160年以上におよぶ歴史の中で形成された多様な所蔵品を起点に
学びや交流の機会を提供する、慶應義塾の創造的「空き地」

慶應義塾ミュージアム・コモンズ(KeMCo)(三田)

  • 2023/07/06
  • カルチャー
  • 博物館
慶應義塾ミュージアム・コモンズ(KeMCo)ペンマークがデザインされた白いパネルとガラスの模様が印象的な外観の慶應義塾大学三田キャンパス東別館。1〜9FにKeMCoの関連施設が入る

慶應義塾大学三田キャンパスの東門から桜田通沿いを南に50m。重厚な歴史を感じる東門とは対照的に近代的な白いファサードが目を惹く11階建てのビルが、2021年4月にオープンした慶應義塾ミュージアム・コモンズ(以下KeMCo)の拠点だ。
 KeMCoは160年以上におよぶ慶應義塾の歴史の中で形成された多様な領域にわたる美術品、文化財のコレクションの保存と展示、それらを活用した教育や研究活動を進める目的で設立された慶應義塾初の全塾をカバーするミュージアム。
 最先端のデジタルとアナログを融合した環境を構築し、展覧会をはじめ、イベント、ワークショップなどの開催や文化財ポータルサイト「Keio Object Hub」の運営を通し、アートやカルチャーを社会に向けて幅広く発信。入場無料で一般の人にも開放する、オープンな交流の場でもある。

KeMCoの施設サイン。川村格夫氏によるロゴデザインは、誰にも開かれた場であることを示すように、閉じていないオリジナルのフォントが使用されている

歴史ある慶應義塾にこれまでミュージアムという名前を冠した組織や建物がなかったことが意外にも感じられる。どのような経緯で開設されたのだろうか。同館の立ち上げにも携わり、現在、専任講師を務める本間友氏にお話を伺った。

長い歴史の中でさまざまな文化財や学術資料を学内それぞれの施設で各々収蔵してきた慶應義塾。キャンパスのいたるところに貴重な美術・工芸品が点在し、そもそも建造物自体も歴史ある貴重なものが数多い。まさに慶應義塾が一つのミュージアムであり、複数のキャンパスに分散していた文化財の全体像を把握することが難しい状況が続いてきたという。
 長年にわたりこうした文化財をそれぞれふさわしい環境で収蔵し、公開するミュージアムを三田キャンパスに建設することが望まれていたなか、旺文社を創業した赤尾好夫氏により設立されたセンチュリー文化財団からの資料寄贈と寄付により慶應義塾初のミュージアム「KeMCo」の建設が実現したのである。

3F展示フロアのルーム2から続くテラス。塾監局や図書館旧館といった歴史的な建築群や、彫刻、記念碑をはじめとする塾の文化財を一望できる

開設準備が進められるなかで「大きな収蔵庫に大学の大切なものを全部集めて保管し一堂に展示する通常の大学ミュージアムではなく、画期的なコンセプトに基づいた施設にできないかとの意見が出されました」と本間氏。
 「大学のコレクションは個々の専門領域の活動の中で集められ、そこでの教育研究と強く結びついて使われて面白さが出てきます。そのため、全てを一堂に集めて管理してしまうと面白さがなくなってしまう懸念があります。今あるコレクションはその場においたまま、コレクション同士がゆるやかにつながる場、そして見えにくい大学の研究活動をうまく社会に公開していくショーケースのような場として、『分散型のミュージアム』を作ろうというコンセプトが生まれました」。

また、分散しているコレクションや人をつなぐ場として「空き地」という概念がキーワードになるという。「ドラえもんのアニメに出てきた空き地を想像してみてください。決まった目的や遊具があるわけでもなく、その場に集まった人のアイデアやその時に持っていたモノが化学反応を起こして、都度、自由な遊びや活動が生み出されていきます。面白かった活動はそれぞれの家や学校に持ち帰り、そこでまた発展していく。そういう空き地的な役割をするのがKeMCoです」。ちなみに名称にも使われている「コモンズ」の語源は共有林や共有の資源のこと。誰のモノでもないみんなで使えるモノや資源をとおして、ゆるやかな繋がりから新たな発想や交流が生まれる「空き地」と同じようにKeMCoのコンセプトを表している。

