ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー

“青春のバイブル”はいかにして生まれたのか
恋愛、戦争体験、作家としての成功、隠遁生活……
作家J・D・サリンジャーの知られざる半生を描く

  • 2019/01/21
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ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー© 2016 REBEL MOVIE, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

『ライ麦畑でつかまえて(原題:The Catcher in the Rye)』で知られるアメリカの作家J・D・サリンジャーの半生を、2011年に発表された評伝をもとに映画化。出演は、『マッドマックス怒りのデス・ロード』『X-MEN』のニコラス・ホルト、『アメリカン・ビューティー』のケヴィン・スペイシーほか。監督・脚本は『大統領の執事の涙』『ハンガー・ゲームFINAL』2部作の脚本で知られ、本作が初監督作品となるダニー・ストロングが手がける。サリンジャーが作家を志す学生時代に始まり、恋をして、作家として活動を始めた矢先に太平洋戦争が勃発。兵士として最前線を経験した後のこと、隠遁生活にいたる経緯まで。時代を超えて“青春のバイブル”と呼ばれる名作はいかにして生まれたのか。作品の大ヒットと作家としての苦悩、恋愛と結婚、戦争経験によるトラウマ……知られざるサリンジャーの姿を描く伝記映画である。

サラ・ポールソン,ニコラス・ホルト

1939年ニューヨーク。いくつかの大学の中退を繰り返していた20歳のサリンジャーは、作家を志しコロンビア大学の創作学科に編入。文芸誌『STORY』の編集長で同大学の教授ウィット・バーネットの授業を熱心に聴講する。そして愛読書『グレート・ギャッツビー』さながらマンハッタンの社交界に顔を出し、サリンジャーは劇作家ユージン・オニールの娘ウーナ・オニールと恋に落ちる。一方でウィットのアドバイスのもと短編を書き始め、いくつかの出版社に売り込むも、掲載不可と断られ続けるなか、ウィットはサリンジャーが最初に書いた短編『若者たち(原題:The Young Folks)』を『STORY』誌に掲載。また自分の分身ともいえるホールデン・コールフィールドを主人公にした短編『マディソン・アヴェニューのはずれでの小さな反抗(原題:Slight Rebellion off Madison)』が『NEW YORKER』誌に掲載決定となるが、太平洋戦争の勃発により、内容が今の時期に合わないという理由で掲載は見送りに。失意のまま招集を受けて出兵したサリンジャーは、恋人ウーナがチャーリー・チャップリンと結婚することを戦地で知る。やがてノルマンディ上陸作戦に参加し、過酷な最前線を経験。終戦後、サリンジャーは戦争のトラウマから長く執筆できずにいたが、ホールデン・コールフィールドが主人公である初の長編『The Catcher in the Rye』を書き上げる。

晩年は公的に作品を一切発表せず、プライバシーを厳守した作家サリンジャーの知られざる半生を伝える本作。チャーリー・チャップリンの最後の妻となったウーナとの恋愛、戦争で最前線を経験したことからPTSDに苦しみ、禅や瞑想で心の平穏を得ていたこと、ストーカーという言葉がまだない時代に、熱狂的なファンによるストーキングに悩まされていたことなど、さまざまなエピソードを伝えている。ストロング監督は2011年に発表された評伝『J. D. Salinger: A Life(邦題:サリンジャー生涯91年の真実)』でサリンジャーのドラマティックな生涯に感動し、書籍の映画化権を自ら取得、脚本を執筆して本作で初めて監督をつとめた。14歳の時に初めて『ライ麦畑でつかまえて』を読み、小説に自身の思いの丈が書かれていることに胸を打たれた、とストロング監督は語る。「すごくリアルに、真実が書かれていると感じた。そんなことをほかの本で感じることはなかったんだ」

ケヴィン・スペイシー,ニコラス・ホルト

作家を目指す青年から時を経て人気作家となるサリンジャー役は、ニコラスが状況により変化してゆく複雑な内面を自然体で表現。裕福な家庭で育ち、自らの才能を自負する才気走った青年が、作家として熱狂的な支持を得て隠遁に至る気持ちの流れが伝わってくる。サリンジャーの才能を見出したコロンビア大学の教授で文芸誌『STORY』の編集長であるウィット・バーネット役はケヴィンが人間臭く、サリンジャーと終生のつきあいを続けた出版エージェントであり、男性優位だった1940年代のアメリカ出版界で著作権代理を行っていた女性ドロシー・オールディング役はサラ・ポールソンが凛として、それぞれに演じている。

