Pace ギャラリー(麻布台)
2024年7月、世界最大級のメガギャラリーのひとつである「Pace ギャラリー(ペースギャラリー)」が麻布台ヒルズにオープンした。
Pace ギャラリーをはじめとするメガギャラリーとは、世界中の複数の都市にギャラリースペースを持つ国際的なギャラリーのことだ。広大な展示スペースで大規模な展覧会を開催し、時には美術館よりもアートマーケットへの影響力を持つこともある。
1960年にアーニー・グリムシャーが設立したPace ギャラリーは、ニューヨークをはじめとし、ロサンゼルス、ロンドン、ジュネーブ、ベルリン、香港、ソウルと世界各国に拠点を置き、扱うアーティストはパブロ・ピカソのような20世紀の巨匠やジェームズ・タレル、李禹煥、奈良美智、名和晃平、チームラボなど数々の現代作家が名を連ねる。
現在は子息のマーク・グリムシャーが受け継ぎ、世界のアートシーンを牽引しているPace ギャラリーは、メガギャラリーのなかでもいち早くアジア圏に進出してきた。そして、ついに今年の春にPace ギャラリーが日本に誕生した。
Pace ギャラリーは英国人デザイナーのトーマス・ヘザーウィックが設計した麻布台ヒルズガーデンプラザA棟の3フロアにわたり、ギャラリーの総面積は510平方メートルに及ぶ。内装を手がけたのは「人と環境がつながるような設計」をコンセプトとする建築家の藤本壮介氏。
藤本はその空間デザインについて、「空間は非常にシンプルでクリーンだが、アート作品が入ることでエネルギーが生まれる。また、展示室のコーナーにカーブをつくり、壁が連続するように設計した。それがシンプルさと清潔さを引き立て、アートが映える空間となっている。」とプレス内覧会で語った。
1、2階は一般公開の展示スペースだ。白く明るい室内が作品の力を引き立てつつ、生命力を吹き込んでいるように見える。ゆったりとした空間が心地よく、それぞれの作品にじっくりと向き合うことができる。3階はプライベートなビューイングルームになっており、2階と繊細なつくりの階段でつながっている。
これまで、どのメガギャラリーもアジアの拠点は香港などに置かれており、日本に進出することはなかった。展覧会の動員数も非常に多く、アートへの関心も高い日本であるが、なぜ、これまで日本でメガギャラリーの拠点が置かれていなかったのだろうか、また、なぜ今のタイミングの日本進出なのだろうか。
「Pace ギャラリーの代表、マーク・グリムシャーは『むしろ(日本への進出は)遅すぎたぐらいだ。』と、いつも言っています。本当はもっと早く進出したかった。でも、これまで麻布台ヒルズのようなクオリティが高く展覧会のためだけに使えるスペースはありませんでしたし、保税倉庫の規制なども。
80年代に多くの作品を日本の美術館やコレクターに納めるなど、Pace ギャラリーにとって日本は近い存在でしたから、やっとこの時が来た!という感じです。アートマーケットが活性化し、クオリティの高い作品がたくさん入ってくることは、日本のコレクターにとって喜ばしいことです。そして、アートで日本が世界から注目を集めることは、経済の活性化にもつながります。Pace ギャラリーが成功することで、ぜひ他のギャラリーも続いて日本に進出してほしいと思っています。」
と語るのは、Pace ギャラリーの副社長を務める服部今日子氏。
服部は東京大学を卒業後、外資系コンサルティング会社や投資ファンド等にて従事した後、アートの世界へ。世界三大オークションハウスのひとつ、フィリップス・オークショニアズの日本代表、ディレクターとしてスタートアップに携わった。これまでのキャリアと異なる業界に飛び込むことに不安はなかったのだろうか。
「不安という気持ちは全くなく、エキサイティングな気持ちの方が強かったです。私はもともとアートが大好きで、ギャラリーや美術館にも頻繁に足を運んでいました。好きなことが仕事になるというチャンスは滅多にないことなので、ワクワクしました。」