エントランス・ホールは社会とKeMCoを繋ぐ重要な入口。さまざまなイベントなども開催される。写真は、展覧会「構築される『遺跡』:KeMCo建設で発掘したもの・しなかったもの」(2023年)ワークショップ開催時のようす

学内だけではなく、一般にも開かれた施設である理由が分かった。今度はその施設内を本間氏に案内してもらった。
 建築面積419㎡の限られたスペースに2020年9月に竣工した東別館。11階建てのうち1〜9階にKeMCoの施設が入る。設計時には空間を最大限に活用するために各階の天井の高さを10cm単位で調整する議論や収蔵スペースを最も効率よく確保するために個々の収蔵品単位で計測した数値をパズルのように組み変えてシミュレーションするなど、細かな検討が徹底的に重ねられたという。

限られたスペースゆえにデッドスペースやちょっとした隙間もうまくインスタレーションの空間に使われていたり、壁面がガラス張りになっていたり、全体的に狭さを感じない開放的な空間となっている。

1Fエントランス・ホール階段下もスペースが活用されている。2023年に開催された展覧会「構築される『遺跡』:KeMCo建設で発掘したもの・しなかったもの」では、美術家の山田健二氏による映像インスタレーション《Mita Intercept_》が公開。「実は東別館建設の際に貴重な遺物が数多く発掘されましたが、まさに発掘が行われたこの場所で、当時の作業の記録や、遺物をめぐるオーラルヒストリーなどを取り込んだインスタレーション作品を展示しました」と本間氏。同スペースでは関連のワークショップも開催されるなど、社会とアカデミックを繋ぐ入口の役割も果たしている。

収蔵庫前室「オープン・デポ」

階段を上がり2Fに見えてくるのがKeMCo内に4つある収蔵庫のうちの2つとガラス張りの収蔵庫前室「オープン・デポ」だ。ヴィジブル・ストレージ(目にみえる収蔵庫)の考えを一歩進め、作品そのものだけではなく、作品貸出時の点検作業や、調査作業、展覧会の準備など作品に関わる人々の日常業務など、収蔵庫での多様な活動を見せることを目的に前室がオープンにされている。前室から繋がる収蔵庫は慶應義塾初の本格的な文化財収蔵庫。「書の美術館」として名高いセンチュリー・ミュージアムからの寄贈作品などが収蔵されている。

オープン・デポ横の階段の対面にある宙に浮いたような小スペースにも貴重な展示空間がある。「現在は、開催中の展覧会「『さすが!北斎、やるな!!国芳』―浮世絵のマテリアリティ(以下、浮世絵展)」に関連する時代の鏡台を展示しています。あまり構えずにさらっと展示し、来館者も構えずに見ることができる展示内容となっています。KeMCoのコンセプトである空き地やコモンズを反映するスペースと言えるかもしれません」。

2Fから3Fに繋がる踊り場も最大限に活用されている。現在は学生たちがメンバーの「KeMCoM」による、浮世絵展に関連したAIの体験展示が設置されている。同スペースでは浮世絵の制作過程になぞらえて、ポストカードを無料で作れるコーナーも。

「本館はミュージアムショップを備えていない代わりに、気軽に無料で体験できるワークショップコーナーを用意しています。ぜひ多くの方にご利用頂きたいと思います」と同館広報担当の眞下菜穂氏

いよいよ3Fにある展示フロアに到着。ルーム1とルーム2があり、ルーム1には、これまで三田キャンパスで実現できなかった、屛風などの大型・横長の作品の展示を可能にするウォールケースが導入されており、メインの展示に使用される。
 ルーム2はテラスに面し、曾禰中條建築事務所設計の塾監局と図書館旧館といった歴史的建築群や、彫刻、記念碑をはじめとする塾の文化財を一望することができる。メインの展示を補足、別の視点から楽しめる場としてだけでなく、キャンパスの歴史や文化と対話する場所としても機能している。
 両ルーム共に空間を分割するスライディングウォールが設けられ、柔軟な空間設計を要する現代アートなどにも対応できるように大型のダクトレールとピクチャーレールも設置。また2つのルームをつなぐ空間やエレベーター前のちょっとしたスペースも展示ルームの延長としての機能を果たしている。

