セッション

28歳の新人監督が長編2作目でオスカーを獲得!
ドラマー志望の青年V.S.手段を選ばない鬼教師
血と汗と涙が飛び散る極限のセッションの行き着く先は!?

  • 2015/03/13
  • イベント
  • シネマ
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28歳の新人監督の作品が、2014年の第30回サンダンス映画祭にてグランプリと観客賞をW受賞、2015年の第87回アカデミー賞にて助演男優賞を獲得し、注目を集めている話題作。
 出演は2010年の映画『ラビット・ホール』でデビューした若手俳優マイルズ・テラー、本作でオスカー俳優となったJ・K・シモンズ、TVシリーズ『glee/グリー』のメリッサ・ブノワほか。監督は本作の脚本・監督を手がけ、実力を広く知らしめたデイミアン・チャゼル、製作総指揮はチャゼルの才能を見出した映画『JUNO/ジュノ』のジェイソン・ライトマン。
 一流のドラマーを目指して名門音楽大学に入学した青年ニーマンは、鬼教師フレッチャーに目をかけられ……。音楽映画といってもミュージシャンの挫折と成功といった定型の内容ではなく、「これが楽器演奏の練習と指導?」というような常軌を逸した場面が満載のストーリー。蹂躙された音楽家のプライドと男の意地と、血と汗と涙の飛び散る真剣勝負の行方やいかに。

全米屈指の名門校シェイファー音楽院に入学した19歳のニーマンは、偉大なドラマーに憧れ、日々休むことなく練習している。ある日、校内で伝説的な鬼教師フレッチャー教授から命じられ、教授が選んだ生徒たちを自ら指揮する “スタジオ・バンド”に移籍。ここに入れたら成功の確約を得たも同然、とニーマンは浮かれるものの、1秒のズレも許さないフレッチャーの指導は想像を絶するものだった。
 「ユダヤのクズ!」「アッパー・ウェストのゲイ!」「アイルランドのイモ野郎!」と個別にさげすみ罵倒し、人格を踏み躙り、モノや楽器を投げつけ、休む間も水も与えず、意識が朦朧とするまで数時間に渡り演奏させ、納得のいく出来に達しないなら一晩中でも演奏をさせ続ける。レッスンというよりしごきのような猛特訓が展開する本作。個人的には、モラハラやパワハラという言葉が存在しなかった時代にあった、昔ながらの超体育会系のスポーツ根性モノのようだ、とも。

マイルズ・テラー

この映画の製作にあたり監督は、「戦争映画やギャング映画のような音楽映画を作りたい。楽器や台詞が武器になり、リハーサル室やステージが戦場に変わるんだ。完璧な映画にしてみせる」と語ったとのこと。製作総指揮のライトマンは本作について、「例えるならばこの映画は音楽院を舞台にした『フルメタル・ジャケット』だ」とコメントしている。
 そもそもこの内容は、チャゼル監督が自らの高校時代の経験をもとに脚本を執筆したとのこと。監督は高校時代、ニュージャージー州のプリンストン高校のバンドでジャズドラマーとして活躍していた時に、バンドの指揮を務める厳しい指導者から「早い、遅い、速度が違う!」と常に怒鳴られ続けていたのだそう。この指導者は、アメリカの音楽雑誌『ダウン・ビート』から、公立校の未熟なジャズバンドを全米一のジャズバンドに変えた、と評されるほどの人物であり、地元の英雄として知られた人物だったとのこと。彼の率いたそのジャズバンドは大統領就任式で2度、ニューヨークのJVCジャズフェスティバルの開幕式でも演奏したという。
 チャゼルはその後、ハーバード大学で映画を専攻し今に至るものの、音楽室での出来事がトラウマになっていて、高校卒業から10年経った今でも悪夢にうなされるそうだ。チャゼルは自身のトラウマを映画にすると決意したことについて、このように語っている。
 「あの頃何よりも重要だったのは、教師との関係だった。あまりにも緊張に満ちたものだったから、それを映画で掘り下げたいと熱望した。生徒をより高い領域へと追い込むのが教師の務めなら、どこまでやれば十分なのか? 誰かを偉大にするにはどうすればいいのか? といった、音楽を別の角度から捉えた映画を作りたいと思った。これは、音楽の苦悩と恐怖を描いた映画だ」