オークションハウスを大躍進させた後、日本でのPace ギャラリー立ち上げを指揮することとなった服部だが、オープンに向けた準備にあたり時差のある本国とのやり取り等、さまざまな課題があったと思われる。
「週に7回ほどオンラインで本部とのミーティングを行うのですが、多い時は早朝に会議を行ってから業務が始まり、一日の仕事が終わった後、夜の9時・10時に再びコールが毎晩のようにあったことも。また、一つの展覧会を行うためには、展覧会担当者、アーティストとの仲介担当、プレス、イベントチームなど関わる人が多く。これは良いことではあるのですが、Pace ギャラリーはいろいろな人の意見を聞く風潮があるので、それを調整して形にしていくことはとても大変でした。カルダー展開催の頃は記憶がない、と言っても良いほど。」
2024年5月、麻布台ヒルズギャラリーで開催された「カルダー:そよぐ、感じる、日本」は、モビールの発明で有名な、アレクサンダー・カルダーの日本で最大規模、東京では約35年ぶりの個展となった。この展覧会の開催を東京での最初のプロジェクトとして共催したのが、Pace ギャラリーだ。
7月6日から8月17日までの期間は特別プレビューとして、幅広い作家のラインナップで45点の作品が展示され、Pace ギャリーが持つ幅広いプログラムを垣間見ることができた。
所属するアーティストを知ってもらうため、国や性別などを限らず40名以上の作品を展示するグループ展という形を決め、主導したのも服部だった。
「日本でのPace ギャラリーをご存じない方もいらっしゃいますし、日本ではまだ知られていない所属アーティストも多い。ギャラリーの生命線はアーティストなので、できるだけ多くのアーティストを知ってもらうことがPace ギャラリーを知ってもらうことになると考え、40名ほどの作家の作品を展示しました。先ほど私が案内していた若いコレクターさんもですが、いろいろな作品を観ることで、『自分はこれが好き、こういう風な作品が好き』と感じてもらいたいという狙いもありました。」
この取材当日、ギャラリーに一歩足を踏み入れると、顧客を案内している服部の姿があったのだが、驚いたのは顧客の年齢が若かったことだ。服部が在廊のタイミングであったとはいえ、直接案内を行うということは、この顧客が『ただ立ち寄っただけ』ではないと思われた。
かつては年齢層が高めで、特別な人がアートをコレクションするもの、というイメージもあった。だが、最近は若い人が作品を購入したり、ギャラリーを訪れたりする機会も多いそうだ。
「私もアートを仕事とする前からコレクションしていたぐらいですから、特別なことではないですよ。すべてが手の届かないものではないので、若い方もたくさんお越しいただいています。」
服部自身もアートの仕事に携わる前、すでに10年ほどのコレクター歴があったというから驚きだ。どのようなきっかけで「アートを購入しよう」と思い至ったのだろうか。
「実は私も以前は『アートは観るものであって、買うものではない』と思っていました。でもコレクターの先輩から『アートは買うものだよ』と言われまして。買うという心構えで半年ほど作品を観たところ、『なぜこれが好きなのか、どうして私はこの作品に心が動くのだろう』と深く考えるようになり、全く違う世界が広がってきて。そうなると次は、『どういうアーティストなのだろう、会ってみたい』と興味が広がりました。コレクターの方にもよく話すことなのですが、現代アートはアーティストに会って、話を聞くことができることも魅力の一つです。ギャラリーではその機会も提供できます。また、ギャラリーには、まだ買うつもりはないけれどアートに興味があるなど、いろいろな方がいらっしゃいます。まずは気軽に立ち寄ってほしいです。そして、『もし、購入するなら』と考えながら観てみると、自身の好みがわかり、アートの見方も変わります。」
気軽に訪れてほしいという言葉を聞くと、とても嬉しくなる。実際にPace ギャラリーの内装はゆったりとしているためか、中に入ると不思議と足を踏み入れる前に感じた緊張感が解け、他の見学者を気にすることなく作品と対話することができる。一見、敷居が高く感じるが、アート初心者の方にもおすすめしたい空間だ。
