マイ・バッハ 不屈のピアニスト

左手しか動かなくなっても諦めなかったピアニスト
ジョアン・カルロス・マルティンスの不屈の生き様を
バッハの旋律と共に描く、実話ベースの人間ドラマ

  • 2020/08/31
  • イベント
  • シネマ
マイ・バッハ 不屈のピアニスト

天才ピアニストと称えられるなか、ケガと病気で指が自由に動かなくなるも、動かせる数本の指を使ってピアニストとして音楽活動を続行。その後に指揮者となり、後進の育成にも尽力してきた、今も存命するブラジル人の音楽家ジョアン・カルロス・マルティンスの実話をもとに描く。出演は、ブラジルのテレビシリーズ「A Regra do Jogo」のアレクサンドロ・ネロ、テレビシリーズ「Geração Brasil」のロドリゴ・パンドルフほかブラジルの俳優を中心に。監督・脚本は、やはりブラジルで活躍する『Tim Maia』のマウロ・リマが手がける。病弱だった少年ジョアンは、習い始めたピアノで才能が開花。カーネギーホールでの演奏デビューで実力が認められ、“20世紀で最も偉大なバッハの奏者”として世界的に活躍するが……。一流の音楽家らしい傲慢さと奔放さ、何があろうともピアニストとしての人生をあきらめないしぶとさ、彼に振り回される家族や友人、周囲の人々との出会いと別れ。ひとりの特異な音楽家の不屈の境地と生き様を、ジョアン本人が演奏するバッハの旋律と共に描く、実話ベースの人間ドラマである。

ロドリゴ・パンドルフ

幼い頃から病弱で家のなかで過ごすことが多かったジョアン・カルロス・マルティンスは、8歳で本格的にピアノを習い始めると才能が大きく開花。13歳からブラジルを拠点にプロの演奏者として活動。20歳でクラシック音楽の殿堂として知られるニューヨークのカーネギーホールでのデビュー・コンサートをして、一流のピアニストとして実力が高く評価される。“20世紀で最も偉大なバッハの奏者”として各国を演奏ツアーで回る日々のなか、1965年に参加したサッカーの練習試合で転倒して右腕を損傷、そのケガにより右手の3本の指に障害を負う。ピアニストとしての再起は難しいと医者から宣告されるも、厳しいリハビリを続けて再びピアニストして復帰する。そして“バッハの全ピアノ曲収録”というオファーを受けて新たな挑戦をしているなか、思いがけないことが起きる。

2016年のリオデジャネイロパラリンピックの開会式でブラジル国歌を演奏したことでも知られる、現在80歳の音楽家ジョアン・カルロス・マルティンスの波乱に満ちた人生を、実話をもとに描く伝記映画。劇中の音楽のすべてはジョアンの演奏音源を使用していて、ヒナステラのピアノ協奏曲やバッハのゴルトベルク変奏曲の一節など数々の楽曲が楽しめるのも特徴だ。音楽家としてもビジネスマンとしても成功と挫折を繰り返し、精神的にも肉体的にもどれほど過酷であろうとも、どんな時も自分らしく望みを叶えてゆく姿が圧倒的だ。ジョアンの伝記映画の製作は、実は先にクリント・イーストウッドが興味を持ち、本人と話を進めようとしていたとのこと。しかし本作のプロデューサーのブルーノ・レザビシャスが、「この物語はブラジル人こそが映画化すべきだ」と直談判し、映像化権を獲得したそうだ。ブラジル人の音楽家の伝記映画を、本国のスタッフとキャストでポルトガル語で映画化するのは、不自然さがないしとても素敵だ。ただ個人的には、イーストウッドならどう映像化したかな、という思いも。イーストウッド版も別個にこれから製作、となったら絶対に観たいなと。

アレクサンドロ・ネロ

ジョアン役はアレクサンドロ・ネロが、音楽家としてもビジネスマンとしても積極的に活動してゆく天才肌の男性として。自分の人生に夢中で家族を顧みない夫に、寂しさと不満を募らせる最初の妻サンドラ役はフェルナンダ・ノーブルが、少年ジョアンを厳しく指導するピアノ教師役はカコ・シオークレフが、後年のジョアンを支える弁護士の妻カルメン役はアリーン・モラエスが、幼少期のジョアン役はダヴィ・カンポロンゴが、青年期のジョアン役はロドリゴ・パンドルフが、それぞれに演じている。
 劇中では、若手のジョアンがアメリカを拠点に活動するきっかけとなる、作曲家にして指揮者、ピアニストとしても知られるレナード・バーンスタインと、当時のアメリカ副大統領であるヒューバート・ハンフリーとレストランで会うシーンなどが描かれていて。おお、こんな若い頃にバーンスタインと直接会って認められていたんだ、とか、ちょっとしたエピソードがいろいろあるのも音楽好きには見どころだ。

