スパイの妻

ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞受賞の黒沢清監督作
太平洋戦争開戦間近の神戸を舞台に、愛と信念の行方を描く
蒼井優と高橋一生の共演で魅せるドラマティックなミステリー

  • 2020/10/16
  • イベント
  • シネマ
スパイの妻©2020 NHK, NEP, Incline, C&I

2020年の第77回ヴェネツィア国際映画祭にて銀獅子賞(監督賞)を受賞した黒沢清監督の最新作。出演は、『オーバー・フェンス』の蒼井優、ドラマ「凪のお暇」「竜の道」などの高橋一生、『コンフィデンスマンJP プリンセス編』の東出昌大ほか。脚本は、東京藝術大学院映像研究科で黒沢監督に師事した『ハッピーアワー』の濱口竜介と野原位、音楽は「ペトロールズ」の長岡亮介が手がける。1940年、神戸で貿易会社を営む優作は、仕事で行った満州で恐ろしい国家機密を知る。妻の聡子は愛する夫を心配するが……。困難な情勢下で夫婦の愛はどこへ向かってゆくのか。思想も言動も自由ではなかった時代に、自身の信念を貫こうとする人たちの顛末を描く。太平洋戦争開戦を目前に控えた昭和初期の神戸を舞台に描く、ドラマティックなミステリーである。

東出昌大,蒼井優

1940年、聡子は愛する夫・福原優作と瀟洒な洋館で幸せに暮らしている。ある日、神戸で貿易会社を営む優作は仕事仲間のドラモンドがスパイ疑惑で逮捕されたのを知り、罰金を支払って保釈させる。その後、ドラモンドが上海へ渡ると聞き、優作も物資が安い満州への渡航を決める。また趣味である映画の撮影を大陸でもするために、甥であり助手の竹下文雄と共に撮影機材を持って満州へと渡る。約1か月後、聡子の元に、帰国を2週間遅らせると連絡が。優作の留守中、聡子は幼なじみで憲兵分隊長である津森泰治を家に招き、ウイスキーを一緒に飲む。泰治は女中や執事も洋装であり、衣食住で舶来品に親しむ福原家の暮らしに、現情勢下での世間からの批判を心配する。その後、優作は文雄と帰国し、聡子には事情をふせたまま、ひとりの女性を満州から密かに同行。満州で恐ろしい国家機密を偶然知った優作と文雄は、正義のため、その事実を世間に公表しようとしていた。それを知った聡子は……。

昭和初期の厳しい情勢下、裕福な夫婦や周囲の人々が、何を選択しどう生きていくかを描くミステリー。正義を貫こうとする夫、愛する夫を見つめる妻、愛国心に燃える憲兵、皆それぞれが信じるもののために行動し、思いがけない展開となってゆく。製作のはじまりは、「神戸を舞台にしたドラマを8Kカメラで」というテーマで、NHKの作品として野原位が神戸の出身の黒沢監督に依頼。その後、濱口竜介と野原位がプロットを黒沢監督に渡し、プロデューサーが決まり、企画が進んでいったという。黒沢監督は脚本を執筆した濱口竜介と野原位と、実力派の役者たちを称えて、初めて時代物を手がけたことやこの物語の面白さについて語る。「何よりもまず、本当に面白いワクワクする脚本を書いてくれた2人に感謝したいと思います。彼らは東京藝大の生徒ですが、僕が何かを教えたわけではなく、もともと才能があったのです。監督としてだけでなく、物語を作る才能も。そのことを証明するような脚本でした。夫婦の愛情が周囲の影響でどんどん錯綜していき、やがて駆け引きや騙し合いにまで発展していく、そんな物語は僕には書けません。僕にできるのはせいぜい憲兵とスパイの丁々発止ぐらいです。それと、1940年代の日本映画を根拠にした台詞回しに挑戦することも、僕には思いつきませんでした。この時代の映画を作るなら、当然そうすべきなのでしょうね。しかも、会話がまた長い。2人は『ハッピーアワー』を書いているので予想はつきましたし、これを2時間以内の映画にするにはどうすればいいか、かなり苦労しましたが、それを達成できた点だけが僕の力でしょうか。でも、とにかくこの難しい会話に一字一句変えず俳優たちが全力で付き合ってくれて、嬉しかったです」

坂東龍汰,蒼井優

夫を心から慕う福原聡子役は蒼井優が、あどけなく無邪気で保守的な女性から、どんどん変化してゆく姿を鮮やかに。神戸の貿易会社「福原物産」の社長で、聡子の夫・福原優作役は高橋一生が、正義と信念を見すえ、厳しい判断のできる男性として。黒沢監督は主演の2人について、このように称賛している。「実際、おふたりと仕事をしてみると、立ち居振る舞いから、台詞の言い回しなど、現代人にはリアリティの置き所が非常に難しい役柄でしたが、見事に演じ切ってくれました。こういう本当にうまい俳優たちとの仕事では、僕は特に何も演出しません。ただどう撮れば二人の凄さがいちばんよく伝わるかだけを考えて現場に臨みます。蒼井さんは『いくつかパターンがありますが、どれで行きますか?』と提案してくれて、感情に任せて演じているわけではないんです。高橋さんも蒼井さんに近いタイプでした。優作という人物の底知れない、根源的妖しさは、すべて高橋さんの計算によるものです。また、うまい俳優が演じると、長台詞もこんなにうまくいくんだ、と感心しました。言っていることに思わず耳を傾けてしまう。聞き惚れる。感情に任せて喋るのではなく、人に聞かせる技術があるんです」
 聡子の幼馴染である神戸憲兵分隊本部の分隊長・津森泰治役は東出昌大が、優作の甥であり助手の竹下文雄役は坂東龍汰が、福原家の女中・駒子役は恒松祐里が、執事の金村役はみのすけが、優作と文雄が満州から連れ帰ってきた女性・草壁弘子役は玄理が、福原夫妻と付き合いのある野崎医師役は笹野高史が、それぞれに演じている。

