パヴァロッティ 太陽のテノール

テノール歌手L・パヴァロッティ初のドキュメンタリー
さまざまなステージ映像にプライベートの未公開映像、
著名人インタビューを交えて稀代の音楽家の人生を映す

  • 2020/09/04
  • イベント
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パヴァロッティ 太陽のテノール© 2019 Polygram Entertainment, LLC - All Rights Reserved.

“神に祝福された声” “イタリアの国宝”と称されるテノール歌手ルチアーノ・パヴァロッティの初のドキュメンタリー映画。監督は『ビューティフル・マインド』のオスカー監督で、音楽ドキュメンタリー『ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK - The Touring Years』などのロン・ハワードが手がける。子どもの頃から2007年に71歳で他界するまで、小学校の教師からプロのテノール歌手となり成功した輝かしいキャリアと、プライベートでの恋愛や結婚のことなどを、世界中に歌を届ける彼の記録映像と周囲の人々のインタビューで伝えてゆく。テノールとして絶頂期の頃の歌劇『ラ・ボエーム』や『トスカ』のステージ、3 大テノールの公演で『トゥーランドット』のアリア「誰も寝てはならぬ」を歌った伝説的なステージといったパフォーマンスの数々も。陽気に愛し、食べ、歌い、天賦の才を努力でさらに磨き上げ、世界中に素晴らしい歌を届けて。私生活において完璧ではなかったということも含めて、人として音楽家として大勢の人々から愛された稀有な存在を伝える、魅力的なドキュメンタリー作品である。

ダイアナ妃,ルチアーノ・パヴァロッティ

1995年のブラジル、アマゾンの川をゆくボートの上。「100年前に(エンリコ・)カルーソーが歌った劇場で歌いたい」と思いついたルチアーノ・パヴァロッティは、ブエノスアイレスのコンサートで20万人の前で歌った翌日、原野にポツンとある劇場にスタッフと共に行き、そこで歌う。彼が陽気におどけるプライベート映像がいくつか流れ、2番目の妻ニコレッタ・マントヴァーニのコメントの後、パヴァロッティ本人が生い立ちを語ってゆく。パン職人でアマチュアのテノール歌手だった父親と一緒に教会で歌い、本格的に歌手を目指し、1961年にプロとして歌劇『ラ・ボエーム』でデビュー。1968年の33歳の時に世界の三大歌劇場でデビューを達成し、一流のテノール歌手の証といわれる高い声“ハイC”を9回繰り返す歌劇『連隊の娘』で絶賛され、世界が認める人気歌手に。ソプラノ歌手のアンジェラ・ゲオルギュー、指揮者のズービン・メータ、テノール歌手のプラシド・ドミンゴらが彼の声と表現がいかにすばらしいものかを解説。そして前妻アドゥア・ヴェローニ、その3人の娘たち、長い時間を家族として過ごした女性たちがパヴァロッティについて懐かしそうに語ってゆく。さまざまなスタッフたちと新しい仕事をして、世界的スターとなり、1991年のダイアナ妃との出会いからチャリティ活動に邁進。パヴァロッティはU2のボノを口説き落とし、1992年にはイタリアのモデナで「パヴァロッティ&フレンズ」のチャリティ・コンサートを開催する。

レコード・セールス累計1億枚以上の世界的スターとしてのパヴァロッティと、プライベートの知られざる姿、両面を映してゆくドキュメンタリー。澄んでいて明るい、ふっくらとしたのびやかな歌声と共に、彼があれほどにも魅力的な表現者だった理由がよく伝わってくる内容だ。初公開となるプライベートの映像に加え、本作のために新たに撮影した音楽活動の関係者や家族、仲間たち、三大テノールのメンバーであるホセ・カレーラスやプラシド・ドミンゴ、U2のボノら23人のインタビュー映像の客観的なコメントにより、パヴァロッティの人となりがさまざまに紹介されてゆくのも興味深い。そもそもはハワード監督が、ドキュメンタリー映画『ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK』でタッグを組んだプロデューサーのナイジェル・シンクレアから、デッカ・レコードがパヴァロッティのドキュメンタリーを撮れる映画監督を探していると聞いたことがきっかけだったとのこと。そこでリサーチをするうちに、パヴァロッティの良心的かつ楽観的で気さくな性格と、トップスターとしての地位と周囲からの多大な期待、複雑な人間関係、名声を得てもなお高みを目指し続ける姿に惹かれていったとも。ハワード監督はパヴァロッティが一番大切にしていた目標について語る。「彼の最も野心的な目標は、より多くの人がオペラを愛するようになることだった。彼は音楽と人間を心から愛し、音楽の美しさを世界中の多くの人々に届けたいと思っていたんだ」

