TOVE/トーベ

ムーミンの作者トーベ・ヤンソンの半生を描く
恋人たちを心から愛し、表現活動に打ち込み、
葛藤のなか国際的な人気を得たムーミン創作秘話

  • 2021/09/15
  • イベント
  • シネマ
TOVE/トーベ© 2020 Helsinki-filmi, all rights reserved

「ムーミン」の原作者であるフィンランドの作家トーベ・ヤンソンの半生をもとに描く物語。出演は、舞台『トーベ』のアルマ・ポウスティ、映画『マイアミ』のクリスタ・コソネン、『ストックホルム・ケース』のシャンティ・ローニー、『アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場』のロベルト・エンケル、スウェーデンの舞台や映画やテレビで活躍するカイサ・エルンストほか北欧の俳優たちを中心に。監督はフィンランド出身で『マイアミ』のザイダ・バリルートが手がける。第二次世界大戦下のフィンランド、「ムーミントロール」の物語を描き始めたトーベは、終戦後から画業に打ち込むが……。1928年に14歳で雑誌の挿絵を手がけ、1930年代から本格的に画家として活動するなか、彫刻家である厳格な父から批判され、保守的な美術界から思うように認められず、葛藤し思い悩む。一方、気の合う男性と付き合い、個性的な女性と恋に落ち、恋人たちと恋愛をするなかでどのように生きていくかを模索し、またアーティストとして表現の幅を広げてゆくさまを描く。トーベの半生と創作の経緯と共に、ムーミンがどのように生まれ、世界的な人気を得ていったかという背景を伝える作品である。

第二次世界大戦下のフィンランド、ヘルシンキ。激しい戦火のなか、画家トーベ・ヤンソンは、不思議な「ムーミントロール」の物語を描き始める。やがて戦争が終わると、トーベは爆撃でほとんど廃墟と化したアトリエを借り、自分で少しずつ手直しをして暮らし始め、本業である絵画制作に打ち込む。しかし著名な彫刻家である厳格な父から批判され、芸術家協会の会員に選出されるも保守的な美術界では居場所がなく、満たされない日々を送っていた。そんななか、若い芸術家たちが集まるパーティーで社会主義者の政治家で哲学者でもある穏やかな男性アトスと惹かれ合い、付き合い始める。その後、画家として活動するなかでトーベは舞台演出家のヴィヴィカと出会い、激しい恋に落ちる。トーベが気分転換に何かと描いていたムーミントロールについて、アトスからは彼が記者をする新聞での連載を提案され、ヴィヴィカからは舞台化をオファーされる。自身は画家であると自負するトーベは、ムーミンのイラストや物語ばかりが注目されることを複雑に思うが……。

TOVE/トーベ

本国フィンランドで大ヒットしたトーベ・ヤンソンの物語。まだ女性が作家として生きていくには厳しい時代に、トーベがどのようなスタンスで表現活動に取り組んでいったのか、また彼女が愛した人たちとの交流により、葛藤し思い悩みながらも自分らしい生き方や表現を育んでいく姿が実話を基に描かれていく。ムーミンキャラクターズ社のソフィア・ヤンソン(トーベの姪)は、トーベの自伝映画の製作について「とても光栄に思いました」とコメント。そして彼女はこのように語っている。「ムーミンキャラクターズ社とトーベ・ヤンソンの親族たちは製作の段階から参加し、脚本の内容に対してコメントしたほか情報や資料を提供しました」。バリルート監督は、トーベの個性や気性、オリジナルの信条や生き方に感銘を受けたと語る。「彼女の人生を描いたこの作品の製作準備にあたりリサーチをしていくうちに最も驚かされたのは、彼女が持つ情熱とエネルギー、強い感情と表現力、そして彼女の型破りな考え方でした」

