TARO NASU(六本木)
トップギャラリーが集結する六本木のピラミデ4階に2019年に移転、再オープンしたのが、コンセプチュアル・アートに主軸を置くギャラリー、TARO NASUだ。1998年のギャラリーオープンから、現代アートの中でも、作品の背景にある観念や思想が重視されるコンセプチュアル・アートの新しい潮流に注目・発信し続け、今年(2023年)で25年。今や日本の現代アート界を代表する存在でもある同ギャラリーには、国内外の作家約30名が所属する。
国際的評価の高いサイモン・フジワラ、ライアン・ガンダー、リアム・ギリック、ピエール・ユイグ、田島美加、ローレンス・ウィナーをはじめ、ホンマタカシ、松江泰治ら現代写真家や、秋吉風人、榎本耕一、中井波花ら若手現代作家なども積極的に紹介。美術館等の公共機関との協働も多数行う。
既成概念を一新するような展示に特長のある同ギャラリーを運営するのは、ギャラリストとしての活動に留まらず、岡山芸術交流という国際展のディレクターも務める那須太郎氏だ。
高校時代まで岡山市で過ごし、大学進学を機に上京した那須氏。大学は商学部で学び、美術に関しては趣味として近代絵画を中心に美術館の展示を見て廻っていたという。
大学卒業後は地元岡山の百貨店「天満屋」の美術部に就職。「特にこれをやりたい」という強い希望はなく入った部署だったが、日本画に洋画、陶芸、刀、茶道具などありとあらゆる分野の展覧会を月8〜10本程度のペースで開催した経験が、後に現代アートを扱う仕事へ進むきっかけと礎になったと語る。
「まさに展示“1000本ノック”のようにめまぐるしく変わる状況で、さまざまな美術分野の知識を得るために猛勉強しなければならず、鍛えられた毎日でした。百貨店の画廊は、画商を通して作品を展示するため、基本的には作家と直接仕事をする機会がありません。就職から2年経ち、少し余裕が出てきたころ、『生きている作家と直に仕事をしたい。もっと作家の近くで作家と一緒に仕事をしたい』という思いがふつふつと湧き上がってきました」。その思いがきっかけとなり天満屋を退職後に再上京。イギリスの現代美術を扱う草分け的存在の画廊勤務などを経て、1998年に江東区佐賀町の食糧ビルディングで自身のギャラリーをオープンすることとなる。
2002年、アート・バーゼルと同時期に開催されるサテライト・フェア「VOLTA」に出展していた時、たまたま隣のブースで、ロンドンの新進気鋭のコンセプチュアル・アートを扱うギャラリーがライアン・ガンダーの作品を展示していたのが最初の出会いという。
「最初はなんだこれ!?と思いました。でも、よく分からないけど、何かどうしようもなく惹かれる…」直感的にガンダーの作品に感銘を受けた那須氏は、この出会いがきっかけとなり、コンセプチュアル・アートに焦点をあてたギャラリー運営を目指すことを決める。そして、ガンダー本人との交流を深め、TARO NASUの契約作家に。2007年、日本で初めての個展を成功させ、その後7回の個展と多数のグループ展を開催。
近年では、2017年に大阪の国立国際美術館、2022年に東京オペラシティアートギャラリーでの個展が開催されるなど、日本での知名度を確立していったガンダー。那須氏はその魅力を「鑑賞者がコンセプトを知らなくても作品で成立させることができる斬新さ」にあるという。
「オペラシティの展示では、若い人の鑑賞者が多いことに驚きました。そして1つ1つの作品をじっくりと熱心に鑑賞しているのを見て、2002年に初めて出会った時の自分の直感は間違いなかったと実感しました。時代を超えて、若い人にも受け入れやすく、共感する部分を持っていることも彼の最大の魅力です」と語る。
「ライアン・ガンダーもそうですが、『話をしていて面白いこと』が作家選びの重要な基準です」。話をして面白くない作家は、那須氏にはその作品も魅力を減じるように感じるのだそう。会話を通して、自身の世界観や考え方、ひいては生き方そのものを明確にそして惹きつけるように表現できる作家はそれらが作品にも投影されていて魅力があるという。
作家はなんとなく寡黙なイメージがあるが、会話から引き出せるのはやはり那須氏の人となりと手腕だろう。「ギャラリーは作品を売ることが一番の大きな目的で、作家をプロモーションしていくわけですが、そのためには、作品以外に作家をよく知り、信頼関係を築くことが必要です。ギャラリストは作家と過ごす時間も長く、距離が近い関係性にあります。とことん話をして、『人としてどれだけ付き合えるか』が結局のところ一番重要なのだと思います」。
それではどのような経緯でピラミデに開廊することになったのだろうか。
