リトル・リチャード アイ・アム・エヴリシング

ロック創始者のひとりであるリトル・リチャード
ヒット曲の誕生秘話やクイアとしての波乱の人生を
多彩な映像と証言で構成する良質なドキュメンタリー

  • 2024/02/26
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リトル・リチャード アイ・アム・エヴリシング©2023 Cable News Network, Inc. A Warner Bros. Discovery Company All Rights Reserved

1986年の第1回ロックの殿堂入りアーティストであり、ロックの創始者のひとりであるリトル・リチャードの音楽活動と波乱の人生を描くドキュメンタリー。リチャード本人のアーカイヴ、彼の親族や関係者、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、ポール・マッカートニー、デイヴィッド・ボウイら著名ミュージシャンや、映画監督ジョン・ウォーターズらによる証言で構成。監督は音楽業界を経験後、『プレシャス』など映画製作を手がけてきたリサ・コルテス。黒人の女性監督であるコルテスはLGBTQ+というマイノリティの視点を有識者の分析も取り入れ、リチャードの音楽と激動の人生の背景を映してゆく。大勢のミュージシャンがカヴァーしてきた「トゥッティ・フルッティ」「のっぽのサリー」など数々の楽曲を創作した時のこと、白人ミュージシャンがカヴァーしていったことへの思い、64歳にしてようやく音楽業界で正当に評価されたこと。同性愛や異性装が違法だった時代から実践してきた性的マイノリティーの先駆者であり、リチャードがいかに後進に多大な影響を与えた伝説的存在であるかを、たくさんのライヴ映像と証言で丁寧に伝えてゆく良質なドキュメンタリーである。

1932年、米ジョージア州メイコン、教会が多く保守的でありつつもブルースがあふれる田舎町。リトル・リチャードことリチャード・ウェイン・ペニマンは12人兄弟の3番目として貧しい家庭に生まれる。子どもの頃にはメソジスト監督教会の聖歌隊でゴスペルを叫ぶように歌い、メイクをして母親のブローチをつけて着飾って教会へ行っていた。父親はクイアと呼ばれる性的マイノリティーであったリチャードを忌み嫌い、実家から追い出す。リチャードは白人向けのもぐり酒場のようなクラブで住み込みのバイトを始め、ブルースやゴスペルを歌い始める。ある日、ロックンロールの母と呼ばれる黒人歌手シスター・ローゼタ・サープが同クラブを訪問。彼女のことが大好きだったリチャードが自分の歌を聴かせると、サープは「私よりうまい」と絶賛。舞台で歌うことが決まり、これがリチャードの初ステージとなる。2年後、故郷を出てリトル・リチャードを名乗り、ステージでは女装し、女性としてパフォーマンスなどもして、同性愛、異性装が違法だった時代にステージだからこそ許される表現を続けていく。そしてたくさんの出会いを経て、1955年に自作の曲「トゥッティ・フルッティ」を、音楽プロデューサーの提案により猥褻な歌詞が黒人の女性ソングライターにより改変され、デビュー・シングルとしてリリース。黒人の曲は黒人専用局で流されるのみという時代に独立系DJアラン・フリードがカーラジオで紹介したことから、人種を問わず爆発的なヒットとなり、クイアであることも含めてアイコンのような存在となっていく。

