5週間分の予約は全日満席、予約待ちは6万2000人
デンマークのカリスマシェフが東京で期間限定出店
した際の姿を追う、見ごたえのあるドキュメンタリー
土地の“時間”と“場所”を感じさせる料理とは? 予約開始から1日で全日満席、約7万円のコース料理を求めてウェイティングリストに世界の6万2000人の美食家が名を連ね、営業期間を急遽2週間延長した――。デンマークのカリスマシェフ、レネ・レゼピがスタッフ総勢77名とともに来日し、日本の食材を用いた期間限定の特別レストラン「ノーマ・アット・マンダリン・オリエンタル・東京」を2015年にオープンした際のことを追ったドキュメンタリー作品。監督はオランダのアムステルダムを拠点にTV番組などを制作するジャーナリストであり、本作が長編ドキュメンタリー映画デビューとなるモーリス・デッカーズが手がける。レネとスタッフたちは食材を見つけるために1年以上かけて北海道から沖縄まで日本全国を巡り、枝を噛み葉や土の味を確かめ、独特の感性で日本の食文化を体感してゆく姿を映す。レネたちの目を通して日本の魅力を再発見する感覚もある、独特の面白さのある作品である。
2015 年1月、シェフのレネ・レゼピを筆頭に、世界的に有名なデンマークのレストラン「noma」のスタッフ総勢77 名が来日し、期間限定で「ノーマ・アット・マンダリン・オリエンタル・東京」を開店することに。コペンハーゲンの本店を休業し、スタッフ全員で日本へ赴くという世界初の試みが話題となる。本店と同じく“その土地の食材を使う”というコンセプトを貫くため、レネとスタッフたちは食材探しのために北海道から沖縄まで日本全国を1 年以上かけて7 回に渡り訪ねていく。そしてオープン15日前、レシピ開発チームが初めて知る食材や不慣れな厨房で苦心しながらも作り上げた特別メニューを提案するも、味見したレネはすべて作り直し、と告げる。
“一皿入魂”といった風情で料理に打ち込むシェフと仲間たちの姿を追うドキュメンタリー作品。レネのスタイルがユニークなのは、厨房と市場を行き来するだけではなく、さまざまな食材の産地に自ら赴き、地域の自然や食文化を味わい体感し、そのすべてをひと皿ひと皿に料理で表現する、というところにある。また本作では、なぜレネ・レゼピが映画やテレビにとりあげられる、世界的に人気の高いシェフであるかということもよくわかる。仕事では妥協は一切なくシビアでありながら、調理や盛り付けに関しては繊細で職人のようでもあり、感性や発想はとてもアーティスティックで、心はオープンで純粋な好奇心に満ちている。自由気ままなようでいて核心を突くようなレネの個性や生き様は、観る側をインスパイアするものがある。レネから日本への出店を聞き映画化したいと思った時のことについて、デッカーズ監督は語る。「朝の7 時にレネが私の泊まっているホテルの部屋のドアをノックして『ちょっとエクササイズしよう』と言ってきたんだ。彼は右腕にブルガリアンバッグを抱えていた(ランニングするときに肩に背負う20 キロの砂袋)。そして左手にはりんごがひとつ。レネの顔には私への同情交じりの笑みが満面に浮かんでいたね。腕立て伏せを50 回しようとレネが声を張り上げた。それから海辺に向かって走るんだ。それも40 歩ごとに腰をかがめて草を摘みながら。彼は砂を払った草を私の口に入れては、『味わって!』と言ってきたよ。そんな過酷なジョギングプログラムを終えた後、ホテルのバーで彼のエスプレッソを飲みながら、日本での出店計画について聞いたんだ。映画にしたいとすぐに思った。日本の土を一緒に踏みたいと。これは、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホが『ひまわり』を描いている横に座るかのような貴重な機会だと感じた。レネの目に映るものを見たかった。そして、映画を通して世界に向けて発信したい、見せたいと思ったんだ」
デンマークの本店「ノーマ」は北欧の食材しか使用しないことで知られ、イギリスの雑誌『レストラン』による“世界のベストレストラン50(The World’s 50 Best Restaurants)”にて8年連続で世界ベスト5入りとなっているレストランだ(2009-2016年、うち4回が1位)。そしてレネ・レゼピは、2003年に25歳で「ノーマ」のヘッドシェフ兼、創設者のひとりとなった人物。彼は地元の料理学校で学んだ後、世界有数の一流レストランであるスペインの「エル・ブリ」やアメリカの「フレンチ・ランドリー」で修業を積み、「ノーマ」開店後は北欧料理に革命を起こした立役者として注目され、’12 年にはタイム誌の“世界で最も影響力のある100人”への選出も。
劇中では、レネがざっくばらんに本音を語る様子や、厨房でスタッフを厳しく指導する姿が映されている。ノーマのスタッフたちは皆レネの料理や発想、行動力に惚れこんでいて、個性豊かな面々が仕事にかけては手抜きやズルなど考えずに真摯に取り組んでいる姿は観ていて清々しい気分になる。不眠不休でメニュー開発に取り組む様子や、オープン前の緊張で体調を崩し病院で注射を打ってもらい当日を迎えるスタッフなど、モダンアートさながらのフルコースメニューを供する舞台裏のハードさが伝わってくる。女性スタッフがノーマで働くことに誇りと喜びをもちつつ、プライベートはほぼゼロでひたすら仕事、とさらりと話すシーンもあり、「どんな業界でも同じだな」としみじみとするものも。世界トップクラスのレストランで働きながら、プライベートでは宅配ピザを食べていることも隠すことなく、普通に映しているところがまた面白い。監督は冗談交じりに笑いながら話す。「レネやノーマのスタッフが好きな料理は安くて身体に良くはないピザなんです。総料理長のダニーもピザが大好きで、夜は家で出前のピザを食べています。レネは幼少の頃、決して裕福でない家族に育ちました。その頃に食べていた安いピザは今でも彼のフェイヴァリットとのことです」