「1998年に江東区でギャラリーをはじめた後、2002〜2007年まで芋洗坂に当時あったギャラリーコンプレックスに移転しました。ここが取り壊しになった関係で、アートイベントのメイン会場にもなった東神田のビルの一角へ2008年に引越しました。建築家の青木淳氏の設計で地上1階と地下1階の白を基調とした2フロアのギャラリーで約10年間、さまざまな展覧会を開催してきました。ちょうど10年という区切りもあり、もう少しアクセスが良く、人の流れがある場所で運営したいと考えていたところ、森ビルよりお声がけ頂き、ピラミデに移転することとなりました」。ギャラリーが集結する六本木に約10年ぶりに戻ってくる形になったと話す那須氏。ギャラリー巡りをしやすい環境から、コンセプチュアル・アートに興味のない人をも取り込むことができるのがこの街で運営する一番のメリットだという。
ギャラリーの中を見てみよう。
MOUNT FUJI ARCHITECTS STUDIOによる設計は、全体は正方形のスペースが基調となっているが、限られた空間を入り口からワンサイトで全てを見渡せないように、奥へ奥へと誘うような造りとなっている。これは、一人の作家にもそれぞれ別の要素があることを表現するために、1回、1回テーマごとに視線を区切るために考えられたものである。そして、フロアを縦断するコンクリートの帯は、元々、1つのフロアを4つに区切っていた壁があった場所の痕跡をわざと残したもの。固定化されない柔軟性を表しているという。
もう一つ、特筆すべきは、一般的にはギャラリーの裏側など、見えないところにある事務スペースや打合せ場所が、展示スペースに繋がる開放的な場所にある点だろう。「ギャラリストの普段の仕事を見てもらえるように、そして来客者と近い距離にいられるようにこだわり、ヴィジブルなスペースにしています」と那須氏。確かに、何か分からない点など、スタッフの方にすぐに話しかけやすく、そして気さくに応えてくれる雰囲気に安心感がある。
2019年、こけら落としとして開催された、コンセプチュアル・アートの牽引者、ローレンス・ウィナーの個展「OFTEN ADEQUATE ENOUGH」から始まり、4年間で約30本の企画展を開催してきたTARO NASU。その中でも印象的な展示として那須氏があげたのが、グループ展「Sculpting the Space」(2023年)だ。
白い壁に、カッティングシートによって制作されたフォントで描かれたセリフのような文章や記号。それ自体が作品で、そしてもちろん販売されている。
言語を媒介とした作品で知られる、ローレンス・ウィナーは、壁や床など展示空間の構造体に直接描かれたテキスト作品は、ペインティングよりもさらに三次元性を有するもの、すなわち「sculpture(彫刻)」だと言及している。
展示空間を読み解き、色と形で構成された文字を付与することで、空間のもつ意味や機能に変化を生じさせ、鑑賞者の理性と感性に同時に働きかけようとするその試みはウィナーにとって、まさに空間を「彫刻」すること。
企画展では、ウィナーが好んだ、アートと鑑賞者との間の一種の共犯関係を前提とする体験に関心を寄せ続けているアーティストの作品を展示。ウィナーとほぼ同時代を生きているハイム・スタインバッハやジョン・ナイト、彼らから直接的影響を受けたリアム・ギリック、言語やネットワークのシステムに関心を寄せるデヴィッド・ホーヴィッツ、そしてライアン・ガンダーの新作を集め、テキスト作品のもつ独特の緊張感あふれる魅力を紹介した。
「『作品はどこにあるの?』なんて聞かれたこともありますが(笑)、壁に描かれた文字や記号が創り出す不思議な緊張感のある空間を楽しんでもらえた展示だったのではないかと思います」と那須氏。
もちろん、TARO NASUで紹介するのは、海外作家ばかりではない。
2021年に開催したホンマタカシ「New mushrooms from the forest」は、2011年の東北地方太平洋沖地震以降、放射性物質が深刻な被害をもたらした福島県の森をはじめ、チェルノブイリなどで撮影したキノコの写真を展示。キノコのみずみずしい生命力が映る作品の背後にある、見えない汚染という影や、それでもなお明るく輝く自然の力を通して一筋の希望も見いだせる静かな空間となった。
また、今年4月に始まった森美術館の「ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会」展の参加も記憶に新しい田島美加は、TARO NASUの個展「Spectral」2022年で、ジャカード織のペインティング「Negative Entropy」とアクリル板に着彩した「Art d’Ameublement」という田島の代表的な2シリーズに加え、新しい試みであるガラスの立体作品「Anima」や「動く立体」ともいえる「New Humans」シリーズなどを展観。テーマごとに視線を区切るギャラリーの構造がその多様な表現を見事に惹き出すものとなった。
若手陶芸家・中井波花の個展「浮かぶ」2023年では、手びねりで薄く伸ばされた土をリボン状に巻いて成型する独特の手法で知られる中井の、力強さと危うさが同居するような不思議な浮遊感のある作品が紹介された。陶芸では蔑ろにされてしまう歪みやヒビ割れ、色ムラもそのまま表現された中井の作品。その深部へと誘うような萬代基介建築設計事務所による会場設計がさらに魅力を惹き立てた。
