
丹下健三が自身の作品を自ら撮影したコンタクトシート(写真は「広島平和会館原爆記念陳列館」の施工現場風景)
代々木体育館や東京都庁舎のほか、中近東、アフリカ、ヨーロッパ、シンガポールなど、各国の都市計画を実施し、“世界のTange”と呼ばれた戦後日本を代表する建築家、丹下健三の初期10年に焦点を当てた企画展です。
1913年大阪に生まれた丹下は、1938年に東京帝国大学工学部建築学科を卒業後、前川國男建築事務所に就職し、「岸記念体育会館」などを担当します。3年後に退職し、東京帝国大学大学院に入学。大東亜建設記念造営計画設計競技で一等となり、一躍注目を浴びます。戦後は、東京大学建築学科助教授となり、多くの公共建築の設計を手がけました。研究室からは、大谷幸夫、下河辺淳、槇 文彦、神谷宏治、磯崎 新、黒川紀章、谷口吉生といった、多くの著名な建築家、官僚が輩出されたことでも知られています。
本展では、デビューから10年間の初期に自身が撮影した35mmフィルムのコンタクトシート約70点を初公開。桂離宮、龍安寺、ル・コルビュジエ作品、交流した海外の建築家たちなどを写した写真には、所々に赤線で丹下自らがトリミングを指示。建築と向き合う姿勢や、思索と葛藤の痕跡が生々しく感じ取れ、世界的建築家の人物像を多角的に見られます。

カメラを手に竣工当時の香川県庁舎と対峙する丹下
1958年頃撮影 撮影者不明
当時、丹下は「石が中世の感動をよびさましたように、コンクリートは現代の感動を人びとに伝えてくれるにちがいない」と考えていた
1958年頃撮影 撮影者不明
当時、丹下は「石が中世の感動をよびさましたように、コンクリートは現代の感動を人びとに伝えてくれるにちがいない」と考えていた

東京都庁舎(東京都千代田区、1957年)
1957年撮影 ©丹下健三
水平垂直とあおりを基本とする建築写真の作法に反し、カメラを斜めにかまえて撮影
1957年撮影 ©丹下健三
水平垂直とあおりを基本とする建築写真の作法に反し、カメラを斜めにかまえて撮影

広島平和会館原爆記念陳列館(広島県広島市、1952年)
1952年撮影 ©丹下健三
墓地の中から立ち上がる広島平和会館原爆記念陳列館。この敷地はもともと墓地であった。墓石自身原爆に照射され焼けている。その墓を守る人もいなくなり、多くは無縁仏になった
1952年撮影 ©丹下健三
墓地の中から立ち上がる広島平和会館原爆記念陳列館。この敷地はもともと墓地であった。墓石自身原爆に照射され焼けている。その墓を守る人もいなくなり、多くは無縁仏になった

倉吉市庁舎(鳥取県倉吉市、1957年)
1957年撮影 ©丹下健三
RC造において木造の木割りを当てはめ、繊細な表現を追求した
1957年撮影 ©丹下健三
RC造において木造の木割りを当てはめ、繊細な表現を追求した
※写真のトリミング線は当時丹下健三自身が入れたもの

会期 | 2015年1月23日(金) 〜3月28日(土) |
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休館日 | 日・月・祝(ただし3月22日は開館) |
時間 | 11:00〜18:00 |
会場 | TOTOギャラリー・間 港区南青山1-24-3 TOTO乃木坂ビル3F |
入館料 | 無料 |
公式サイト | http://www.toto.co.jp/gallerma/ |
問合せ | 03-3402-1010 |
2015年1月更新