リトル・リチャード

CNNとROLLING STONEの共同製作により提供された、リトル・リチャードの貴重な資料やアーカイヴが堪能できるドキュメンタリー映画。ひとりのミュージシャンの人生を描くのみならず、同性愛や異性装が違法だった時代からクイアであり同性愛者としてオープンに生きてきたこと、また公民権運動が始まる前の時代において黒人のクリエイターが味わってきた苦悩について、有識者や関係者の証言も交えて映してゆく。ロック黎明期の基礎を築いたひとりでありながら、黒人でクイアのミュージシャンであり性的表現を隠喩であからさまに歌うことからも軽んじられてきたこと、リチャードの曲でありながらエルヴィス・プレスリーやパット・ブーンら白人アーティストのカヴァーの方が売れることなどさまざまな葛藤を経て、一度は歌手活動をやめて大学で神学を学び、学友の女性と結婚。生活費の困窮から表舞台に戻って音楽活動を再開しイギリスツアーが成功。妻と離婚してミュージシャンとしてハードに活動するなかで薬物中毒になり、弟や友人の死によって再び神の道へ……と、リチャードが信じる両極を行き来する極端なさまも伝えられている。内容の構成としては、リチャード自身の発言をメインとして出生から晩年までを紹介。そこに当時の彼を知る親族、友人、関係者の証言を交えて、リトル・リチャードの人となりを立体的に描き出している。ライヴ映像はリチャード本人のものに加え彼が影響を受けたシスター・ローゼタ・サープ、ゴスペル・アーティスト、そしてリチャードのファンだったというビートルズなどさまざまなミュージシャンの演奏が楽しめるのも特徴だ。

リトル・リチャード,ほか

劇中ではリトル・リチャードを知る人々としてたくさんの著名人や有識者たちが登場。ローリング・ストーンズのギタリストであるキース・リチャーズ、ビートルズのポール・マッカートニー、デイヴィッド・ボウイらが、リチャードについて熱心に語っている。リチャードが1回目のイギリスツアーの際に、デビュー前のビートルズ4人と一緒に撮影した写真が紹介され、ジョン・レノンが「4人とも大興奮だったよ。畏敬のあまり硬直してしまった」話すコメントも。ポールは「学校で机の上に立ちリチャードの曲を歌った」と話し、「歌で叫ぶのはリチャードの影響さ」とも。そしてリチャードとビートルズの4人が会った時のことを「弟子のように彼を囲み、何時間も過ごした」と語る。そしてリチャードの曲「のっぽのサリー」をビートルズのカヴァーでポールが歌うライヴ映像も。
 またローリング・ストーンズのヴォーカル、ミック・ジャガーは、リトル・リチャードの2回目のイギリス・ツアーで前座を務めた時のことを嬉しそうに笑顔で話す。「初期のツアーはリトル・リチャードの前座だった。当時の俺たちはカヴァーばかりやってたんだ。彼のステージを毎晩舞台袖から見た。イギリスのバンドは動かない。リチャードはステージを目いっぱい使う。観客を動かす力があった。みんなイスの上に立って叫び手を振った。コール&レスポンスもある。30日間毎日彼のステージを見たよ。イングランド北部ではゴスペル風のステージもあったそうだ」
 映画のサウンドトラックには、リチャードのデビュー曲「トゥッティ・フルッティ」、大勢がカヴァーしている「のっぽのサリー」、そして「ルシール」「リップ・イット・アップ」「グッド・ゴリー・ミス・モリー」、さらにカヴァー・ヴァージョンなど14曲が収録されている。

ミック・ジャガー

リトル・リチャードのビジュアルから特に思い出すのは、個人的にはクイーンのフレディ・マーキュリーとプリンスだ。2人ともリチャードのファンだったことは有名で、口髭やメイク、衣装やパフォーマンスなど大きな影響を受けたのだとわかる。また映画には多大な影響を受けたとして、『ヘアスプレー』(1988)や『クライ・ベイビー』(1990)の映画監督ジョン・ウォーターズも登場。楽曲「ルシール」が「反抗へのエネルギーを与えてくれた」と話し、リトル・リチャードが主題歌を歌い本人役で出演もした1956年の映画『女はそれを我慢できない』のことや、自身の細いラインのような口髭について笑顔で楽しそうに語っている。「ロックの映画は全部観た。『女はそれを我慢できない』もそうだ。曲の魅力が1000倍になった。当時彼がゲイであることは知らなかった。彼は私のアイデンティティーの一部だ。50年以上リチャードと同じヒゲにしている。彼へのトリビュートだよ。あの映画がロックンロールをより広い層に広めたんだ」
 そしてイギリスの歌手トム・ジョーンズも、映画『女はそれを我慢できない』を観た時の感動を語る。「それまでの作品とは何もかも違った。『俺もあれをやるぞ』と心に決めた。映画のおかげでリチャードはロックンロールの主要人物になったんだ。ファッツ・ドミノ、チャック・ベリー、エルヴィス・プレスリー、ジェリー・リー・ルイス、そしてリトル・リチャード。“ビッグ・ファイヴ”さ。リチャードが一番強烈だった」

