彼女がインドで生涯を捧げた救済活動とは?
実践により、身をもって愛と救いを説いた軌跡
そのひたむきな生き様を映したヒューマン・ドラマ
1997年に87歳で帰天するまで、貧しい人や病める人など社会的弱者への奉仕にその生涯を捧げたマザー・テレサ。その愛と実践を貫いた半生が映画化された。主演は1968年の『ロミオとジュリエット』のみずみずしい演技で、日本でも大人気となったオリビア・ハッセー。マザーの活動拠点であったインドのカルカッタを舞台に、そのひたむきな心と行動力、さまざまなエピソードの表と裏を描くヒューマン・ドラマである。
1946年のカルカッタ。カトリックの女子校で教師をしていたマザー・テレサは、神の意思を感じ、所属する修道会に院外活動の許可を求める。最初に退けられた望みはバチカンのローマ法王によって受け入れられ、貧困に苦しむ人々が暮らす街中で独自の活動を開始。医療や薬学の訓練を受けた彼女はボランティアとともに、病人や孤児のための施設を作り上げていく。
青空教室や孤児院に始まり、新しい教団“神の愛の宣教者会”、世間に見捨てられた重病患者を看取る施設“死を待つ者の家”、ハンセン病患者のためのコミュニティ“平和の村”……。たったひとりの女性の生涯とは思えないほど、想像を超える偉業を遂げているマザー・テレサ。漠然としかその存在を意識していなかったことが恥ずかしく、彼女の功績を連ねた資料を読むだけでも涙がこぼれた。
布教も募金もせず、修道服ではなく綿の質素なサリー(インドの民族衣装)を身につけて、たった独りスラムで活動を始めたマザー。彼女自身は敬虔なカトリックの修道女であるものの布教や勧誘などはせず、キリスト教もヒンズー教も分け隔てなく、弱者に救いの手を差し伸べた。政治的・宗教的ないざこざといった軋轢が押し寄せようと、ノーベル平和賞などの受賞により立場が確立されようと、その姿勢は1ミリも変わらない。毎朝4時に起きて、シスターやボランティアとともに奉仕活動をする。そうした無私無偏の誠実な在り方と本物の救済活動には、やはり胸を打たれた。特定の宗教に属さず、墓参りではとりあえず仏教、という不心得な身でも、マザーの言葉や行動はすとんと響く。それはきっと、何者にも冒されない純粋かつ鋼の信念と前向きな実践力、という筋も血も通った大いなる人間性のせいだろう。
「マザーを演じるのが20年以上の間の夢だった」と語るハッセー。本作では付け鼻など約4時間もの特殊メイクを施してマザーを熱演。スケジュールはオファーを受けた翌日にローマ入りし、一週間半後に撮影開始。撮影は1日約15時間で週6〜7日、それと平行して編集も行う、とかなり急でハードなものだったそう。しかしもともとハッセーはマザーの行動に感銘を受け、彼女に関する本や映像に触れていたため「心の中では20年間準備し続けた役だと思っている」とのこと。そして撮影前には改めてドキュメンタリー映像をじっくり観て、マザーの話し方や立ち居振るまいを会得。映画では生前のマザーを知る人も「似ている」というほど、雰囲気を的確にとらえているようだ。
旬の有名俳優が出演する大作とは対極にある小品の本作。伝記映画でありながら説明が多すぎたり間延びしたりすることもなく、人間ドラマとして楽しめるようにうまくまとめられている。凡人には突飛と感じさせるほど、マザーの正論に基づく行為、その発想の深さや先見性に気づかず、反発する行政や人々との衝突や和解などがわかりやすく描かれている。
「愛は“与えること”で、一番良く表現されうるのです」。本作では男女の恋愛については何も語られないが、マザー・テレサの生き様を通して愛の本質が全編で語られているかのよう。それは、生かされていることに対する感謝と謙虚の念。……かといって高尚で宗教臭く、説教漬け、という作品ではない。ただただひたむきに生涯を駆け抜けていった女性の清々しい物語であり、シンプルな感動作である。
公開 | 2005年8月中旬公開 日比谷シャンテ・シネほかでロードショー |
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制作年/制作国 | 2003年 イタリア・イギリス |
上映時間 | 1:59 |
配給 | 東芝エンタテインメント |
監督 | ファブリツィオ・コスタ |
原作・製作 | エルモア・レナード |
出演 | オリビア・ハッセー セバスティアーノ・ソマ ウラ・モランテ ミハエル・メンドル イングリッド・ルビオ |
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