃業することになったマレー。友人のフィオラヴァンテに本屋の片づけを手伝ってもらいながら、マレーはふと非常識な話を彼に持ちかける。大人の女性たちを相手に、男娼をしないかというのだ。フィオラヴァンテは何を言い出すのかとすぐに拒否するも、定職に就かず、家賃が払えず、数日前から花屋のバイトをしている状況で、マレーにおだてられるうちに、女医パーカーを相手に男娼デビュー。1000ドルの報酬+500ドルのチップに味をしめたマレーは、ポン引きとしてせっせとセールスを開始。男娼とポン引きのコンビ“ヴァージル&ボンゴ”として、順調に顧客を獲得してゆく。マレーは熱心な営業を続けるうちに、厳格な宗派であるラビ・ユダヤ教を信仰する未亡人アヴィガルにも声をかけ……。

ソフィア・ベルガラ、ジョン・タトゥーロ

楽しいだけじゃない、悲しいだけじゃない。酸いも甘いも噛み分ける大人たちの事情と恋愛について、コミカルかつあたたかく描く。アレンの全面バックアップ、タトゥーロによる監督・脚本・主演である本作は、アレン作品にあるピリリとした辛辣さよりも、心の痛みを保護・ケアするような人肌のぬくもりを感じさせる仕上がりだ。この風合いは、タトゥーロの人柄であり、表現者として彼自身がもつテーマなのかもしれない。

花屋のバイト、フィオラヴァンテことジゴロのヴァージル役は、タトゥーロが気の優しい男として。決してイケメンではないと自他ともに認める男でありながら、ジゴロとして女性たちを虜にしてゆくヴァージルの魅力について、タトゥーロは語る。「セックス好きの男が、必ずしも女性を好きだとは限らない。フィオラヴァンテは話の聞き役になることをいとわず、彼女たちを人間として扱い、とても敏感で優しいんだ」。もと本屋のマレーことポン引きのボンゴ役は、アレンが軽妙に。やり手でちゃっかり、不器用で誠実なフィオラヴァンテを利用しつつも彼を友人として大切に思っている、という感覚を絶妙に表現している。ジゴロとして最初のお相手、女医パーカー役はストーンが裕福で孤独なマダムとして、パーカーのレスビアンのパートナーであるセリマ役はソフィア・ベルガラがヒスパニック系のセクシー・ビューティとして華やかに、ラビ・ユダヤ教の信者でアヴィガルの幼馴染、地域の自警団の一員であるドヴィ役はシュレイバーが頑固で純情な男として演じている。そして未亡人アヴィガル役はパラディが、寂しさの深淵を清楚に表現。もともとフランスでアイドル歌手として活躍し女優となったパラディは、英語を話す役としては本作がデビューとのこと。’12年にジョニー・デップと破局したパラディは、結婚こそしていなかったものの、14年間パートナーとしてデップと過ごし、2人の子どもをもうけたことは周知のとおり。カリスマ性のあるデップとの幸せな14年間と離別して2年という彼女の実生活は、厳格な宗教を信仰する夫と死別した未亡人、という役柄と重なるものを感じる。タトゥーロは語る。「これは素晴らしい役だよ。彼女にとってはそれ以上のものがあったと思っている。この役柄は彼女と深く融合していたね。彼女はいわゆる自分の一部分を差し出すような演技を見せてくれた。僕にも時々そういうことが起こるけれど、自分の私生活で起きている事柄だったり、年齢だったり、その他色々なことが役柄と共鳴することがある。そして現実と演技を引き離すことができなくなってしまうんだ。俳優と役柄が互いに共鳴した時は、頭で考える事なしに突き進めるんじゃないかな」

ウディ・アレン

そもそもの本作の始まりは、タトゥーロが友人とのランチの席で、即興で思いついたストーリーをおもしろおかしく話したことなのだそう。ランチ後に、その話を友人数名に話してみたら、友人のうちの1人がアレンに伝え、その内容をいたく気に入ったアレンからタトゥーロに連絡が。そこでタトゥーロがアレンに会いに行って内容の説明をすると、アレンは具体的なアドバイスをし始めたそうだ。アレンはそのときのことをこんな風に語っている。「ジョンは変わっていてね。面白いアイデアを思いついたな、と思ったんだ。愉快な登場人物がいて、ロマンスがあり、そして現実味のある人間くさい部分もあった」。ここからこの作品の製作がスタートし、タトゥーロが脚本を書き、アレンがアドバイスをする、という連携で進められたそうだ。タトゥーロはアレンへの感謝と本作への思いを語る。「彼は快く時間を割いてくれたんだ。時には厳しい意見もあったけど、ウディ・アレンのような人が時間を割いてくれるんだから、これには何か特別なものがあるに違いないと思えた。ウディは彼なりの方法で、僕がこの話を掘り下げていけるよう、励ましてくれたんだと思う。そして結果として、僕はこの映画で僕らしさを発揮できた。ふざけたコメディー以上の、もっとずっと絶妙な映画が誕生したんだよ!」

ジョン・タトゥーロ、ヴァネッサ・パラディ

設定は特殊な変化球で、わかりやすい派手さはないものの、大人であるからこその悲喜こもごも、その生身の感覚が共感を誘う本作。万事うまくはいかなくとも、観終わった後には自然と機嫌よく、前向きなあたたかい気持ちがじわっと広がる感覚が面白い。今回の役と台詞についてパラディが語ったコメントが、まるで自分自身を含む大勢の人たちを鼓舞するかのようなポジティブな内容なので、ここにご紹介する。「アヴィガルの台詞で『私たちが生きているのはほんの少しの間だけ』というのがあるけれど、それは、“人生は、生きているうちに生きろ”という意味なの。そこに美がある時に、チャンスが目の前を通り過ぎる時に、見ていないで掴み取れ! ってね。どんな人でも少しくらいの幸福をつかむ権利があるはずだわ、たとえたくさんでなくてもね」

作品データ

ジゴロ・イン・ニューヨーク
公開 2014年7月11日公開
シネマズ シャンテほかにて全国順次ロードショー
制作年/制作国 2013年 アメリカ
上映時間 1:30
配給 ギャガ
原題 Fading Gigolo
監督・脚本 ジョン・タトゥーロ
出演 ジョン・タトゥーロ
ウディ・アレン
ヴァネッサ・パラディ
シャロン・ストーン
ソフィア・ベルガラ
リーヴ・シュレイバー
:あつた美希
ライター:あつた美希/Miki Atsuta フリーライター、アロマコーディネーター、クレイセラピスト インストラクター/インタビュー記事、映画コメント、カルチャー全般のレビューなどを執筆。1996年から女性誌を中心に活動し、これまでに取材した人数は600人以上。近年は2015〜2018年に『25ans』にてカルチャーページを、2015〜2019年にフレグランスジャーナル社『アロマトピア』にて“シネマ・アロマ”を、2016〜2018年にプレジデント社『プレジデントウーマン』にてカルチャーページ「大人のスキマ時間」を連載。2018年よりハースト婦人画報社の季刊誌『リシェス』の“LIFESTYLE - NEWS”にてカルチャーを連載中。
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