ルチアーノ・パヴァロッティ,ほか

劇中では、パヴァロッティ本人のインタビューや生い立ちや音楽活動などの記録映像に、新たに撮影した関係者インタビューを交えて印象的に構成されている。テノール歌手としての魅力については、ソプラノ歌手のアンジェラ・ゲオルギューやキャロル・ヴァネス、テノール歌手のカレーラスやドミンゴ、指揮者のズービン・メータら著名な音楽家たち、批評家たちが語り、音楽ビジネスについては、歴代のマネージャーや、レコード会社や劇場のスタッフがコメント。プライベートについては、34歳年下の2番目の妻ニコレッタ・マントヴァーニ、前妻アドゥア・ヴェローニとその3人の娘ロレンツァ・パヴァロッティ、ジュリアーナ・パヴァロッティ、クリスティーナ・パヴァロッティがそれぞれに語っている。
 個人的には、秘書やスタッフをしていたソプラノ歌手のマデリン・レニーが、パヴァロッティの愛人だったことをあっさりと話していたことに驚いた。才能ある学生だったレニーはパヴァロッティのもとで歌手として学びながら、アシスタントや秘書や相談役、彼の音楽活動のサポートをするうちに自然とそうした関係になったそうで、「恋愛関係になるとは思わなかった。でも線引きするのが難しかったわ」とコメント。家庭では妻子を大切にする良き夫として知られながらも、音楽活動の現場には愛人がいるという状況だった。そして50代後半の時には当時23歳だったアシスタントのニコレッタ・マントヴァーニ(後の2番目の妻)との関係が報道され、大きなスキャンダルに。約30年前はカトリック信者にとって離婚があり得ないことだったこともあり、イタリアでは数年間バッシングが続いた。その時に本人も含めて関係者たちがどのような心情だったのかも、それぞれの言葉で語られている。この映画の製作には、現在はパヴァロッティ博物館の館長を務めるニコレッタが全面協力。映画のスタッフに前妻アドゥアと3人の娘たちを紹介したのもニコレッタで、製作のナイジェル・シンクレアは「彼女たち(前妻と3人の娘)がインタビューを受けるのは初めてのことで、とても感動的な経験だった」とコメント。以前はいろいろな思いがあっただろうけれど、今は彼女たちにそれなりに穏やかな関係があるとわかる。ニコレッタはパヴァロッティの子どもを授かり、双子を妊娠して息子は死産となるも、娘アリスが無事生まれ、その数か月前にはパヴァロッティにとっての初孫も生まれて。おそらくパヴァロッティは自身が他界後も、残された家族たちみんながそれぞれに豊かでいられるように、心情的にも財産分与でも配慮したのだろうということが伝わってくる。パヴァロッティが生前、いろいろあった後に記者からの「今も人を信じますか?」という質問に、パヴァロッティは「冗談だろ? 信じられなくなったら生きられない」とコメント。また愛について、このように話していた。「私は愛することを学んだ。生まれつきそんな願望をもっていたんだ。私は無条件で人を信じ続けるだろう」

世界ツアー中に大好きなパスタを自分で作って食べるために食材を大量に持って行ったり、ステージが終わるとスタッフみんなと一緒にイタリア料理を囲んで打ち上げをしたり、テレビ番組にジャージ姿で出演して料理を作りながら食べたりと、ざっくばらんでチャーミングな映像も多々ある本作。一方で、ダイアナ妃との出会いをきっかけに、チャリティ活動に打ち込んでいくさまも心に残る。1992年にモデナで開催された「パヴァロッティ&フレンズ」のチャリティ・コンサートをきっかけに、ロックやポップスなどジャンルを越えたコラボレーションが増えたことは音楽家としては賛否両論あるものの、チャリティ活動への真摯な姿勢について、この映画からしかと伝わってくる。ハワード監督はパヴァロッティがダイアナ妃から多大な影響を受けたこと、彼のチャリティへの姿勢を語る。「彼らはお互いを称賛していた。慈善事業を支援するだけでなく、そのために尽力して献身することで、大きな満足感を得ることができるということを、ダイアナ妃は彼に教えたのだと思う。そして彼は生涯それを続けたんだ」
 最初はパヴァロッティがしつこくラブコールを送ることから始まったU2のヴォーカル、ボノとの関係はすぐに、互いに深く理解し合うとても親しい友人となった。ハワード監督は彼らの友情とパヴァロッティがボノと共に打ち込んだ慈善事業について語る。「ボノはパヴァロッティのことが本当に大好きで、それがはっきりとわかる彼のインタビューは、パヴァロッティの思い出にとっても、私たちの映画にとっても素晴らしい賜物だった。彼が自分の人生経験をどうやって自らの音楽や人道援助の働きにつなげたのかという謎に、ボノが光を当ててくれた。チャリティーイベントをするアーティストは数多くいるけれど、パヴァロッティのようにとても大勢の人たちを巻き込むやり方はほかに類を見ない。オペラとポップスをミックスさせたことで批判されたりしたが、多額の募金が集まって、大きなインパクトを与えることができた」
 他界する数年前にパヴァロッティが劇場のステージに復帰するも厳しい評価が多かったことに対して、ボノは歌い手としてこう語った。「誰かが言った。『全盛期の声とはまるで違う』。思ったね。“歌を何もわかってないな”。彼が素晴らしいのは、歌を生きてきたからだ。それは彼の歌声に表れている。挫折を重ねないと出せない声だ。それを世間が理解しないのは腹立たしい。有名な曲を歌う時に歌手は何を差し出す? 唯一差し出せるものは自分の人生だ。これまで生きてきた人生、犯した間違い、希望や欲望をぜんぶひっくるめて歌にぶち込むんだ」