「和食店にするつもりはありません。でも我々の美学を新しい文化に投じ、どんなものが生まれるのか見たいんです」(レネ)
ノーマの海外での期間限定出店は事業として考えると、利益は度外視していることがわかる。レネ自身やスタッフたちの研修や研究のため、移りゆく時代の中でノーマとしての進化のために実行したのだろうなと。個人的には、「成功している自国の本店を閉店してスタッフ全員とともに期間限定で海外出店するなんて、よく思いついたし、実行できたな」と、驚くばかりだ。レネ自身もそのことについては決して自信満々であったわけではなく、みんながついてくるかどうか……という不安があったと語っている。レネたちの来日時に食材探しの旅をコーディネートした、東京・青山のミシュラン二つ星レストラン「レフェルヴェソンス」のエグゼクティブ・シェフ生江史伸氏は、レネ自身の感性と今回の企画について語る。「観点・視点があまりにも人と違いすぎます。レストランの運営をしている者として、ノーマが今回やったことで利益を上げられないことは明白でした。しかし、利益の追求ではなく、彼らは学びを求めに日本に来たということを感じました。レネの真面目さを目の当たりにして、絶対にこのプロジェクトを成功させたいと思いました」
本作の原題『Ants on a Shrimp』は、ノーマの名物料理であるエビのアリ添えのこと。レモンほど強くはない蟻の酸味をエビに添える一品で、日本では長野の蟻を使用したそうだ。食材探しの旅では一般的な食材を試食するのはもちろん、森の葉や枝を噛み、足元の土や蟻を食べて、まさにその地域の味を知ることを淡々としている様子を見ると、その熱心さに心を動かされる。例えば彼らの行動をフィクションで映画化したら、大げさだったり嘘っぽく見えたりしてしまう可能性もあるけれど、彼らが本当に本気でやっていることであるためリアルな見ごたえがあり、ドキュメンタリーの対象として彼らがとても魅力的であることがよくわかる。日本でも2016年4月に公開された『ノーマ、世界を変える料理』のみならず、ヨーロッパではノーマを映すフード・カルチャー映画がすでに何本もあることから、デッカーズ監督は本作の制作にプレッシャーを感じながらも「ノーマの素顔をシンプルに撮る」ことに専念したそうだ。
正味のところ、仕事に打ち込む人生やグルメやアートに興味がないと、内容そのものが遠く感じられる面もあるかもしれない。だが、そうしたことに興味があったり実感があったりするなら、予想よりも惹きこまれるものがあるのは間違いないし、興味がない場合もレネの独特の考え方やスタッフたちの熱心さに刺激を受けることもあるのではないだろうか。
今の世の中、社会に役立つこと以外は何の価値もないとか、何事も本気すぎる取り組み方は「引かれる」「格好悪い」という感覚も少なくないなか、仕事への真剣な気持ちについて、人に話すことは私事ながら筆者もほとんどない。そのことについて特につらいとかもっと多くの人に理解してもらいたいとかもないのは、傍目から見て泥臭くとも長い年月のなかくじけずに全力で必死に取り組み続けることで、きちんと結果や評価につながっていくことや、仕事という大きな奔流の中で少しずつ楽に息ができるようになってきたり、小さな板にしがみついているような感覚だったこともいつのまにか板がいかだになり小舟になりと確かな足場になっていたりするという体感を得ているからだろう。ただ独特のプレッシャーやストレスのなか、日々の仕事を人から理解されることも褒められることもあまりなく、華やかな一瞬のための裏方の仕事にてらいなく打ち込む人々の姿を観ることで、どこか心が温まる感覚もあるのだと改めて知った気がする。天才は天才のスピードで、筆者も含めて凡人なら凡人の歩みで、前に進んでいくことができるということも。
その後、ノーマは’16年1月から10週間、日本の時と同様にスタッフ全員でオーストラリアのシドニーに赴き期間限定で出店。デンマークの「noma」本店は’16 年12月31日で一旦閉店し、’17年には自然との共生にもとづくアーバンファームを作り、都市型農園として再開する予定とのこと。デッカーズ監督は日本での撮影とノーマのこれからについて、このように語っている。「日本の山や森は自然がとても豊かでした。食材だけでなく木の枝の香りや土の香りも素晴らしかった。それらをノーマに気づかされとても興奮しました。日本の生産者はとても熱心で、彼らの畑はアメリカや他の外国の畑と違いとても小さくコンパクトでしたが、もの凄く長い時間をかけて、手間暇をかけて作られている畑が多いことに、レネたちも私も感動しました。これからノーマが作る畑にも、日本の畑作りの技術や精神が込められると思います」
公開 | 2016年12月10日よりヒューマントラストシネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開 |
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制作年/制作国 | 2016年 オランダ |
上映時間 | 1:32 |
配給 | 彩プロ |
原題 | Ants on a Shrimp |
監督 | モーリス・デッカーズ |
出演 | レネ・レゼピ ラース・ウィリアムズ トーマス・フレベル ダニエル・ジュスティ ロシオ・サンチェス キム・ミッコラ |
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