トーベ役はアルマ・ポウスティが、自身の芸術表現や恋愛関係への葛藤について飾らずに表現。厳格な父との不和、画家として期待する評価が得られないこと、自分なりの良心や信条により悪びれずに恋人たちを同時進行で愛するさまを自然に表現し、役によく合っている。アルマは2014年にトーベ・ヤンソン生誕100年記念の舞台『トーベ』で若い頃のトーベ役を演じ、同年のアニメーション映画『劇場版ムーミン 南の海で楽しいバカンス』でフローレン(スノークのおじょうさん)の声を担当するなど、トーベに関わる作品と縁が深いそうだ。バリルート監督は映画で描いたトーベについて語る。「本作ではトーベの人生の30代から40代前半までを中心に、第2次世界大戦のさなかから彼女が人生をかけて愛したトゥーリッキとの出会いまでを描いています。この作品は、彼女がアートとムーミンを創作する過程で苦悩し、アーティストとしての自分を見つめ直す姿と、アトス・ヴィルタネンとヴィヴィカ・バンドラーとの情熱的な恋愛を主に描くことで、世界的に知られるムーミンのキャラクターに影響を与えたクールかつ自由奔放な“アーティストとしての人生”を物語っています」
 トーベと付き合う社会主義者の政治家で哲学者、作家やジャーナリストとしても活動するアトス役はシャンティ・ローニーが、優しく落ち着いたタイプながらも自分なりの信念をはっきりと持つ男性として。当時の市長の娘であり裕福な舞台演出家ヴィヴィカ役はクリスタ・コソネンが、演劇においてやり手ながらも周囲の人物と次々に関係をもってゆく恋愛体質の女性として。彫刻家であるトーベの父ヴィクトル役はロベルト・エンケルが、挿絵画家であるトーベの母シグネ役はカイサ・エルンストが、後年にトーベの生涯のパートナーとなるグラフィックアーティスト、トゥーリッキ・ピエティラ役はヨアンナ・ハールッティが、それぞれに演じている。また本作の脚本を執筆したエーヴァ・プトロが、トーベの友人マヤ・ロンドン役で出演している。

アルマ・ポウスティ,シャンティ・ローニー

トーベ・ヤンソン本人は、1914年フィンランドのヘルシンキ生まれ(第一次世界大戦の始まった年)。1928年、14歳の時にアッラス・クレーニカ誌に自作の賛歌とイラストが掲載、翌年にはガルム誌に風刺画が掲載され、10代の頃から表紙画も含めて数多くの風刺画を手がける。そして10代後半にはストックホルムで商業デザインを、ヘルシンキで美術を学び、1937年にフィンランドの芸術家協会の会員に選出。20代の頃には奨学金を得てフランスやイタリアに渡り、絵画技術を習得。1947年にフィンランドの首都ヘルシンキ市庁舎のフレスコ画2点を制作するなど数多くの公共建築に壁画を描く。1966年に国際アンデルセン大賞、1984年にフィンランド国家文学賞を受賞。小説は1972年の『少女ソフィアの夏』ほか。ムーミンについての詳細は、1943年にムーミントロールの原型らしきスノークがガルム誌に初めて登場。ムーミンの小説は、1945年に第1作『小さなトロールと大きな洪水』、1946年に第2作『彗星追跡』(のちの『ムーミン谷の彗星』)』、1948年に第3作『たのしいムーミン一家』、1950年に第4作『ムーミンパパの手柄話(のちの『ムーミンパパの思い出』)』、1954年に第5作『ムーミン谷の夏まつり』、1957年に第6作『ムーミン谷の冬』、1962年に第7作『ムーミン谷の仲間たち』、1965年に第8作『ムーミンパパ海へ行く』、1970年に小説シリーズ最終の第9作『ムーミン谷の十一月』を出版。ムーミンの絵本は、1952年に『それからどうなるの?』、1960年に『さびしがりやのクニット』、1977年に『ムーミン谷へのふしぎな旅』。また1954年に始まったイブニングニュース紙でのムーミンコミックスの連載により国際的な人気を得て、その連載をまとめた『ムーミンコミックス』の刊行が1957年からスタートした。
 この映画には実在の人物が多数登場していて、なかにはムーミンシリーズのキャラクターのモデルとなった人も。トーベの彼氏アトス・ヴィルタネンはスナフキンのモデルであり、スナフキンの緑の帽子はアトスに由来しているとのこと。アトスは政治家、哲学者、作家、ジャーナリストであり、1936年に社会民主党から国会議員に選出、いくつかの政党に移りながら1948年にはフィンランド社会主義連合党の代表を務めた人物だ。トーベの良き理解者で、ムーミンを執筆する上での相談相手だったという。後年にトーベの生涯のパートナーとなるグラフィックアーティストのトゥーリッキは、ムーミンに登場するトゥーティッキ(おしゃまさん)のモデル。また挿絵画家であるトーベの母シグネはムーミンママのモデル。シグネは結婚前の教師時代に、スウェーデンのガールスカウトを立ち上げるなど、女性の自由と自立を積極的に推進したそうだ。
 また映画の製作に携わったトーベの姪である前述のソフィア・ヤンソンは、フィンランドでムーミンの著作権を管理する「Oy Moomin Characters Ltd.」の会長であり、トーベの2人いる弟のうち末弟ラルスの娘。ラルスは映画の劇中でもあるように、ムーミンコミックスの連載をトーベと共同で行い、1960年にはトーベから連載を完全に引き継いだ人物だ。ソフィアはトーベの小説『少女ソフィアの夏』のソフィアや、絵本『ムーミン谷へのふしぎな旅』のスサンナのモデルとして知られている。ソフィアは「本作はドキュメンタリーではなく劇映画であるという点は理解してほしい」と前置きをしつつ、映画製作に熱意をもって関わったことについて語る。「(この映画は)ムーミンのファンにも楽しんでもらえる内容だと思います。製作過程に参加したのは“作家トーベ”の人生に限りなく忠実な作品にしたいという強い思いがあったからです。監督のザイダと主演のアルマとは幾度も様々なテーマについてディスカッションを重ねました。2人とは“良い作品を作ることが最も重要だ”という共通の思いがあると確認しました」