原作はケネス・スラウェンスキーが2011年に発表した『J. D. Salinger: A Life(邦題:サリンジャー生涯91年の真実)』。サリンジャーの死後初めて出版された伝記であり、膨大な資料と緻密な調査によりこれまで知られていなかったサリンジャーの半生を記している。2012年度ヒューマニティーズ・ブック賞を受賞し、15か国語に翻訳、20カ国で発売。著者は2004年にサリンジャーのウェブサイトDeadCaulfields.comを創設。ヴァニティ・フェア誌、フランスのルヴュ・フユトン誌などに執筆しているとも。

ニコラス・ホルト

サリンジャーは1941年に『The Young Folks』で作家活動を始めて1965年に最後の作品『Hapworth 16, 1924』を発表して以降、2010年に91歳で他界するまで作品を公には一切発表しなかった。2015年以降、サリンジャーの未発表の5作品がいずれ発表されるというニュースが2013年8月にあったが、その話はどうなっているのだろうか。その時点では5作品には『Franny and Zooey(邦題:フラニーとゾーイー)』などに登場するグラース一家の物語や、短編『The Last and Best of the Peter Pans』が含まれると報道されていた。また2013年11月の、出版されていない短編3作『The Ocean Full of Bowling Balls』、『Birthday Boy』、『Paula』がインターネット上にPDFファイルで流出した、というニュースについて調べてみると、原稿自体はサリンジャー本人が「自身の死後50年は公開しない」という条件でプリンストン大学図書館に寄贈し、その図書館では読むことができたとのこと。こうした作品も含め、今後が気になるところだ。もしサリンジャーの未発表作品が改めて公式に出版されたら、日本でも『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のように、村上春樹氏による翻訳版が期待できるかもしれない。

サリンジャーの小説の映画化については、短編小説『Uncle Wiggily in Connecticut(邦題:コネチカットのひょこひょこおじさん)』が1949年にハリウッドで『My Foolish Heart(邦題:愚かなり我が心)』というタイトルで映画化されたものの、評価が低くサリンジャー自身もこの映画をみて激怒して、それ以来は著作の映画化を許可しなかったとのこと。著作について指示が記されているというサリンジャーの遺言のなかに、おそらく映画化についても一筆あるのではないだろうか。そうしたことから彼の小説を映画で観ることは当面は(もしかしたら永久に)難しいだろうけれど、読み継がれる著作を生み出したサリンジャー本人について、こうして映画で観ることができるのは興味深い。34歳の時(1953年)からアメリカ北東部ニューハンプシャー州で静かに暮らし続け、プライバシーを厳守した作家本人にとってははなはだ不本意であり彼岸でご立腹かもしれないが、読者にとっては著者が執筆した時の背景を知ることで、著作に対する距離感や感じ方がまた新鮮になる、というよいことがあるはずなので、そうした視点から寛容になれるのではないかな、と個人的に思う。

作品データ

ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー
劇場公開 2019年1月18日よりTOHOシネマズシャンテほかにて全国ロードショー
制作年/制作国 2017年 アメリカ
上映時間 1:46
配給 ファントム・フィルム
原題 REBEL IN THE RYE
監督・脚本 ダニー・ストロング
原作 ケネス・スラウェンスキー
製作 ブルース・コーエン
モリー・スミス
出演 ニコラス・ホルト
ケヴィン・スペイシー
ゾーイ・ドゥイッチ
ホープ・デイヴィス
サラ・ポールソン
:あつた美希
ライター:あつた美希/Miki Atsuta フリーライター、アロマコーディネーター、クレイセラピスト インストラクター/インタビュー記事、映画コメント、カルチャー全般のレビューなどを執筆。1996年から女性誌を中心に活動し、これまでに取材した人数は600人以上。近年は2015〜2018年に『25ans』にてカルチャーページを、2015〜2019年にフレグランスジャーナル社『アロマトピア』にて“シネマ・アロマ”を、2016〜2018年にプレジデント社『プレジデントウーマン』にてカルチャーページ「大人のスキマ時間」を連載。2018年よりハースト婦人画報社の季刊誌『リシェス』の“LIFESTYLE - NEWS”にてカルチャーを連載中。
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