ルーム1「『さすが!北斎、やるな!!国芳』―浮世絵のマテリアリティ」(2023年)展示風景

2つの展示ルームは小ぶりな印象だが、限られたスペースという構造上の制約以外にも理由があるという。「現在進行形の教育や研究を文化財と結びつける展示は、数年単位で展覧会計画を決める通常のミュージアムのスキームにはうまく馴染みません。当館では、その時々の課題などに柔軟に対応できるように小規模・短期間の展示を並行して実施できるように小さな展示室を2つ用意しています」とのこと。

ここまでのフロアが通常、一般に公開されているスペースだ。今回は特別にオフィスや教育と研究を支えるフロアも紹介して頂いた。
 「4Fは当館のオフィスとなります。ミュージアムではさまざまなスタッフが連携を取りながら運営していく必要があるため、教員と職員がスペースを共有する、共同作業に適したオープンなスペースとなっています」。
 5Fにはスロップシンク(大型の流し台)、展示壁面、実習台を備え、博物館実習など作品・資料を扱う授業に対応する実習室、9Fには45名程度の集会に対応するカンファレンス・ルームがある。

5F実習室での講義風景

そして8FにはKeMCoが掲げるビジョンの一つ「デジタルとアナログの融合」の拠点となる「KeMCo StudI/O(ケムコ・スタジオ)」が鎮座する。
 名称のIは「Input」、Oは「Output」を表し、慶應義塾が集積してきた有形・無形の文化財をデジタルデータ化、そしてインターネットを含めたデジタル空間への投入を推進していく、デジタルとアナログの文化財を繋ぐ場となる。

メディアを横断する表現を特徴とする美術家、大山エンリコイサム氏(環境情報学部卒)によるコミッション・ワーク《FFIGURATI #314》が目を惹くKeMCo StudI/O
artwork: © Enrico Isamu Oyama photo: © Katsura Muramatsu (Calo works)

3Dスキャナーなどの機材で撮影・計測を行ない、作品をデジタル化する機能と、3D プリンタなどの工具を駆使してデジタル化したデータをもとに工作を行う機能を兼ね備えたこの部屋では、ミュージアムにおける展示・収蔵の実践と間近に接しながら、デジタルとアナログの関係性を体験を通じて学ぶとともに、メディア横断的な創造を展開することができる。こうした施設をミュージアムと一体として持ち、公開活用している機関は世界的にも例がないそう。
 開催中の浮世絵展でも、同スタジオ内で制作された動画を鑑賞することができる。1億画素の高精細カメラで展示作品をデジタル化した、肉眼では見ることが難しいような質感などの細部が分かる動画作品だ。その他にもダイバーシティに富んだ利用者などの幅広い要求に応えるようなコンテンツの制作、発信などが行われている。

なお、上記3つの部屋には新型コロナウィルス感染症への対応で急速に進展したオンラインでの教育・研究を支えるため、遠隔機材も導入されている。今後はKeMCo StudI/Oの一般利用も検討されているとか。

このような最先端の“見せる”環境が整ったKeMCoでは開館以来、9件の展覧会が開催されてきた。いくつかKeMCoならではの展示を振り返ってみよう。

グランドオープン記念企画「交景:クロス・スケープ」(2021年)では、センチュリー赤尾コレクションから、「漢字」や「ひらがな」などの文字文化に注目し、読むことが難しい「くずし字」をAIが読み取り翻刻してくれる機能「Miwo」を体験できるコーナーを設置。デジタル・アナログ融合型の展示を体感できる貴重な機会となった。

「構築される『遺跡』:KeMCo建設で発掘したもの・しなかったもの」(2023年)は、東別館建設の際に、文化財保護法の対象として発掘した遺跡と逆に発掘対象としなかった痕跡の双方に目を向けたもの。加えて三田キャンパスの地表に残された遺物や、福澤諭吉邸の基礎の一部の報告などに特長のある内容となった。
 ルーム2では学生が学内で拾った遺物や遺物らしきものも展示。来館者は「野帳」と呼ばれる実際に測量で使うメモ帳を片手に、発掘気分に浸りながら質問などを記入。それらの質問に研究員によるコメントを入れた内容が掲示されるなど、インタラクティブに鑑賞できる工夫が随所に見られた。

