この国の空 試写会日記 毎週、あつた美希から映画ファンの皆さんへ熱いメッセージ!傑作でも愚作でも、映画ってやっぱり素敵!!
この国の空

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芥川賞作家・高井有一の小説を脚本家の荒井晴彦が映画化
戦時下の街で暮らす市井の人々を率直な心情とともに描く

19歳の女性の目線で当時を映す、終戦70周年記念作品

芥川賞作家・高井有一による谷崎潤一郎賞受賞作品である同名の小説を、映画『ヴァイブレータ』『共喰い』などの脚本家・荒井晴彦が18年ぶりに監督も手がけて映画化。出演は2011年の第68回ヴェネツィア国際映画祭にてマルチェロ・マストロヤンニ賞(最優秀新人賞)を受賞した園子温監督作品『ヒミズ』をはじめ、映画やドラマに出演多数の二階堂ふみ、2015年11月公開予定の劇場版『MOZU』の長谷川博己、そして工藤夕貴、富田靖子、石橋蓮司、奥田瑛二らベテラン勢が顔をそろえる。
 終戦間近、東京で母と暮らす19歳の里子は、妻子を疎開させ一人暮らしをしている隣人の世話をするようになり…。少女から大人の女性へと成長しながら、結婚が望めそうにない若い女性の行き場のない思い、家族と別れて暮らし身近な女性の美しさに心を奪われる男、娘を大切に思いながらも今ならば仕方がないとする母親。戦時下の街で暮らす人々の愛と生活を、率直な心情とともに丁寧に描く人間ドラマである。

1945(昭和20)年、終戦間近の東京・杉並区。19歳の里子は結核で父を亡くし、母と2人で暮らしている。ある日、庭の防空壕が水浸しになり困っていると、銀行支店長である隣人の市毛が「うちの壕に入ればいい」と声をかける。それから里子は、妻子を疎開させ一人暮らしをしている市毛の身の回りの世話をするようになり、お互いの家を行き来するように。ある日、親戚の女性が結婚すると聞いた里子は、自分は結婚ものぞめず、愛も知らないまま空襲で死ぬのだろうか、という不安にかられる。そんな折、横浜の自宅を空襲で焼かれた母の姉、里子の伯母が「ここに置いてほしい」とやってくる。

 戦局の厳しいなか19歳となった里子の目線で当時を映す、終戦70周年記念作品。「わたしが一番きれいだったとき わたしの国は戦争で負けた」と里子が朗読する、女流詩人茨木のり子の詩が染み入る。疲弊した情勢のなか、里子の匂い立つ女性らしさを鮮やかに、若木のように生々しい命の勢いとして映す手腕には、フランス映画を彷彿とさせる感覚がある。テーマや内容はまったく異なるものの雰囲気としては、トラン・アン・ユン監督のフランス=ベトナム映画『青いパパイヤの香り』や、1992年のジャン=ジャック・アノー監督の仏英合作映画『愛人/ラマン』に近いイメージも個人的に感じる。
 荒井監督は本作について、このように語っている。「1950年代の日本映画はなにも成瀬や小津らの巨匠たちの映画だけでなく、普通の映画でもレベルは高かったんじゃないかと思ってる。その’50年代の普通の日本映画を目指しました」

長谷川博己,二階堂ふみ

里子役は二階堂ふみが清楚さと女っぽさの両面を好演。いつもながら女性の生々しさをあけすけに演じるのが堂に入っていて、奥ゆかしく賢くあろうとしながらも生き物として本能のままにある様子がよく伝わってくる。妻子がありながら里子に吸い寄せられる隣人の市毛役は、長谷川博己がやや枯れた雰囲気から、男としての生臭さがでてくる流れをわかりやすく。女性の本能をするりと引き出す大人の男のずるさと、女性に恥をかかせずに男のせいにしておくというそれなりの気遣いがよく表現されている。二階堂と長谷川の男女のからみのうまさというか、リアルなそれらしさがはしばしに感じられ、それぞれが被害者でも加害者でもなく2人とも対等であり共犯者、という里子と市毛の関係がよく描かれている。
 里子の母親役は工藤夕貴、その姉で里子の伯母役は富田靖子、近所の住人役は石橋蓮司、奥田瑛二とベテラン勢がしっかりと。劇中、母親が世間話の延長で里子にする話は、葛藤や矛盾を含みながらも同じ女性として娘を思う気持ちにしみじみとするものがある。「奥さんを疎開させている男のところへ出入りするなんて、もってのほかって許さない。でも、こんな時代だから娘をよろしくお願いしますって頭を下げに行きたいくらい」