ピラミデでの運営も5年目に入り、着実にコンセプチュアル・アートの知名度を上げ、存在価値を高めることに多大な力を発揮してきた那須氏。昨今の日本のアートシーンを見渡して思うところを聞いてみた。
「ここ10年くらいで若いコレクターが増えてきました。楽しんで買ってもらえるような現在の環境は喜ばしくもあります。その一方で、マーケット主導で価値観が決められていくことに危機感も持っています。昨今の日本は、プライマリー(画廊やアートフェア等で販売する一次市場)がセカンダリー(転売され、それらが集まり売買される二次市場)に引きずられて、作家本来のキャリアと連動しないような価値を決められてしまうアンバランスさがあります。
ギャラリストの責任として購入者に損をさせないように、本当に価値のある作家の作品を適正な価格で販売できるよう、どこかでこのアンバランスな状況を調整しなければならないと考えています」。
日本のマーケットの現状を踏まえ、私たちも一過性のブームなどに惑わされず、本物を見極める目を養う必要があるだろう。
続いて那須氏にギャラリー初心者へのメッセージを伺ってみた。
「六本木界隈にはそれぞれカラーの異なるギャラリーが20件近くあり、そのほとんどがフリーで鑑賞できるという恵まれた環境にあります。美術館の展示の場合、少なくとも自分に興味のあるテーマのものを観に行くと思いますが、これだけギャラリーが集結していて気軽に立ち寄れる環境だと、なんとなく立ち寄ったギャラリーで、全く知らなかったものや興味のなかったものを知ったり、好きになるきっかけや新しいものに出会える可能性があります。
現代はネット社会ですが、それらを見ようとする時点である程度情報を選択して、視野を狭めている事があります。私自身、コロナ禍を通してあらためて、実際に動いて観ることの大切さを感じています。いくらネットが発達していても、得られる情報量が断然違うことにあらためて気づきました。ぜひ、ギャラリー巡りをして、自分の知らないものに偶然出会える醍醐味を体感してもらいたいと思います」。
TARO NASUで年間8本ほど開催されるギャラリーのプログラムを考えたり、作家とコミュニケーションを取りつつ、国内外でのアートフェアの企画など考える那須氏。ギャラリー運営だけに留まらず、2012年から立ち上げ準備に携わってきた「岡山芸術交流」の総合ディレクターとしての顔も持つ。ドクメンタのような展覧会を岡山でも開催したいとの思いから、同じく岡山県出身のイシカワホールディングス代表取締役社長・公益財団法人石川文化振興財団 理事長の石川康晴氏とともに取り組む大型国際展覧会は、2016年から3年おきに開催され、次回は2025年の開催が決定している。「アートからすり寄るのではなく、国際水準のコンセプュアル・アートを見せることで、興味のない人も時間をかけて取り込む環境を創っていきたいと思います。もちろん、全員が好み、全員に効く万能薬のようなアートは存在しませんが、一部の範囲の人にしか届かなくても続けることに意味があると考えています」とその抱負を語る。
今後、ギャラリーで挑戦してみたいことについて、「もっともっとコンセプュアルなモノを見せていきたい」と語る那須氏。「極端にふりきったものを展示したいと思っています。例えば、ドクメンタ(13)でライアン・ガンダーは、何も展示されていない展示室のなかを吹き抜ける『風』のみを作品としたインスタレーションを発表し、大きな話題となりました。究極は全くモノのない展覧会をTARO NASUでも開催できればと考えています。以前、サーティフィケイト(作品証明書)だけが飾られているような展示も行いましたが、それすらもないような。そういうところまでいきたいなと」。
究極の展示を通して、「分からないからこそ面白い」ことを鑑賞者にも体感してもらいたいと語る。
長年の多彩な経験に基づく、抜群の直感力と審美眼で見極められたTARO NASUから発信される作品は、たとえモノが無くとも観る者を裏切らないだろう。
次はどんな空間が見られるのだろうか。ますます目が離せない。
名称 | TARO NASU |
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所在地 | 港区六本木6-6-9 ピラミデ4F |
電話番号 | 03-5786-6900 |
営業時間 | 11:00〜19:00 |
休廊 | 日曜日、月曜日、祝日および展示替え期間 |
アクセス | 日比谷線・大江戸線「六本木」駅徒歩1分 |
公式サイト | https://www.taronasugallery.com/ |
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