大都会の中で、発掘されたものをその場所で展示する施設は稀有。ルーム1には、弥生時代後期の高坏形土器(写真中央奥)が発掘されたまさにその場所に展示された

「ミュージアム、特に美術館では、『このようなコレクションを築きます!』というコレクション・ポリシーがあります。一方でKeMCoは研究や教育に必要として集められたものや卒業生からの寄贈など、受動的に集まった雑多なコレクションをどのように見せていくか、どのように新しい文脈を作って展示していくかという観点から展示企画に取り組んでいます」。
 開催中の浮世絵展はまさにKeMCoならではの見せ方と言えるだろう。テーマありきで集められたものではない。「個人所有ゆえにこれまであまり外に出ることがなかった状態の良い作品1点1点にじっくり目を向けてもらいたいとの思いからタイトルに『マテリアリティ』という言葉を入れました。前述のKeMCo StudI/Oで制作した動画もあわせてぜひ、理屈抜きにその超絶技巧や表現を楽しんでもらえれば」と本間氏は話す。

またコロナ禍ではオンラインに一風変わった「部屋」(Exhibition RoomX)をオープンし、「人間交際(じんかんこうさい)」をテーマとした展覧会「Keio Exhibition RoomX: 人間交際」(2020年)も開催され好評を博した。ちなみに「人間交際」は、福澤諭吉が「Society」にあてた訳語だそう。

今秋には慶應義塾で寄託している常盤山文庫のコレクションから、禅に関する美術を紹介する展覧会、来春には環境をテーマにした展覧会などが開催予定。KeMCoならではの見せ方が楽しみだ。

専任講師の本間友氏(左)と広報担当の眞下菜穂氏(右)

慶應義塾大学大学院(美学美術史学)でイタリアルネッサンスの美術史を専攻、同大学アート・センターにて展覧会の企画、アーカイヴの運営、地域連携プロジェクトの立案に10年間携わり、2018年よりKeMCo立ち上げに関わってきた本間氏。「ルネサンスはアートが社会の外ではなく、社会の一部として機能していた時代。現代にもその芸術のあり方を取り戻し、アートをもっと身近なものにしたい」との思いから、同館では専任講師としてさまざまな展示、ワークショップ、レクチャーを企画・開催。社会とKeMCoをつなぐ橋渡しのような役割を努める。「今後はさらに、鑑賞者がじっくり作品に向き合うとともに他者との共有を通じて多様な価値観を知り、受け入れる方法を学ぶ『オブジェクト・ベースト・ラーニング』という新しい鑑賞方法を実践できるような展示やイベントの開催なども進めていきたいと考えています。そして大学や専門家たちの間だけでなく、研究成果などをより社会に提供すべく、さまざまな人が交流できる場を館全体で創っていきたいと思います」と語る。

慶應義塾大学が長い歴史の中で蓄積してきた雑多で多様な文化財に学術的な意味づけを与え、それを最先端のデジタルとあわせて幅広く世界に発信していく。そして世界中からのフィードバックにより更新を繰り返し、次々と教育や研究に新しい景色を開いていくハブとしてのKeMCo。一般にも開かれた創造の「空き地」に私たちも積極的に立ち寄ることでさらにKeMCoの新たな歴史を創る一助になるかもしれない。

ハブとなるKeMCo以外にも、学内には、図書館旧館の荘厳な建築美も楽しめる「塾史展示館」、現代美術の良質な展覧会を得意とする「アート・センター」など、アートとカルチャーを体験できる施設が数か所あるので、訪れた際はあわせて巡ってみたい。

基本情報

外観
名称 慶應義塾ミュージアム・コモンズ(KeMCo)
所在地 港区三田 2-15-45 慶應義塾大学三田キャンパス東別館
電話番号 03-5427-2021
料金(税込) 入場無料
営業時間 展覧会により異なる
休館日 土曜、日曜、祝日、年末年始 ※特別開館、臨時休館あり
アクセス JR 山手線・JR 京浜東北線「田町駅」三田口(西口)徒歩8分、
都営地下鉄浅草線・都営地下鉄三田線「三田駅」A3出口 徒歩7分、
都営地下鉄大江戸線「赤羽橋駅」赤羽橋口 徒歩8分
公式サイト https://kemco.keio.ac.jp/

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