ザ・ユナイテッド・ステイツ vs. ビリー・ホリデイ

伝説的なシンガーはFBIの陰謀で追い詰められ……!?
ビリー・ホリデイが人種差別による虐殺を告発する曲
「Strange Fruit」を歌い、信念を貫こうとする姿を描く

  • 2022/01/31
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ザ・ユナイテッド・ステイツ vs. ビリー・ホリデイ© 2021 BILLIE HOLIDAY FILMS, LLC.

1959年に44歳で夭折した不世出のジャズ・シンガー、ビリー・ホリデイと代表曲「Strange Fruit(奇妙な果実)」について映画化。出演は、本格的な演技は今回が初めてとなるミュージシャンのアンドラ・デイ、映画『ムーンライト』のトレヴァンテ・ローズ、『オン・ザ・ロード』のギャレット・ヘドランド、『ヘルプ 〜心がつなぐストーリー』のレスリー・ジョーダンほか。監督は『プレシャス』のリー・ダニエルズ、脚本はピューリッツァー賞受賞の劇作家スーザン=ロリ・パークスが手がける。白人による黒人へのリンチを暗喩する内容を歌った「Strange Fruit」が大ヒットし、ビリー・ホリデイは国民を扇動する危険分子としてアメリカ政府から敵対視される。ひとつの曲を歌うだけで投獄の危険があり、それを避けるために持ち歌を自由に歌うことができない、という1940〜’50年代当時のアメリカを生きたビリー・ホリデイの実話を基に描く。代表曲である「Strange Fruit」「All Of Me」「God Bless The Child」などと共に、ビリー・ホリデイが波乱に満ちた生涯で「Strange Fruit」により信念を貫こうとしたことを示す作品である。

人種差別が横行するなかで公民権運動への流れがみえ始める、1940年代のアメリカ。白人による黒人へのリンチを暗喩して告発する楽曲「Strange Fruit(奇妙な果実)」は、黒人ジャズ・シンガー、ビリー・ホリデイ最大のヒットとなる。アメリカ合衆国政府から反乱の芽をつぶすように命じられた連邦麻薬局(麻薬取締局[DEA]の前身であるアメリカ合衆国財務省管轄の機関)は、国民を扇動する危険分子としてビリーを敵対視してマーク。黒人のFBI捜査官であるジミー・フレッチャーをビリーのもとに送りこむ。厳しい環境のなかで波乱の日々を生きてきたビリーは、薬物依存から抜けられずにいるなか、シンガーとしてはジミーを含めて人種を問わず大勢の人たちを魅了していく。その影響力を恐れたFBIは、ビリーを陥れる罠を仕掛け……。

アンドラ・デイ,ギャレット・ヘドランド,ほか

ビリー・ホリデイと代表曲「Strange Fruit」について、ミュージシャンのアンドラ・デイを迎えてリー・ダニエルズ監督が映画化した作品。原作はヨハン・ハリの2015年の著作『Chasing the Scream: The First and Last Days of the War on Drugs.(邦題:麻薬と人間 100年の物語─薬物への認識を変える衝撃の真実)』の「The Black Hand」の章より、脚本は舞台作品「Topdog/Underdog」で黒人女性作家として初めてピューリッツァー賞(戯曲部門)を受賞したスーザン=ロリ・パークスが手がける。リー・ダニエルズ監督は自身が「都会で育った黒人の子ども」だったと話し、ビリー・ホリデイの自伝『Lady Sings the Blues』が原作である1972年の映画『ビリー・ホリディ物語/奇妙な果実』が、「私が今日映画製作者になった理由のひとつ」というほど思い入れのある作品とのこと。監督はこの映画をつくろうと決意した時の気持ちを語る。「スーザン=ロリ・パークスからこの脚本を受け取ったとき、私はただただ驚かされました。私は黒人の歴史を知っているつもりでしたが、実はビリー・ホリデイについてのことは知らなかった。彼女が『Strange Fruit』を歌ったために、アメリカ政府が彼女をターゲットにしたことを知らなかった。知らない自分にイラついたほどでした。(人種差別への抗議を)誰もできなかった時代に、キング牧師やマルコムXよりも前に、アメリカの公民権運動の先駆けだった。だから私はこの映画をつくろうと決めたのです」