「俺の音楽が差別の壁を壊した」
 コルテス監督は現代のクリエイティブ活動につながる道を切り開いてきた先駆者として、リトル・リチャードの存在の重要さをこのように強く確信している。「現在、リトル・リチャードの闘いの物語はこれまで以上に重要性を増してきています。人種やLGBTQ+に基づいた本が続々と出版され、政治家が同性婚などの問題に対し公然と疑問を呈すこの時代に、1930年代のジョージア州メイコンに遡り、リチャード・ウェイン・ペニマンの人生の軌跡をたどること。黒人アーティストとして成功し、国際的な名声を得た後も、リチャードは革命家として人種や音楽、そしてジェンダーの壁を声高らかに壊し続けました。現代のアーティストたちは彼のおかげで今日、人種やセクシュアリティの問題を乗り越えることができています」
 公民権運動が始まる前から熱く活動し続けた革新的なミュージシャンの実話。当時、「黒人のクリエイターが軽視されていた」ことから、リトル・リチャードをはじめ黒人が生み出した音楽を白人ミュージシャンがカヴァーするなど、社会全体が「黒人っぽさを薄めようとしていた」という見解は、アメリカの現代音楽の潮流において納得できる面もある。ただ白人ミュージシャンは黒人ミュージシャンよりも劣っている、というニュアンスは間違いであり、人種で区切るのではなく個々の創造性や表現の特性を尊重し合い、音楽の可能性を共に高めていけるのではと考えられるし、それが現代においてすでに始まっていることはコルテス監督も示している通りだ。
 1997年、リトル・リチャードは64歳の時にアメリカのロサンゼルスで行われた第24回アメリカン・ミュージック・アウォードにて功労賞を受賞。「ROLLING STONE」誌が選ぶ「最も偉大なアーティスト100人」で第8位、「最も偉大なシンガー100人」で第12位に選出。2013年にアーティスト活動を引退し、2020年に87歳で他界した。最後に、アメリカン・ミュージック・アウォードの授賞式にて、デイヴィッド・ボウイがやさしい笑顔で寄せたお祝いのメッセージを紹介する。「ジョージア・ピーチ(リチャードの愛称)、おめでとう。ロックの創造を助けてくれてありがとう。ロックこそ20世紀最良のアートだ。君に神のご加護を」

作品データ

公開 2024年3月1日よりシネマート新宿、ヒューマントラストシネマ渋谷、角川シネマ有楽町ほかにて全国ロードショー
制作年/制作国 2023年 アメリカ
上映時間 1:41
配給 キングレコード
原題 LITTLE RICHARD:I AM EVERYTHING
製作・監督 リサ・コルテス
出演 リトル・リチャード
ミック・ジャガー
トム・ジョーンズ
ナイル・ロジャーズ
ノーナ・ヘンドリックス
ビリー・ポーター
ジョン・ウォーターズ
:あつた美希
ライター:あつた美希/Miki Atsuta フリーライター、アロマコーディネーター、クレイセラピスト インストラクター/インタビュー記事、映画コメント、カルチャー全般のレビューなどを執筆。1996年から女性誌を中心に活動し、これまでに取材した人数は600人以上。近年は2015〜2018年に『25ans』にてカルチャーページを、2015〜2019年にフレグランスジャーナル社『アロマトピア』にて“シネマ・アロマ”を、2016〜2018年にプレジデント社『プレジデントウーマン』にてカルチャーページ「大人のスキマ時間」を連載。2018年よりハースト婦人画報社の季刊誌『リシェス』の“LIFESTYLE - NEWS”にてカルチャーを連載中。
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