剣の舞 我が心の旋律

かの有名な曲は上部から命じされ、ひと晩で誕生した――
旧ソ連の作曲家アラム・ハチャトゥリアンの逸話と共に、
不屈の精神と音楽への愛、民族的ルーツへの誇りを伝える

  • 2020/07/15
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剣の舞 我が心の旋律© 2018 Mars Media Entertainment, LLC, DMH STUDIO LLC

『仮面舞踏会』などの名曲で知られる旧ソビエト連邦を代表する作曲家で指揮者のひとり、アラム・ハチャトゥリアンが、たったひと晩で『剣の舞』を作曲した時の実話をもとに映画化。出演は、ロシアの舞台やTVなどで活躍するアンバルツム・カバニャン、アメリカのTVドラマ『24』のアレクサンドル・クズネツォフ、監督・脚本はウズベキスタン出身のベテランであるユスプ・ラジコフが手がける。アラム・ハチャトゥリアンが作曲を手がけるバレエ公演『ガイーヌ』の初演間近、振付家からの度々の変更に作曲家はいら立っていた。さらに上演前の検閲で文化省の責任者がやってきて……。ヨシフ・スターリンが最高指導者の地位にあり、ナチス・ドイツとの戦いの最中にあった1942年のソ連で、意外なきっかけで有名な曲が生まれた経緯を描く。弾圧や脅しを受けながらも屈することなく、葛藤し迷いながらも音楽表現に没頭していたハチャトゥリアンが生み出した曲の逸話と共に、彼の不屈の精神と音楽への愛情、アルメニア人としての誇りを伝える人間ドラマである。

剣の舞 我が心の旋律

1942年11月29日。第二次世界大戦下、キーロフ記念レニングラード国立オペラ・バレエ劇場は、モロトフ(現在のペルミ)に疎開している。団員たちは軍部の監視のなか、食糧不足など物資の乏しさや厳しい寒さに耐えつつ、バレエ公演『ガイーヌ』の12月9日の初演に向けて練習を続けていた。作曲家のアラム・ハチャトゥリアンが振付家のニーナからの度重なる修正依頼に対応するなか、文化省の責任者プシュコフが上演前の検閲のために来訪。プシュコフは団員の美人ソリストであるサーシャに目を付け、失業寸前のサックス奏者アルカジーにアラムの動向を密告するよう強要する。そしてプレミア上演の1週間前、プシュコフは完成した『ガイーヌ』の結末を変更し、最終幕に士気が高揚する新しい踊りを追加することを製作者たちに命じる。

わずか2分半の短い曲ながら、劇音楽として世界屈指の演奏回数を誇るという『剣の舞』。日本では運動会で徒競走のBGMとして親しまれているあのハイテンポのメロディは、バレエ組曲の最後のナンバーとして生まれた。それもこの曲は上部から命じられ、アラム・ハチャトゥリアンがひと晩(約8〜11時間くらい、諸説あり)で書き上げたというから驚きだ。製作のはじまりは、本作の制作会社が行ったハチャトゥリアン物語の脚本コンテストでユスプ・ラジコフ監督が優勝したこと。ハチャトゥリアン本人の自伝や、さまざまな記録、遺族の証言などから、監督は『剣の舞』を作曲する前後、約2週間の時期に惹かれ、この曲が誕生する過程を描くことを提案。監督はハチャトゥリアンのこの時期に注目し、映画化した理由について、このように語っている。「それはハチャトゥリアンの人生のなかで非常に短い期間のことで、彼の周囲で起こった問題や現象をそのなかで表現しようと試みたんだよ。特に、あるひとつの問いに答えることが重要だと考えた。それは、芸術家がわずか8時間であのような最高傑作を生み出すためには、どんなことを体験しなければならなかったか、という問いなんだ」

剣の舞 我が心の旋律

作曲家のアラム・ハチャトゥリアン役はアンバルツム・カバニャンが、逆境に苦しみながらも楽曲に信念を込めて表現するアーティストとして繊細に表現。アラムに憧れ差し入れなどをしているバレリーナのサーシャ役はヴェロニカ・クズネツォーヴァが芯の強い女性として、アラムを敵対視する文化省のプシュコフ役はアレクサンドル・クズネツォフが、アラムの盟友であるヴァイオリニストのダヴィード・オイストラフ役はアレクサンドル・イリンが、振付家のニーナ・アニシモワ役はインナ・ステパーノヴァが、それぞれに演じている。
 本作の内容は史実に基づいているものの、架空のキャラクターも登場する。文化省のプシュコフ、美人ソリストのサーシャ、アラムの弟子ゲオルギーは、アラム・ハチャトゥリアンが実際に出会った実在の人物たちを基に架空の人物として創作された。ラジコフ監督は、エレバンにあるハチャトゥリアン記念館や、エレバン歌劇場、そしてハチャトゥリアンの実子であるカレン・ハチャトゥリアン氏の協力を得て、5年かけて本作の脚本を執筆。ティフリス(現在のトビリシ)で過ごした幼少期、旧ソ連時代、第2次世界大戦下の疎開生活など、ハチャトゥリアンの実話と時代背景を徹底的に調査したとのこと。実話に基づくフィクションとしたことについて、監督は語る。「幸いなことに、ハチャトゥリアンの伝記のなかに、人にあまり知られていないことを見つけることができた。そこには論議を醸し出すようなものもあったんだ。脚本を書いた時、僕はできるだけ事実に忠実に書くことを目指した。2、3人の登場人物だけ例外で、架空の人物を作り上げた。特定の演出効果のために必要だったんだ」
 またストーリーとしては、別の年代に別の場所でハチャトゥリアンが実際に体験した出来事を、この時期にあったエピソードとして描いていることがいくつかあるとも。例えば劇中でハチャトゥリアンが、ヴァイオリニストのダヴィード・オイストラフと作曲家のドミートリイ・ショスタコーヴィチと3人で会い、音楽や政治などについてフランクに語らい、ストリート・パフォーマンスでセッションをするシーンは観ていてとても心温まるシーンだ。旧ソ連を代表する音楽家3人が道端でセッション、という非常にカッコいいことは、別の時期に実際にあったエピソードをアレンジしたとのこと。ラジコフ監督は語る。「実際には、まったく違う状況だったんだ。3人が列車でスヴェルドロフスクへ行った時に道中で泥棒に遭い、食糧も盗られてしまった。だがこれからまだ1週間半から2週間旅をするので、その間の食糧を確保しなければならない。そこで彼らは、小さな停車駅で音楽を演奏して金を稼いだんだ。楽器をもって列車の外に出て、冬のプラットホームで演奏することで、彼らはなんとかしのいだんだよ」