ビリー・ホリデイ役はアンドラ・デイが、歌手として成功しながらも恋人に金を搾り取られて暴力をふるわれ、薬物に依存し続けて弱っていく姿を体当たりで熱演。アンドラは体重を74kgから56kgに減量し、演技のコーチの訓練を受け、話し方も歌声も変えて役作りに打ち込んだとのこと。当初ダニエルズ監督は俳優で有力な候補が何人かいたことから演技未経験のミュージシャンを起用したいとは思えず、アンドラも「最初は勇気がなかった」ことから、自分は俳優ではないしそもそもビリーを演じるなんて恐れ多いと感じ、「彼女は私の最大のインスピレーションの源だから、ビリー・ホリデイが遺した功績に汚点を残すようなことは絶対にしたくない」「とんでもない、やりたくない」と思ったとのこと。しかし2人は周囲から強くすすめられ会って話し、映画のテーマに心を打たれたアンドラは演技コーチの訓練を受け、役作りで変化したアンドラに監督は驚愕してビリー役に決定したそうだ。自身が歌う曲「Rise Up」がBlack Lives Matter運動の曲のひとつとされているアンドラは、ビリーへの敬愛を語る。「彼女は当時、多くのものと戦い、基本的に1人で戦っていたの。これは公民権運動の始まりだった。私は実際に彼女を公民権運動の始祖だと見なしている。彼女は自分が行っている多くのことについて悪びれなかった。自分と同じ黒人のために戦うとなればなおさらね」
 潜入捜査のためにビリーのもとへ送られたFBIの捜査官ジミー・フレッチャー役はトレヴァンテ・ローズが、DEAの前身である連邦麻薬局の局長ハリー・J・アンスリンガー役はギャレット・ヘドランドが、サックス奏者のレスター・“プレズ”・ヤング役は自身もミュージシャンであるタイラー・ジェームズ・ウィリアムズが、ビリーの友人でヘアスタイリストのロズリン役はダヴァイン・ジョイ・ランドルフが、ビリーの友人でゲイであると公言していたスタイリストのミス・フレディ役はローレンス・“ミス・ローレンス”・ワシントンが、ビリーの最後の夫ルイス・マッケイ役はロブ・モーガンが、ジミーの同僚であるFBI捜査官サム・ウィリアムズ役はエヴァン・ロスが、ビリーの女性の恋人タルーラ・バンクヘッド役はナターシャ・リオンが、それぞれに演じている。

アンドラ・デイ

1959年に44歳で死去したビリー・ホリデイ本人の人生は、子どもの頃から非常に苦難に満ちていた。メイドの母とジャズ・バンドのミュージシャンの父、10代の両親のもとに生まれ、母方の親戚の家で暮らすなか、10歳でレイプされる。その時の法廷では、父親がジャズ・バンドのミュージシャンであるという理由で10歳の少女だった彼女が売春婦とみなされた。14歳の時にはニューヨークの売春宿で性行為目的によって人身売買され、彼女も母親も売春で逮捕されて投獄。その後、音楽が好きだったビリーは違法営業のクラブで歌い始め、シンガーとしての実力で生きる道を獲得していった。破滅的と評される彼女の人生は、薬物に依存しなければ生きていられないほどであったこと、また薬物依存によりさらなる悪いループから抜け出せなくなっていくさまが痛いほど伝わってくる。それでも有名人が人種差別への抗議をすることはまだほとんどなかった時代に、「Strange Fruit」を歌い続けようとしたビリーをダニエルズ監督は称賛する。「政府が彼女の元にやってきても、彼女はひるまなかった。政府は彼女のキャバレー・カード許可証を奪って歌えないようにしたけれど、彼女はやめなかった。ビリー・ホリデイは真のヒーローだったんだ」

リンチで殺され木に吊りさげられる黒人の死体を「奇妙な果実」として、人種差別による虐殺を告発する曲「Strange Fruit」。ビリー・ホリデイは23歳の時にニューヨーク・シティ初の白人と黒人が同席できるナイトクラブ「カフェ・ソサエティ」で、ほぼ白人の観客を前に「Strange Fruit」を歌い始めたとのこと。しかし南部での報復と非難を恐れたプロデューサーはこの曲のレコーディングを拒否し、契約していたコロンビア・レコードもリリースを拒否。ほかのレーベルでのレコーディングが認められたことから、インディーズ系のジャズ・レーベルから1939年にレコードをリリース。このレコードは100万枚以上を売り上げ、ビリー・ホリデイの最も売れたレコードとなったことが知られている。
 劇中では、アンドラが印象的に「Strange Fruit」を歌い上げている。「私の本来の歌声とはまったく違う」というアンドラはビリー・ホリデイの曲を歌うためにトレーニングをして歌い方を変えて臨んだとのこと。また歌の部分は事前にレコーディングして口パクで撮る予定だったが、ダニエルズ監督は撮影でしっくりこないと感じ、その場で歌うライヴでの撮影に変更。アンドラは撮影現場で歌った時に、心に刻まれたことを語る。「彼女として、そして私自身として『Strange Fruit』を生で歌うことは、痛みのある体験だった。同時に奇妙だけれど、カタルシスでもあった。彼女、私の両親、今でもさまざまな理由から戦い続ける人々に対する感謝の気持ちがわいたの。言葉にするのは難しい、とても現実離れした経験だった。困難で、痛みが伴い、本当に解放的、そうしたことを一度に経験した。忘れられないし、何回歌ってもまたあんなふうには入り込めないでしょうね」
 さらに映画では、「Strange Fruit」「All Of Me」「God Bless The Child」といったビリー・ホリデイの有名な曲をはじめ、さまざまな曲が楽しめる。
 また、ビリー・ホリデイの衣装はプラダとコラボレーションしていることも話題に。スタイリストからの提案と、ダニエルズ監督がミウッチャ・プラダと個人的なつきあいがあったこともあり決まったそうだ。なかでも特に目を引くのは、最初のシーンでビリーがまとっているコラム・ドレスで、プラダの2014年春夏コレクションに着想を得たとのこと。アイボリーのダブル・シルクサテン、クリスタルの刺繍、アップの髪型で左耳の上には白いクチナシの花を飾っている。ステージで歌う姿は後のシーンでもでてくるので、しっかり見ることができる。