ニーマン役はテラーが演奏者としても男としても未熟で不安定な感覚を自然体で表現。テラーはドラムの演奏経験がほんの少ししあるのみだったため、彼の自宅の地下にヤマハのドラムセットを運び入れて監督自らドラムの個人レッスンをし、短期間であれだけ叩けるようになったそうだ。鬼教師フレッチャー役はシモンズが迫力のスキンヘッドで激しく。どこまでも妥協せず一部の隙もなく畳み掛けて極限まで追い込んでいく、本年度のオスカーを獲得したその演技には鬼気迫るものがあり、観ていて息をのむほどだ。ニーマンのガールフレンド、ニコル役はブノワがかわいらしく、ニーマンの父ジム役はポール・ライザーが不器用で真面目な気性として演じている。
 劇中に登場する音楽学校での授業の内容や演奏については、アメリカのジャズ関係者からいろいろ指摘があるとのこと。実際の経験をベースにしているとはいえ、そもそもフィクションなので、そこはそれとして受け止めておくといいだろう。

監督・脚本を手がけたデイミアン・チャゼルは、1985年アメリカ、ロードアイランド州生まれ。ハーバード大学に在学中、2009年に監督・脚本を手がけた初めての映画『Guy and Madeline on a Park Bench』でゴッサム賞にノミネート。その後に執筆した本作の脚本が、製作前の脚本をハリウッドのスタジオ重役らの人気投票でランキングする“ブラックリスト”に選ばれ、注目を集めたそうだ。
 しかし、実際に映画化となると製作者として名乗り出たのはライトマン1人だったとのこと。これまでに類似作品がなかったことから資金集めがままならず、ライトマンはひとまず短編映画として製作することをチャゼルに提案。そしてチャゼルは長編映画の脚本から3つの重要なシーンで構成した18分の短編映画を製作。その作品が2013年のサンダンス映画祭短編映画コンペティション部門でプレミア上映され、アメリカ短編映画審査員賞を獲得。長編映画化の資金繰りに一気に目途がついたそうだ。

J・K・シモンズ

パイプイスが飛ぶ、カウベルが飛ぶ、しまいにはフロア・タムが飛ぶ。その映像を見ながら、演出家の蜷川幸雄氏がずいぶん昔に稽古場で灰皿を投げたこと、アニメ『巨人の星』の父・星一徹のちゃぶ台返しなどを思い出し、時代性もあったのだろうか、とか。それにしても音楽家が楽器をあれだけ無下に扱うとは、ロックやパンクのミュージシャンがギターをステージで燃やすとかそういう意味合いがあるわけではなかろうに…とか。スクリーンに血と汗と涙と怒号が激しく飛び交うなか、筆者の思考もいろいろ飛んで。

J・K・シモンズ

音楽映画というと、明るく楽しく歌い踊り、マイナーコードのような哀しい展開や、セブンスコードのような複雑な展開があったとしても、最後にはどこか後味よく終わるような作品が多い中、この映画は最後の最後まで異彩を放つ。チャゼルはこの映画のテーマについてこのように語っている。
 「チャーリー・パーカーのソロ演奏を聞くたびに、人々は至福の時へと誘われる。我々が何十年も楽しむことができるというだけで、芸術のためにパーカーが耐えた苦しみの全ては、それだけの価値があったのか? 僕にはわからない。でも僕にとってそれは尋ねる価値のある問いだ。それは音楽を超えて、芸術さえも超えて到達する、非常にシンプルだがアメリカの特徴を形成するある概念に関係している。“いかなる犠牲を払っても偉大であること”」
 クライマックスでは暑苦しくむさくるしく、画面から男臭さがむおーんと匂ってきそうなほどの本作。良し悪しはお好みとして、快いかどうかといった意識を吹っ飛ばして突き抜けるあたり、これまでにない音楽映画であることは確かである。

作品データ

セッション
公開 2015年4月17日公開
TOHOシネマズ 新宿ほかにて全国順次ロードショー
制作年/制作国 2014年 アメリカ
上映時間 1:47
配給 ギャガ
原題 WHIPLASH
監督・脚本 デイミアン・チャゼル
製作総指揮 ジェイソン・ライトマン
製作 ジェイソン・ブラム
音楽 ジャスティン・ハーウィッツ
出演 マイルズ・テラー
J・K・シモンズ
メリッサ・ブノワ
ポール・ライザー
:あつた美希
ライター:あつた美希/Miki Atsuta フリーライター、アロマコーディネーター、クレイセラピスト インストラクター/インタビュー記事、映画コメント、カルチャー全般のレビューなどを執筆。1996年から女性誌を中心に活動し、これまでに取材した人数は600人以上。近年は2015〜2018年に『25ans』にてカルチャーページを、2015〜2019年にフレグランスジャーナル社『アロマトピア』にて“シネマ・アロマ”を、2016〜2018年にプレジデント社『プレジデントウーマン』にてカルチャーページ「大人のスキマ時間」を連載。2018年よりハースト婦人画報社の季刊誌『リシェス』の“LIFESTYLE - NEWS”にてカルチャーを連載中。
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