最近は書店などでアートと絡めたビジネス本を見かけることも多く、経営者やビジネスマンがアートに関心を持つことが当たり前のような風潮もある。また、自身のコレクションをSNSで発信する人も見かける。現在のアートを取り巻く潮流はどのようなものなのだろうか。
「私が前職のフィリップス・オークショニアズに入ったのが2016年ですが、当時はコレクターの方同士それほどオープンではなく、『そんな、私などコレクターとは言えないです。』と謙遜する方も多かったです。でも、最近では多くの人が『私はコレクターです!この作品持っています!』と名乗りを上げるなど、コレクターの世界が変わったと思います。それはとても良いことで、作品は購入して自分の家に眠ってしまうことが一番不幸なことです。コレクターの方々が「これを買ったよ」と発信して、展示する機会が増えることによって、作品も作家も生き、コレクターも楽しいという、良い循環ができていることは素晴らしい変化だと思っています。コレクター同士の交流も増えていて、例えばベテランのコレクターの方が、『これは絶対に観ておいた方がいいから、ギャラリーに行ってみたらどうか』と紹介してくださるなど、若いコレクター仲間をとても大切にしていて。先輩のコレクターは若い人と話すことが楽しいようです。『今、何に関心があるのか、どんな作品を面白いと感じるのか』と、自分にはない視点がもらえるなど。そういう関係性を見ていて素敵だな、と思います。」
日本ではアートへの関心が高いものの、『観るだけの文化』と言われてきたが、コレクター同士の温かい交流などの話を聞くと、これからの日本アート界の発展に期待が膨らむ。
「ギャラリーには家族連れでいらっしゃる方も多いのですが、子どもは『これはこの部分が好き、これは好きじゃない』と、大人よりも明確に言葉にできるので、一緒に観ていて楽しいですよ。」
子どもを連れて静かなギャラリーを訪れるのは気が引けそうだが、大丈夫だろうか。
「大歓迎です!ぜひ、お子様とアートに触れる機会を作りに来ていただきたい。お子様向けのワークショップなども開催したいですね。」と、笑顔で今後の展望を語る服部。
麻布台ヒルズでは夏に子ども向けのワークショップも開催しているので、これからの取り組みが楽しみだ。
9月6日からはPace ギャラリー 東京のグランドオープンを記念し、アメリカ・ロサンゼルスを拠点に活動する、メイシャ・モハメディの日本初となる個展、「yesterday I was a tiny tube of toothpaste」を開催。
モハメディは、普遍的な思想や経験についての自身の考えが反映された、空気感のある抽象画で知られており、その作品はニューヨークのメトロポリタン美術館、ロサンゼルス群立美術館、マイアミ現代美術館(ICA)に所蔵されている。独学で絵画を学び、画家として活動する前は神経学者としての訓練を受けていたという経歴の持ち主。ひと夏という短い期間だが、科学者として日本に滞在していたこもある。
今回の個展では、2023年〜2024年に制作された未発表の絵画に焦点が当てられているが、これらの作品は約20年前にモハメディが日本に滞在していたころの日記に触発されたものだ。開催に合わせ、展示作品の制作ノートともいうべきモハメディのスケッチブックの復刻版が出版されたので、モハメディが日本で何を見て、どのようなインスピレーションを得たのか、見比べて想像するのも楽しい。
また、11月にはニューヨークを拠点として活動し、陶芸のジャンルに留まらず、セラミック彫刻やスチール、粘土、木材を組み合わせたハイブリッドな彫刻で広く知られる、アーリーン・シェケットの個展が開催される。