アンドラ・デイ,トレヴァンテ・ローズ

原作の著者であるイギリス出身のジャーナリスト、ヨハン・ハリはケンブリッジ大学卒の切れ者で、いくつかのジャーナリズムの受賞歴がある一方、現在は盗用や捏造が指摘され、それに関して自己保身のためにインターネット上で別人になりすまして他者に悪質な描き込みをしたうえ、自身を批判した人物を名誉棄損で訴えるなどさまざまな問題があることが明らかになっている。そうしたことを知ると、事実ベースであるはずの映画の内容に不安がよぎるのは否めない。実際、それを知る前に映画として観ていて、どこか強硬に一方的な視点からストーリーに入り込みづらい感覚が個人的にあった。ただ同時にアンドラの熱演や楽曲や衣装など引き込まれるものがあるのは事実なので、内容についてはこうした視点もあるとして、距離感をもって冷静に観るくらいがちょうどいいかもしれない。監督はこの映画に込めた思いをこのように語っている。「私は視聴者に、主導者というものはあらゆる姿と体格と皮膚の色で現れるのだと理解してほしいんだ。この映画を見終えた人々が、自分にも世の中を変えることができると知ってほしい。それこそ、ビリー・ホリデイが自分なりのやり方で行ったことだから」

人種差別による虐殺を告発する曲「Strange Fruit」を歌い続けようとしたビリー・ホリデイと、彼女を追い詰めたFBIとの対立を描く本作。この内容から資金集めに苦労し、ダニエルズ監督が奔走して映画がようやく完成したとのこと。ともすれば人々の分断が深まるような内容を、どうして今の難しい時期に? と個人的に感じる面もある。ダニエルズ監督はアメリカ社会の現在と、本作のテーマについて語る。「今は希望に満ちた瞬間はありません。この題材に惹かれたのは、私たちが今、危機に直面しているからです。アメリカはかなり混乱していることは明らかで、もうそれを隠すことすらできません。最近の出来事が、まさにそれを証明していると思います。私たちは分断され、ひとつではない。それは醜いことです。だから、『ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ』は、私たちが今置かれている時代を物語っています。今こそ声を上げようと呼びかけているのです」

作品データ

公開 2022年2月11日より新宿ピカデリーほかにて公開中
制作年/制作国 2021年 アメリカ
上映時間 2:11
配給 ギャガ
原題 THE UNITED STATES VS. BILLIE HOLIDAY
監督 リー・ダニエルズ
脚本 スーザン=ロリ・パークス
原作 ヨハン・ハリ
出演 アンドラ・デイ
トレヴァンテ・ローズ
ギャレット・ヘドランド
レスリー・ジョーダン
:あつた美希
ライター:あつた美希/Miki Atsuta フリーライター、アロマコーディネーター、クレイセラピスト インストラクター/インタビュー記事、映画コメント、カルチャー全般のレビューなどを執筆。1996年から女性誌を中心に活動し、これまでに取材した人数は600人以上。近年は2015〜2018年に『25ans』にてカルチャーページを、2015〜2019年にフレグランスジャーナル社『アロマトピア』にて“シネマ・アロマ”を、2016〜2018年にプレジデント社『プレジデントウーマン』にてカルチャーページ「大人のスキマ時間」を連載。2018年よりハースト婦人画報社の季刊誌『リシェス』の“LIFESTYLE - NEWS”にてカルチャーを連載中。
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