ジョアン・カルロス・マルティンスは、1940年ブラジルのサンパウロ生まれ。裕福な家庭に育ち、幼い頃から病弱だったジョアンは音楽家志望だった父からピアノを習う。8歳から音楽大学の教授のもとで本格的に指導を受けて才能を伸ばし、9歳の時にブラジルで開催されたバッハ協会主催のコンクールで優勝。13歳からプロのピアニストとして活動し、当時としては異例の若干20歳の時にカーネギーホールでのデビュー・コンサートをして、一流の演奏家として実力が高く評価される。アメリカに移住しニューヨークを拠点に世界中を演奏ツアーで回るなか、1965年のケガにより指を自由に動かせなくなり、医師から演奏をあきらめるよう宣告。ブラジルに帰国し、ボクシングの仕事で起業して結果を出す。その間に理学療法やリハビリを長期にわたって続けて、1979年にピアニストとして復帰。“バッハの全ピアノ曲収録”に挑戦するなか、1995年にブルガリアで強盗に頭を殴打され、もともと傷めていた右腕の状態が悪化。手術や治療やリハビリを重ねるも、左手の数本の指しか動かないという状態になる。2001年、ジョゼフ・モーリス・ラヴェルの楽曲「Just for Left Hand(左手のためのピアノ協奏曲)」を録音する。そんな折、左手に神経系と筋膜に関わる病気を発症。左手もほとんど動かなくなり、2004年に指揮者として世界最大の室内オーケストラのひとつである英国室内管弦楽団と共にバッパを演奏して収録し、CDをリリース。その後、ジョアンの尽力でサンパウロ州工業連盟の支援を得て設立されたバッパ交響楽団基金は、数千人の若者たちを演奏家としてサポート。ジョアンは指揮者として世界中で1500回以上のコンサートを行った。

フェルナンダ・ノーブル,ロドリゴ・パンドルフ

2012年にピアニストを引退したジョアンは、指揮者として活動するなか、手の疾患による痛みを抑えるための手術を24回受けた後に、2019年3月に引退。次世代を育成するバチアナ財団をメインに活動してきたなか、彼は2020年に新しい可能性を手に入れた。ブラジル人のエンジニアであるウビラータ・ビザロ・コスタ氏がジョアンのために開発したバイオニック・グローブで、彼が再びピアノを演奏できるようになったという。
 「キーボードに10本の指を置いたのは22年ぶりです(ジョアン)」
 このバイオニック・グローブは、カーボンファイバーのボードでキーを押すとジョアンの指が上にあがるという仕組みで、10本の指のうち9本を動かすことができるとのこと。開発のきっかけは、コスタ氏が暮らすブラジルのサンパウロの町スマーレでジョアンのコンサートがあった時にジョアンと知り合い、彼の手を動かすためのプロジェクトを進めることになったという。ジョアンとコスタ氏は数カ月間でいくつかのプロトタイプを試して2019年12月に“完璧な組み合わせが実現した”そうだ。ブラジルレアルでわずか約500レアル (約1万円弱) の費用で完成したというからまたすごい。2020年1月の時点では、ジョアンは2020年10月にニューヨークのカーネギーホールでのデビューから60周年を記念するコンサートを同ホールで行うことを目指す、とコメント。現在の状況下ではコンサートの開催自体が難しいだろうし、もう少し先に延期になるとしても、いずれ実現するといいなと筆者も心から思う。ジョアンは今、「新しいおもちゃを手に入れた男の子のように」このバイオニック・グローブを片時も離さないそうで、自宅のピアノで朝と夜に練習しているとのこと。このグローブの開発や使用に医師の視点や意見があまり反映されていなかったとしたら、安易に使い続けることで疾患のある両手や神経系に良くない影響があるかもしれないし、確かなエビデンスもなく動かない手を動かして負荷をかけ続けることは誰にでも薦められることでは決してない、ということはジョアン本人もわかっていて、それでも「したいからする」というのは、いかにも彼らしい。これからの目標について、2020年1月に「ABC NEWS」のインタビューに答えたジョアンは、このように語った。「過去のスピードを取り戻すことはできないかもしれないし、どんな結果になるのかもわからない。私は8歳の時のように(ピアノのレッスンを)最初からやり直している。1、2年かかるかもしれないけれど、できるまで続ける。あきらめないよ」

参考:「ジョアンの公式HP」「バチアナ財団」「ABC NEWS

作品データ

マイ・バッハ 不屈のピアニスト
公開 2020年9月11日よりヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて全国ロードショー
制作年/制作国 2019年 ブラジル
上映時間 1:57
配給 イオンエンターテイメント
原題 Joao, o Maestro
監督・脚本 マウロ・リマ
出演 アレクサンドロ・ネロ
ダヴィ・カンポロンゴ
アリーン・モラエス
フェルナンダ・ノーブル
:あつた美希
ライター:あつた美希/Miki Atsuta フリーライター、アロマコーディネーター、クレイセラピスト インストラクター/インタビュー記事、映画コメント、カルチャー全般のレビューなどを執筆。1996年から女性誌を中心に活動し、これまでに取材した人数は600人以上。近年は2015〜2018年に『25ans』にてカルチャーページを、2015〜2019年にフレグランスジャーナル社『アロマトピア』にて“シネマ・アロマ”を、2016〜2018年にプレジデント社『プレジデントウーマン』にてカルチャーページ「大人のスキマ時間」を連載。2018年よりハースト婦人画報社の季刊誌『リシェス』の“LIFESTYLE - NEWS”にてカルチャーを連載中。
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