有機的であると同時に建築的でもあるシェケットの作品は、新たなアート言語の創出を通して彫刻と空間の境界を押し広げている。メトロポリタン美術館やホイットニー美術館、パリのポンピドゥー・センターなど、世界の主要な美術館などに所蔵されており、一見バラバラな形や色、素材を融合させたその作品は、抽象的でありながら、心理的、感情的な共鳴に溢れ、鑑賞者の内省と共感を誘っている。
東京での展覧会、「アーリーン・シェケット:信仰のその先」で展示される作品は、静と動の狭間にある新作や近年の作品で構成され、シェケットが長く惹かれてきた日本美術の静謐さと、現代日本の活気ある物質文化という二面性に通じている。
本展では、高さ2メートル近い《ドローイングを語る》(2022)などの彫刻作品や、今年制作された未発表の紙の作品、1997年の手作りのアバカ紙による作品などの多彩な作品群が、ジャンルを問わず質感と色彩に富む抽象表現を生み出すシェケットの非凡な才能を浮き彫りにする。
また、シェケットの「トゥギャザー」シリーズから選ばれた、鮮やかな色彩の陶とスチールの作品も本展の重要な柱となっている。
「アーティストがみな、日本での個展開催を希望するので、CEO(マーク・グリムシャー氏)がいつの間にか、次々と日本での開催を約束しているなど、『あ、あのアーティストも来るのね。』と驚くことがあります。」
たくさんのアーティストの作品を日本で観ることができるのはうれしい事だが、まだまだ服部をはじめとするPace ギャラリーの忙しい日々が続きそうだ。
アーティストにとって、メガギャラリーと契約することは、アート界でビッグニュースとなり、注目度も作品価格もアップするなど、将来が大きく開けることもある。Pace ギャラリーが日本に進出することで、日本人の所属アーティストを増やすなどのプランはあるのだろうか。
「Pace ギャラリーでは、すでにチームラボ、奈良(美智)さん、名和(晃平)さんなどの日本人アーティストが所属し、最近では岡崎乾二郎さんの個展をソウルで行い、9月には高松次郎さんの個展をニューヨークで開催します。日本のアーティストは大切に思っていますので、これからも積極的にいろいろなアーティストに会っていきたい。それは私の大切な仕事の一つです。」
最後に今後、日本でPace ギャラリーをどのように発展させたいか、展望を伺った。
「80年代には世界のアート界を日本が牽引していたこともあり、今後アート市場がより活性化するポテンシャルがあります。日本は現代美術に限らず、文化を日常に取り入れ、コレクションすることが生活に入り込んでいると思っています。そういう素地があることを大切にして、Pace ギャラリーが日本に進出することで、アート界に貢献したいです。世界で評価されているアーティストを積極的に呼ぶことで、日本のアート界が国内に留まるのではなく、より大きな世界のコレクションのサークルに入っていくことができるよう、役に立つことができればうれしいです。また、コレクターの方はアーティスト以上に個性的で素敵な方がたくさんいらっしゃるので、紹介しあってコレクション仲間を増やすお手伝いもしたいと思っています。」
日本のアート市場の発展のため、重要な転機となるであろうPaceギャラリーの日本進出。アーティストやアートに携わる人にとってはもちろん、これまで観られなかったアーティストの作品を日本で楽しむことができるなど、私たちにも大きな意義がある。世界のアート界で日本が存在感を表すことができる、『その時』がようやく来たのだ。
名称 | Pace ギャラリー |
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所在地 | 港区虎ノ門5-8-1 麻布台ヒルズ ガーデンプラザA 1F・2F |
電話番号 | 03-6681-9400 |
営業時間 | 11:00〜20:00 |
休廊 | 月曜日 |
アクセス | 日比谷線「神谷町」駅徒歩2分 |
公式サイト | https://www.pacegallery.com/ |
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