ゲイになった父、恨む娘、父の恋人と仲間たち――
少しズレた人たちが織り成す悲喜こもごも
犬童一心×渡辺あやのコンビが贈る温かな寓話
『ジョゼと虎と魚たち』の監督・犬童一心と脚本家・渡辺あやによるオリジナル・ストーリー。海辺にひっそりと建つゲイのための老人ホーム“メゾン・ド・ヒミコ”をめぐる、ある夏の物語。出演は柴崎コウ、オダギリジョー、田中泯。笑うも泣くも、楽しみも辛さも、明るさも暗さも丸ごとすべて、エネルギーがダイレクトに伝わってくる哀しくも温かい作品である。
借金を抱える沙織は、小さな塗装会社の事務員をしつつ、夜はコンビニで働いている。ある日、春彦という男が彼女のもとを訪れ、老人ホームを手伝わないか、と切り出す。そこは同性愛に目覚め、母と沙織を捨てた父が営む老人ホーム“メゾン・ド・ヒミコ”。そして春彦は、今は卑弥呼と名乗る父の恋人であり、父は末期ガンを患っていた。
「末期ガンだろーが何だろーが関係ない!」と言い放つ沙織、「茶番ね」と冷ややかに呟く卑弥呼。のっけから陳腐なお涙頂戴ではすませない、というアピールが感じられて気持ちいい。画面には、ひたすら日常の風景が映る。食事して、洗濯して、掃除して、ゴミ出しをする。掃除に至っては、玄関を掃き、窓を拭き、プールを磨いて、隅々まで沙織が綺麗にしていく。家族を捨てた父や、ゲイ仲間に対する反抗心からブスッとふてくされてはいても、給料分の働きはきっちりする律儀さや、せっせと家事をこなす手際のよさに、沙織の心根の良さが語るともなく語られる。そんなところも清々しい。
すっぴんに濃い眉毛やそばかすなどを施して、愛想なしの沙織を演じた柴咲コウ。いつもながら、台詞の間合いやふとした表情に本能的な演技のセンスを感じさせる。それらしい雰囲気でハマッていた春彦役のオダギリジョーもさることながら、素敵だったのは卑弥呼役の田中泯。顔も声もまんま男で、ロングのガウンに帽子をかぶった姿を最初に観たときには不気味に思えたが、その超然とした佇まいは潔く深く、唯美的。居るだけで説得力のあることがじわりじわりと伝わってきて、驚いた。彼は映画出演こそ『たそがれ清兵衛』『隠し剣 鬼の爪』に続く3作目であるものの、舞踏家としては国内外の一線で活躍するプロフェッショナル。あの絶対的な唯一無二の存在感は、彼でなければ表現できなかっただろう。
家族やジェンダーなど要素はいろいろだが、わかりやすいテーマが明確にあるわけじゃない本作。だが瞬間にほとばしる思いや涙、理屈では割り切れない展開や会話になってない会話に、不思議と響いてくるものがある。愛情や欲望や混乱や気づき、すべてがごっちゃになってどろりとし、自分でもわけがわからずにあふれだすような感覚が、とても正直に表されている。
どこか無国籍なムードのメゾン・ド・ヒミコの建物やゆっくりと広がる青空など、印象的な映像づくりは、CMディレクター時代に数々の受賞を果たした犬童監督ならでは。尾崎紀世彦の「また逢う日まで」ディスコMIXでミュージカルばりに皆でダンス、オリジナルの変身ヒロインアニメを挿入するなど、飽きさせない工夫を上手く配している。また、ナスの牛やキュウリの馬、くるくる回る回転行灯を据えたお盆の光景、流しそうめん用の気合の入った竹組みなど、ノスタルジーだけじゃなく日本の夏を伝えたい、という意識にも感じ入った。
実は“ジョゼ虎”よりも前から企画され、約5年越しで作り上げたという本作。“ジョゼ虎”でデビューした新進脚本家・渡辺あや氏のシナリオに、犬童監督がねばり強く提案を繰り返し、完成へと導いたのだそう。可能性に時間と手間を惜しまず注ぐ心ある監督と、人間の良さやダメさ、微妙なニュアンスをくっきりと押し出せる脚本家との出会いは観客にとって嬉しいこと。犬童×渡辺コンビによる次回作も楽しみだ。
普段の生活でも、実はそこかしこにある愛のようなもの。当たり前すぎて見逃して、弱々しいと見くびって、偽モノで身を切った痛みを知ったとき、本物の存在に初めて気づく。そんな意味のあるようなないような回り道をする、ちょっとピンボケな人たちの物語。きっと誰もがもれなく、愛のようなものにたどり着ける。そんなお伽噺のようなことが信じたくなる、ビタースウィートな物語である。
公開 | 2005年8月27日公開 8月27日よりシネマライズ、9月10日より新宿武蔵野館ほかにて全国順次ロードショー |
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制作年/制作国 | 2005年 日本 |
上映時間 | 2:11 |
配給 | アスミック・エース |
監督 | 犬童一心 |
脚本 | 渡辺あや |
音楽 | 細野晴臣 |
出演 | 柴崎コウ オダギリジョー 田中泯 西島秀俊 歌澤寅右衛門 青山吉良 |
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