ルチアーノ・パヴァロッティ,ほか

さて、劇中でパヴァロッティが歌う楽曲は、オペラを知らなくても聞いたことがあるほど有名な曲が多い。プッチーニ作曲の歌劇『トゥーランドット』のアリア「誰も寝てはならぬ」、ナポリ歌曲の「オ・ソレ・ミオ」はもちろん、プッチーニ作曲『トスカ』の「星は光りぬ」、ヴェルディ作曲『リゴレット』の「女心の歌」などの有名な20曲が楽しめる。なかでも個人的に特に感動的したのは、9回の“ハイC”を含むドニゼッティ作曲の『連隊の娘』より「友よ、今日は楽しい日」だ。胸がすくような美しい響きに、感覚がふわっと開くような、両腕を広げて天を仰ぎたくなるような、どこかありがたい気分になる。また“主人公が死なないオペラ作品”のひとつで誠意が勝利する喜劇として、パヴァロッティ本人がお気に入りだったというドニゼッティ作曲『愛の妙薬』でおどけて歌う1シーンも観ていて楽しい。余談ながら、三大テノールのコンサート中に指揮者ズービン・メータがオーケストラへの指示で、「誰も寝てはならぬ」をやりますと伝えるのに、両手を合わせて頬にあて首をかしげて“寝る”というジェスチャーを2回繰り返したのもかわいかった。
 この映画のパヴァロッティの歌声は、アカデミー賞を3度受賞経験のある録音技師クリストファー・ジェンキンズが、“生の歌声を聴いた時に体で感じる力強さ”を感じられるように最新技術でミキシングをしたとのこと。ジェンキンズは彼の歌声について語る。「どんな音楽的手法よりも、人間の声こそが感情に訴えかける。パヴァロッティの声は、最も精巧な楽器だ。だから彼の歌声は、オペラに限らずジャンルを超えるのだと思う。彼の声は、世界中の人が偉大な絵画、音楽、食べ物、愛情、思いやりから感じるものと同じだ」
 最後に、ハワード監督が本作でこだわった音響へのこだわりについてお伝えする。「すべての観客に、かつてない心躍る体験をしてもらいたい。この映画のサウンドに、皆さんびっくりすると思うね」

作品データ

公開 2020年9月4日よりTOHOシネマズ シャンテほかにて全国ロードショー
制作年/制作国 2019年 イギリス・アメリカ
上映時間 1:55
配給 ギャガ
原題 Pavarotti
監督 ロン・ハワード
:あつた美希
ライター:あつた美希/Miki Atsuta フリーライター、アロマコーディネーター、クレイセラピスト インストラクター/インタビュー記事、映画コメント、カルチャー全般のレビューなどを執筆。1996年から女性誌を中心に活動し、これまでに取材した人数は600人以上。近年は2015〜2018年に『25ans』にてカルチャーページを、2015〜2019年にフレグランスジャーナル社『アロマトピア』にて“シネマ・アロマ”を、2016〜2018年にプレジデント社『プレジデントウーマン』にてカルチャーページ「大人のスキマ時間」を連載。2018年よりハースト婦人画報社の季刊誌『リシェス』の“LIFESTYLE - NEWS”にてカルチャーを連載中。
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