ところで、上部からの命令でひと晩で生まれた『剣の舞』について、ハチャトゥリアン本人は「私の騒々しい子ども」と表し、お気に入りではなかったとのこと。『仮面舞踏会』と並ぶハチャトゥリアンの代表作と言われることも本意ではなかったという。急くようなリズムと共に木琴と金管楽器で始まるパワフルな導入からあっという間の2分半という短い曲ながら、繰り返されるメロディのインパクトが強烈なのは周知の通り。『剣の舞』が抜きんでて有名になり高い評価を得たことで、彼のほかの曲の印象が薄れたことについて、ハチャトゥリアンの資料を調べ上げたラジコフ監督は彼の気持ちを代弁する。「彼は当惑した。でも、聴き手、そして人々がそれでよしとしているということを理解して、彼もよしとしたんだよ」

アンバルツム・カバニャン

撮影は、ロシアとアルメニアにて。ハチャトゥリアンたちのモロトフでの疎開生活は、バレエのシーンや劇場内はヤロスラヴリで、そのほか多くのシーンはエレバンにあるエレバン歌劇場にて撮影。この劇場で撮影した時、エレバンの街は「ビロード革命(2018年4〜5月にアルメニアで起きた政変、アルメニア革命)」の最中だったことから、劇場はデモ隊に包囲され、監督をはじめ撮影隊と俳優たちは5日間劇場に閉じ込められながらも撮影を強行。その時の音声データにはデモ隊の叫び声や騒音が入っていたことから、後日に改めてすべて再録音したとも。アルメニア革命は、この劇場で本作の撮影を終えた日に革命側が勝利し、リベラル派のパシニャン首相が誕生した、というのもユニークな偶然だ。

実社会では現在、一方的な支配を拒否し言論や思想の自由を訴える香港のデモ、アメリカでの白人警官による黒人男性の暴行死事件が発端となり、全世界的に大きく広がっている反人種差別デモをはじめ、民族としての意識に立ち返る、さまざまな動きを社会情勢のなかで感じることがとても多い。本作では、アルメニア人であるハチャトゥリアンが自身のルーツに思いをはせて誇りをもち、創作に昇華していく姿も描かれていて。20世紀半ばの第二次世界大戦下で、劇作家や作曲家や振付家、ミュージシャンやダンサーといった表現者たちが、命がけの困難な状況においても、不屈の精神と音楽や民族への愛情をもって創作に取り組み、時代を超えて親しまれる楽曲が生まれるまでの経緯は、染みるものがある。ラジコフ監督は本作のテーマと映画化を決めた理由について、このように語っている。「アラム・ハチャトゥリアンは、ソビエト連邦の多文化芸術を象徴する人物でした。民族問題は常にイデオロギーと文化創造現象に結びついています。その一方で人々の感情的記憶、各国の近現代史などともつながりがあり、それらはすべてのソ連の人々が身近に感じられるものです。同時に映画のプロットにさまざまなドラマが含まれていることに気付いたことも、映画化を決意した理由のひとつです」

作品データ

剣の舞 我が心の旋律
公開 2020年7月31日より新宿武蔵野館ほかにて全国順次公開
制作年/制作国 2019年 ロシア・アルメニア
上映時間 1:32
配給 アルバトロス・フィルム
原題 Tanets s sablyami
監督・脚本 ユスプ・ラジコフ
出演 アンバルツム・カバニャン
アレクサンドル・クズネツォフ
セルゲイ・ユシュケビッチ
:あつた美希
ライター:あつた美希/Miki Atsuta フリーライター、アロマコーディネーター、クレイセラピスト インストラクター/インタビュー記事、映画コメント、カルチャー全般のレビューなどを執筆。1996年から女性誌を中心に活動し、これまでに取材した人数は600人以上。近年は2015〜2018年に『25ans』にてカルチャーページを、2015〜2019年にフレグランスジャーナル社『アロマトピア』にて“シネマ・アロマ”を、2016〜2018年にプレジデント社『プレジデントウーマン』にてカルチャーページ「大人のスキマ時間」を連載。2018年よりハースト婦人画報社の季刊誌『リシェス』の“LIFESTYLE - NEWS”にてカルチャーを連載中。
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