舞踏家バウシュの本質をヴェンダース監督が3Dで具現化
苦悩と喜び、孤独と愛、悲哀とユーモア……
命のありさまを鮮やかに映し出す、洗練のドキュメンタリー
「私に興味があるのは、人がどう動くかではなく、何が人を動かすのかということ」。2009年に急逝した舞踏家で振付家のピナ・バウシュの世界と、それを継ぐヴッパタール舞踊団のドキュメンタリー映像を、バウシュの20年来の友人であるヴィム・ヴェンダース監督が3Dにて映画化。バウシュの思想、作品、彼女を慕うダンサーたちの思いやソロパフォーマンスなどをあたたかく真摯な視線でとらえる。生き生きとした躍動感と、繊細で強靭な精神性が伝わる、鮮やかなドキュメンタリー作品である。
2009年6月30日、ガンの告知を受けた5日後に68歳で急逝したピナ・バウシュ。ヴェンダースとともに映画製作の企画を進めていた彼女が生前に選んだ、4つの作品が紹介される。新解釈の『春の祭典』、ペドロ・アルモドバル監督の2002年の映画『トーク・トゥ・ハー』の冒頭でピナが踊った『カフェ・ミュラー』、バウシュの集大成といわれる『コンタクトホーフ』、巨大な岩を舞台セットに、たっぷりの水を扱いダイナミックなダンスが展開する『フルムーン』。また、バウシュに師事するヴッパタール舞踊団のダンサーたちはバウシュへの思いを語り、ソロパフォーマンスを劇場の外の世界で、街角や自然の中で表現する姿をとらえていく。
バウシュが語る「言葉では伝えきれないもの」を、映像として的確かつ鮮烈にとらえた作品。物語性などはなく、バウシュの思想に沿いながらも、ヴェンダース監督らしい人間味のある目線で作品やダンサーたちをとらえていく。純粋にバウシュの遺したダンスを紹介していくなか、そこには血液のようにドクドクとむきだしの感情が流れていて、その生々しさが色濃くはっきりと伝わってくるところがすごい。
そもそもピナ・バウシュとは? ドイツのバレエダンサーで、バレエとコンテンポラリー・ダンスの振付家。’08年のゲーテ賞などの受賞歴はもちろん、世界でその才能が高く評価されている人物だ。独自の舞踊スタイルはダンスと演劇の融合といわれ、彼女の作品は「タンツ・テアター(ダンス・シアター)」と呼ばれている。その豊かな表現力によりダンスの舞台のみならず、フェデリコ・フェリーニ監督の1982年の映画 『そして船は行く』 、坂本龍一の1999年のオペラ 『LIFE』 、ペドロ・アルモドバル監督の2002年の映画『トーク・トゥ・ハー』への出演も。’09年にガンで急逝する直前まで、新作の公演を行っていたそうだ。
出演はバウシュ本人と、彼女が芸術監督を務めるヴッパタール舞踊団(ドイツ)のダンサーたち、一緒に仕事をしてきたスタッフたち。劇中には、バウシュのパートナーで’80年に亡くなった舞台・衣裳デザイナーのロルフ・ボルツィクが手がけた舞台デザインも登場する。
着想から20年以上かけて作り上げたという本作。そもそものきっかけは、1985年にヴェンダースがバウシュの作品を観て、「自分の感情を解き放ち、とめどなく泣いた。人生初の経験だった」と深い感銘を受け、「あなたの映画を一緒につくらせて」とバウシュに申し入れたことから始まったとのこと。彼女もとても前向きに一緒に作ろう、となったものの、バウシュのダンスのスケール感や強いエネルギーを映像化する術(すべ)がない、とずっと模索していたそう。そんな折、進化した最新の3D技術を見て、「これに賭けるしかない」と直感した監督は、バウシュに連絡して映画製作を開始。撮影前の準備を半年かけて徹底的に行い、3Dのリハーサル撮影を2日後に控えた日、バウシュが急逝。ヴェンダースは大きく落胆し、バウシュ本人がいないのなら映画はできない、と覚悟したものの、世界から映画化を求める声と遺族の同意、ダンサーたちの強い要望により、映画製作を続行することを決意。紆余曲折を経て、本作が完成したそうだ。本作は2012年2月26日に授賞式が行われる第84回アカデミー賞にて、長編ドキュメンタリー映画賞にノミネート。ヴェンダース監督は’00年に映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』でも同賞にノミネートされ、今回が2回目となる。
最新の3Dデジタル技術を知ったヴェンダース監督は、「これがピナの映画を撮るための秘密兵器だ、これが答えだ」と感じたとのこと。本作の3D映像には、美しい箱庭を眺めるかのような幻想的なニュアンスもある。ヴッパタール舞踊団による4作品は、最新の3Dカメラを使って新たに撮影。伸縮自在のクレーンの上にソニーの大型スタジオカメラを装着し、ダンサーたちの動きを邪魔することのないよう綿密な打ち合わせをした上で、彼らの間にもカメラを置き、ともにダンスを踊っているかのようなアングルも取り入れられている。監督は語る。「今回、3D技術によって、人間の身体の圧倒感、存在感、そこにあるものが今までと全く違うものとして撮影できました。人間とはこういうものだ、という表現です。ドキュメンタリー映画は他の人の世界に入り込める体験で、3D技術による存在感や表現力はドキュメンタリーのような没入型の映像に一番ふさわしいと思いました。ドキュメンタリー作家もこれから3Dを使っていくべきです。この映画はダンスに興味がない人にも観てもらいたい。ダンサーたちの舞台には入れない、と私も思っていたけれど、3D技術のおかげでその中に入ることもできるのです」。
見どころは劇場の公演シーンのみならず、ヴッパタール舞踊団のダンサーたちが屋外で踊るソロパフォーマンスにも注目を。彼らがモノレールや工場などの現代建築、森や水辺、庭園など街角や自然の中で踊り、独自の意思や個性を表現するさまもすばらしい。個人的には、動くエスカレーターで月を表現する、吠える犬と一緒にマイムとタップで愉快に踊る、赤いドレスをまとい二人羽織の要領でいかつい筋肉を誇示する……という表現をはじめ、多彩な肉体表現の数々に見惚れた。衣裳や美術セットに凝っているわけではなく、動きとシチュエーションだけでハッと惹きつけらるところが好い。
「dance, dance, otherwise we are lost(踊り続けなさい。自分を見失わないように)」。ささやくようにバウシュは語りかける。苦悩と喜び、孤独と愛、悲哀とユーモア……生きることのすべて。春夏秋冬、季節の移り変わりとともに、時には重く時には軽やかに変化を繰り返しながら、すべては巡り続いてゆく。頭で意味がわからなくとも、体はすんなりと受けとめるかのような何か。バウシュの表現の本質そのものが、ヴェンダース監督の手腕により絶妙のバランスで焼き付けられた、洗練のドキュメンタリー作品である。
公開 | 2012年2月25日公開 ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次3D公開 |
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制作年/制作国 | 2010年 ドイツ、フランス、イギリス |
上映時間 | 1:44 |
配給 | ギャガ |
原題 | PINA |
監督・脚本 | ヴィム・ヴェンダース |
音楽 | トム・ハンレンシュー |
出演 | ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団のダンサーたち |
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