またコミックス『ムーミントロールと地球の終わり』で初登場した、自分たちだけに通じる秘密の言葉で話す2人組トフスランとビフスランは、トーベと恋人ヴィヴィカ・バンドラーを指しているとのこと。当時のフィンランドでは、1894年に制定された刑法により同性愛は精神疾患として指定のうえ犯罪とされていたことから、彼女たちは隠れて付き合っていたとのこと(フィンランドでは1971年に同性愛が非犯罪化、1981年に疾病分類リストから削除、2017年には同性婚が合法化)。実際にトーベとヴィヴィカはトフスランとビフスランと呼び合い、お互いにしか通じない言葉や暗号で愛を伝え合ったりしていたという。
 ところで、トーベの脚本、ヴィヴィカの演出により、1949年にヘルシンキのスウェーデン劇場にて初上演されたムーミンの演劇『ムーミントロールと彗星』の様子が、映画の後半で描かれている。人の手足のあるムーミンは見た目がだいぶシュールだが、トーベ本人が脚本として関わっていたオリジナルというのが興味を誘う。その後、1958年にトーベが脚本、舞台美術、衣裳を手がけたムーミンの演劇第2作「舞台袖のムーミントロール」、1974年にヘルシンキの国立オペラ劇場で「ムーミンオペラ」を上演したとのこと。本国フィンランドにおける、ジャンルを軽やかに飛び越えるムーミンのボーダーレスな活躍ぶりは、かなり気になる。近年では、2017年に日本のファンのために、フィンランド国立バレエ団が世界初演の演目としてムーミンバレエ「たのしいムーミン一家〜ムーミンと魔法使いの帽子〜」の来日公演を行った時も驚いたものの、もともと作者トーベの了解と協力のもとでムーミンを舞台化するルーツがあったことが、この映画でとてもよくわかる。

アルマ・ポウスティ,クリスタ・コソネン

多彩な表現力でさまざまに活躍したトーベ・ヤンソン。劇中で彼女は自問する。自分は何がしたいのか、自分はいったい何者なのか? おそらく後年には、好きなこと、できること、したいことをすべてするマルチな表現者である自身を満喫したと思われるが、その一歩手前で葛藤し逡巡したことも多々あったのだろう。そしてその時期の迷いや悩みもまた、表現者としてその後のトーベの糧となったに違いない。トーベが「油彩画家であり、フレスコ画家であり、イラストレーター、風刺画家、児童文学作家、漫画家、絵本作家、作詞家、舞台美術家、商業デザイナー、映像作家、そして小説家でもあった」こと、トーベの作品が時代を越えて、年齢、国籍、性別を問わず今も私たちに響くものを与え続けてくれていることはとても素晴らしいことだ。バリルート監督は、トーベという人物の魅力と映画で伝えたいことについて、このように語っている。「トーベは父親との関係のせいで心に傷を負っていましたが、持ち前のポジティブさと常に周囲を考え理解する力、さらに誰からも好かれた彼女の明るさに私も刺激と希望を与えられました。彼女の知られざる側面を可能な限り忠実に、そして繊細に描くことで、彼女がいかに情熱的な人物で自由を愛していたかを映画を観た方に知ってほしいのです。映画はトーベの人生を通し、勇気と独立心を讃えています」

参考:「Oy Moomin Characters Ltd.」、「ムーミン公式サイト

作品データ

公開 2021年10月1日より新宿武蔵野館、Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかに
制作年/制作国 2020年 フィンランド・スウェーデン合作
上映時間 2:00
配給 クロックワークス
原題 TOVE
監督 ザイダ・バリルート
脚本 エーヴァ・プトロ
出演 アルマ・ポウスティ
クリスタ・コソネン
シャンティ・ローニー
ヨアンナ・ハールッティ
ロバート・エンケル

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