TANGE BY TANGE 1949-1959/丹下健三が見た丹下健三

戦後日本を代表する建築家、丹下健三 自身が撮影したフィルムから初期の活動を覗き見る

  • 2015/01/07
  • イベント
  • アート

丹下健三が自身の作品を自ら撮影したコンタクトシート(写真は「広島平和会館原爆記念陳列館」の施工現場風景)
丹下健三が自身の作品を自ら撮影したコンタクトシート
(写真は「広島平和会館原爆記念陳列館」の施工現場風景)

代々木体育館や東京都庁舎のほか、中近東、アフリカ、ヨーロッパ、シンガポールなど、各国の都市計画を実施し、“世界のTange”と呼ばれた戦後日本を代表する建築家、丹下健三の初期10年に焦点を当てた企画展です。

1913年大阪に生まれた丹下は、1938年に東京帝国大学工学部建築学科を卒業後、前川國男建築事務所に就職し、「岸記念体育会館」などを担当します。3年後に退職し、東京帝国大学大学院に入学。大東亜建設記念造営計画設計競技で一等となり、一躍注目を浴びます。戦後は、東京大学建築学科助教授となり、多くの公共建築の設計を手がけました。研究室からは、大谷幸夫、下河辺淳、槇 文彦、神谷宏治、磯崎 新、黒川紀章、谷口吉生といった、多くの著名な建築家、官僚が輩出されたことでも知られています。

本展では、デビューから10年間の初期に自身が撮影した35mmフィルムのコンタクトシート約70点を初公開。桂離宮、龍安寺、ル・コルビュジエ作品、交流した海外の建築家たちなどを写した写真には、所々に赤線で丹下自らがトリミングを指示。建築と向き合う姿勢や、思索と葛藤の痕跡が生々しく感じ取れ、世界的建築家の人物像を多角的に見られます。

  1. カメラを手に竣工当時の香川県庁舎と対峙する丹下 1958年頃撮影  撮影者不明
    カメラを手に竣工当時の香川県庁舎と対峙する丹下
    1958年頃撮影 撮影者不明
    当時、丹下は「石が中世の感動をよびさましたように、コンクリートは現代の感動を人びとに伝えてくれるにちがいない」と考えていた
  2. 東京都庁舎(東京都千代田区、1957年)1957年撮影 ©丹下健三
    東京都庁舎(東京都千代田区、1957年)
    1957年撮影 ©丹下健三
    水平垂直とあおりを基本とする建築写真の作法に反し、カメラを斜めにかまえて撮影
  3. 広島平和会館原爆記念陳列館(広島県広島市、1952年)1952年撮影  ©丹下健三
    広島平和会館原爆記念陳列館(広島県広島市、1952年)
    1952年撮影 ©丹下健三
    墓地の中から立ち上がる広島平和会館原爆記念陳列館。この敷地はもともと墓地であった。墓石自身原爆に照射され焼けている。その墓を守る人もいなくなり、多くは無縁仏になった
  4. 倉吉市庁舎(鳥取県倉吉市、1957年)1957年撮影 ©丹下健三
    倉吉市庁舎(鳥取県倉吉市、1957年)
    1957年撮影 ©丹下健三
    RC造において木造の木割りを当てはめ、繊細な表現を追求した
  5. ※写真のトリミング線は当時丹下健三自身が入れたもの

開催概要

展覧会名 TANGE BY TANGE 1949-1959/丹下健三が見た丹下健三
会期 2015年1月23日(金) 〜3月28日(土)
休館日 日・月・祝(ただし3月22日は開館)
時間 11:00〜18:00
会場 TOTOギャラリー・間
港区南青山1-24-3 TOTO乃木坂ビル3F  
入館料 無料
公式サイト https://jp.toto.com/gallerma/
問合せ 03-3402-1010

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