そもそもの映画化のきっかけは、原作の小説が1983年に出版されてすぐに読んだ荒井監督は、里子が市毛に身を寄せるシーンの画が浮かび、「いいな」と思ってすぐに行動。新潮社で原作者の高井氏に会い、「映画にするあてはないけれど、原作をください」とお願いし快諾をもらったことから始まったとのこと。その後2008年には脚本を執筆。’11年に鍋島寿夫プロデューサーにシナリオを渡し、’12年に「戦後70年でやりましょう」と決定。脚本の内容は執筆時のまま、物理的に難しいシーンをカットし撮影時に台詞を大幅に足すなどの調整をして進めたそうだ。

二階堂ふみ,長谷川博己

荒井監督が原作に惹かれたところについて、「里子にすれば、自分の戦後は垣根越しの不倫で地獄になるだろうというところで終わっているよね。そこに戦後に生まれて育ってきたわれわれの世代からの“戦後批判”が重ねられるんではないかと思った」とコメント。このように続けている。「直接的な批判ではないけど、“戦前・戦中”はだめで“戦後”はいいんだという神話を否定することはできるんじゃないかと。戦後は喪失の時代だったという江藤淳の(エッセイ)『戦後と私』はあったけれど、戦争が終わって嬉しくないという主人公の小説が’83年に書かれたわけで、『あっ』と思ってね。日本は戦争が終わってよかった、よかったで、なぜ戦争が始まったのかという戦争責任、そして後始末としての戦後責任をちゃんとやってこなかった。“8月15日”ですべてが変わったと小学校から教わってきたけど、そうじゃないんじゃないか、日本も日本人も変わってないんじゃないかと思うようになった。国のトップの戦争責任をあいまいにしたことがいけなかったんじゃないかと」
 また監督の思いとして“戦後批判”はあるとしながらも、このように語っている。「この映画はそれ(戦後批判)を直球でやってるわけじゃないし、ホームドラマでしょ。いまの時代に届くのだろうかとは思っている」

戦時下であることは十分に理解し近所の人たちの世話をするなどしながらも、女性としての自分だって大事である、という本作は、女性にとって観やすい作品のひとつだ。戦争は背景にあるものの、当時の東京で暮らす人々を描く作品としてとらえても、本作には万国共通の普遍性が含まれている。映像の雰囲気や役者のハマり具合の妙があり、日本映画の価値を世界に伝えることのできる作品のひとつでもあるのでは。国内のみならず、海外の映画賞に応募するなど、海外配給によってたくさんの映画ファンに観る機会が増えるといいな、と個人的に思う。

終戦70年をテーマにした映画やドラマの発表が続く2015年。戦争責任についての批判や戦後批判、といった考えや思いがいろいろあるなか、映画を観るにあたって受け取りかたは観る人それぞれの自由であり、いろいろな作品を観ることでいろいろな視点を知ることができるのではないだろうか。

次回は同じ終戦の頃を描きながら、本作のテーマとは対極にある作品『日本のいちばん長い日』をご紹介する。

『この国の空』
2015年 日本映画

データ

2015年7月24日更新

二階堂ふみ
オフィシャルサイト
『この国の空』

2015年8月8日よりテアトル新宿、丸の内TOEIほか全国公開


■2015年 日本映画
■上映時間 2:10
■ファントム・フィルム KATSU-do配給
■脚本・監督/荒井晴彦
■原作/高井有一
■詩/「わたしが一番きれいだったとき」茨木のり子
■出演/二階堂ふみ
長谷川博己
富田靖子
利重剛
上田耕一
石橋蓮司
奥田瑛士
工藤夕貴




プロフィール
 
あつた美希 あつた美希
あつた美希
フリーライター、アロマコーディネーター、クレイセラピスト インストラクター/インタビュー記事、映画コメント、カルチャー全般のレビューなどを執筆。1996年から女性誌を中心に活動し、これまでに取材した人数は600人以上。近年は2015〜2018年に『25ans』にてカルチャーページを、2015〜2019年にフレグランスジャーナル社『アロマトピア』にて“シネマ・アロマ”を、2016〜2018年にプレジデント社『プレジデントウーマン』にてカルチャーページ「大人のスキマ時間」を連載。2018年よりハースト婦人画報社の季刊誌『リシェス』の“LIFESTYLE - NEWS”にてカルチャーを連載中。