高橋一生,東出昌大,ほか

劇中では、神戸市垂水区にある旧グッゲンハイム邸を福原夫妻の自宅として撮影。初めての時代物の撮影について、また現代にも通じる危機について、黒沢監督は語る。「古い時代に題材をとった作品を手がけるのは初めてでしたが、社会の行く末が歴史的に既に決定してしまっている中で、当時の人間が未来に何を目指して葛藤していたのかを想像することは、たいへん興味深い作業でした。戦争とは何か? それを定義するのはたやすくありません。世界の歴史の中には正義の戦争もあれば、侵略の戦争もあるでしょう。また、抵抗の為の戦争もメンツの為の戦争もあったでしょう。ただ民衆の側からひとつ言えることがあるとしたら、国家が些細なプライドや欲望を出発点にして知らぬ間に常軌を逸し、国民も次々とその狂気に感染していってとうとう全員が大殺戮を肯定する狂乱状態へと突き進んでしまうこと、それが最も身近な戦争なのではないでしょうか。1940年前後の日本がまさにそうした状況にありました。その中で何としても正気を保っていこうとする人間の姿を、僕はこの映画の夫婦を通して描こうとしました。聡子と優作にとって以前はごく普通であったことがだんだんと普通でなくなり、ついにこの狂気の外側へと脱出するのか、それとも内に留まってこれに耐えるのかの選択を迫られる、そんな2人の葛藤が現代の人々にどれほど共感されるか、僕にはわかりません。しかし、表面的には自由と平和が保証されたかに見える現代日本でも、我々は明日にも狂気の沙汰へと転落していく危機と隣り合わせであるように思います。この映画から、その危機のリアリティを少しでも感じとっていただければ幸いです」

この映画は、2020年9月12日(現地時間)にイタリアで開催された第77回ヴェネツィア国際映画祭にて、銀獅子賞(監督賞)を受賞。2003年の北野武監督作品『座頭市』以来、日本人監督による17年ぶりの銀獅子賞受賞も話題となっている。現在65歳の黒沢監督はヴェネツィア国際映画祭の関係者や観客に感謝を捧げつつ、このようにメッセージを伝えた。「(受賞を)大変驚いています。それと、言葉では言い尽くせないほどの喜びを感じています。この年齢になってこんなに喜ばしいプレゼントをいただけるとは夢にも思っていませんでした。長い間映画を続けてきてよかったなと今しみじみ感じております。本当にありがとうございました」
 2020年6月6日にNHKのBS8Kとしてテレビで放送され、ヴェネツィア国際映画祭にて銀獅子賞を受賞して世界的に認められ、同年の10月に映画として公開する本作。COVID-19の流行により映画館での上映と鑑賞について見直しや工夫がなされているなか、作品をどう観るか、配信やテレビドラマや映画といった境界や段階などがボーダレスになっていき、作品が観客に届くまでの新たなルートの構築や模索がなされているような感覚もある。いち観客としては、良作を観ることができるならどんな形であっても嬉しいと単純に思う。最後に、NHKドラマ放映時に寄せた黒沢監督のコメントをご紹介する。「過ぎ去った時代がまとう抽象性と、カメラが切り取る生身の人間の実在感とをどうやって両立させるのか、それは最初至難の技に思えました。しかし結果は素晴らしかった。何より主演俳優2人が渾身の演技でこの時代のリアリティを体現してくれたこと、そして各スタッフたちがそれを支え、超濃密でどこか神秘的な8K映像が見る者をたちまち1940年代の日本へといざなってくれたこと、すべてが最高のかたちで結びつきました。このような幸運な経験は、私の長いキャリアの中でも初めてのことです」

参考:「神戸新聞NEXT

作品データ

公開 2020年10月16日より新宿ピカデリーほかにて全国ロードショー
制作年/制作国 2020年 日本
上映時間 1:55
配給 ビターズ・エンド
監督 黒沢清
脚本 濱口竜介
野原位
黒沢清
音楽 長岡亮介
出演 蒼井優
高橋一生
坂東龍汰
恒松祐里
みのすけ
玄理
東出昌大
笹野高史
:あつた美希
ライター:あつた美希/Miki Atsuta フリーライター、アロマコーディネーター、クレイセラピスト インストラクター/インタビュー記事、映画コメント、カルチャー全般のレビューなどを執筆。1996年から女性誌を中心に活動し、これまでに取材した人数は600人以上。近年は2015〜2018年に『25ans』にてカルチャーページを、2015〜2019年にフレグランスジャーナル社『アロマトピア』にて“シネマ・アロマ”を、2016〜2018年にプレジデント社『プレジデントウーマン』にてカルチャーページ「大人のスキマ時間」を連載。2018年よりハースト婦人画報社の季刊誌『リシェス』の“LIFESTYLE - NEWS”にてカルチャーを連載中。
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