愛に乱暴

吉田修一の小説を森ガキ侑大監督が映画化
心が崩れゆく妻を江口のりこが繊細かつ豪快に
サスペンスさながら緊張感みなぎる人間ドラマ

  • 2024/08/30
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愛に乱暴©2013 吉田修一/新潮社 ©2024「愛に乱暴」製作委員会

『悪人』『怒り』などが映画化されている芥川賞受賞作家・吉田修一の小説を、『さんかく窓の外側は夜』の森ガキ侑大監督が映画化。出演は、『BAD LANDS バッド・ランズ』の江口のりこ、『バスカヴィル家の犬 シャーロック劇場版』の小泉孝太郎、『糸』の馬場ふみか、『Arc アーク』の風吹ジュンほか。41歳の専業主婦・初瀬桃子は、結婚して8年になる夫の真守との関係が冷え込む中、少しずつ平穏を失っていく。近所のゴミ捨て場で続く不審火、餌付けをしていた猫が姿を消す、義母とのぎこちない関係、そして夫の浮気が発覚し……。ドキュメンタリーのように主人公をカメラで追っていく、息の詰まるサスペンスのような緊張感みなぎる人間ドラマである。

江口のりこ,馬場ふみか,小泉孝太郎

41歳の専業主婦・初瀬桃子は、結婚して8年になる夫の真守と、義母が暮らす真守の実家の敷地内に建つ“はなれ”で暮らしている。子どもはおらず、桃子は手作り石鹸教室で週に2回講師を勤め、それなりに充実していた。真守に話しかけても生返事、近所のゴミ捨て場では不審火が続き、義母とはどこか噛み合わず、餌付けをしていた猫は姿が見えない。家のリフォームでもして気分を変えようと真守に話すが、気のない様子だ。そんななか、真守の香港出張をきっかけに浮気が発覚し……。

原作者の吉田修一氏が、2013年6月号の新潮社の読書情報誌「波」の著者インタビューにて、「だから、やはり恋愛や夫婦関係がテーマではないんでしょうね。いろんな方向から、〈桃子の居場所〉あるいは〈居場所のなさ〉を書きたかったのだと思います」と語る物語。ドキュメンタリーのように主人公を静かにカメラで捉え、身の置き場のないやるせなさ、心がゆっくりと壊死していくような感覚が伝わってくる内容だ。その生々しさゆえに、一体何をみせられているんだろう、というしんと冷えた気持ちにもなる。現実に味わうような孤独やつらさをわざわざ映画でどうして、と。森ガキ監督は2024年8月8日に東京で行われたティーチイン付き試写会にて、原作の小説を読み映画化を熱望した理由について、このように語った。「社会から意図せず弾き飛ばされてしまった人々の物語に惹かれます。僕自身、たまにふと『孤独だなぁ』と思うことがありますし、生きにくい社会になっていることも感じます。主人公の桃子の身に降りかかる出来事は、女性のみならず男性も共感できると思い映画化しました」

風吹ジュン,江口のりこ

結婚8年になる主婦・初瀬桃子役は江口のりこが、少しずつ心が崩れてゆくさまを繊細かつ豪快に表現。現場では撮影が進むなかで自然と話し合うことが増えたそうで、2024年8月29日の「CREA WEB」で筆者が取材した記事「吉田修一原作『愛に乱暴』で桃子役を熱演。江口のりこ『みんなで話し合い作った作品。とにかく観てほしい』」にて、このように語っている「原作を映画の脚本に落とし込んでいくなかで、登場人物もエピソードもだいぶそぎ落とされてシンプルになっています。その中で彼女をどう見せていくかがとても難しくて。桃子という人物を撮影現場で演じていく中で、自然と桃子の人間像についてキャストやスタッフみんなで話し合うようになっていきました」。そして監督は前述のティーチイン付き試写会にて、江口の演技を讃えてこのように語った。「カメラは全編ほぼずっと桃子の姿を捉えているんですが、実はそんなに桃子の台詞は多くないんです。昨今は説明過多な映像が多いなと感じていたので、なるべく省きたかった。台詞はできるだけ少なく表情と佇まいだけで語りたくて、そんな要望を江口さんは見事に成し遂げてくれました」
 妻とまったく関わろうとしない桃子の夫・初瀬真守役は小泉孝太郎が、息子贔屓の義母・初瀬照子役は風吹ジュンが、桃子と正反対のタイプである真守の浮気相手・三宅奈央役は馬場ふみかが、近所に住む青年リー役は水間ロンが、桃子が以前勤めていた会社の元上司である鰐淵役は斉藤陽一郎が、同会社の若手社員である浅尾役は青木柚が、それぞれに演じている。

この企画は、映画化を申し込むため横山蘭平プロデューサーが新潮社に森ガキの監督デビュー作『おじいちゃん、死んじゃったって。』を渡し、吉田氏が「自分に近い感覚があり面白かったです。『愛に乱暴』も楽しみにしています」と快諾したことからスタート。吉田氏は映画化を見守りサポートをしてくれたと横山プロデューサーは語る。「吉田さんは本当に応援してくださいました。脚本開発の際には終始否定的なことはおっしゃらず、時にはアイデアも交えて、励ましの言葉を掛け続けていただいた事を覚えています。『鼻歌を歌う桃子』といった作品の肝となるアイデアも楽しそうに出してくださいました」。そして脚本を提出すると、吉田氏から「もっと自由にやって欲しい」と伝えられ、監督は「100分でまとめるために登場人物を減らし、桃子の視点を増やしました。桃子の視点でもっとディープに進めていくにはどうしたらいいかを考えた」ことで脚本家と共に内容を練り上げていった。そして吉田氏に最終稿を渡したところ、「小説よりシンプルになり、桃子、真守、照子の三角関係も色濃くなり、とても良かったです」とメッセージがあり、脚本が完成したという。森ガキ監督はこの物語の魅力と映画化への思い、吉田氏への感謝を語る。「この原作を読んだ時に“今”映画化する意味があると強く感じました。現代は生産性ばかりを求めている社会が存在していて、世の中の隅に追いやられ孤立している人がいる気がしていました。主人公の桃子は社会の中で葛藤を抱き、もがきながら一生懸命に生きています。桃子の姿は時にユーモラスで、時に刺激的で読んでいる自分の心を動かしました。原作者である吉田修一さんとお会いし、映画化を許可していただいた時の喜びとプレッシャーは今でも心の奥に残り続けています」

江口のりこ

吉田氏が2019年10月号の「波」の著者インタビュー「【特集 吉田修一の20年】吉田修一、新潮文庫の自作を語る【後篇】」にて、『愛に乱暴』をどのように執筆したかについて語る内容が興味深い。「僕は主人公の桃子に何ひとつ共感していないんですよ。彼女が次に何をするのかもわからない。言ってみたら、彼女のすぐ後ろで透明人間になって見ている、という感覚で書いていました。自分が物語を作っていくというより、桃子さんが思いもよらないことをするので、それを驚きながら書きとめていく」。そしてこのように続けた。「ただ彼女のすぐ後ろに立って、『何この夫婦!』『何この姑!』『え、そんなことするの?』って呆れている感じ」。こうした感覚は、実際にこの映画を観た時の筆者もちょうどそのように感じたので、なるほど、作家の体感も映画化されているのか、と妙に納得した。また2013年6月号の「波」掲載の『愛に乱暴』刊行記念特集、著者インタビューの記事「必然性とか衝動みたいなものは」にて、吉田氏は桃子という登場人物についてこのように語っている。「これは僕が桃子に興味や好意を持たなかったせいではなくて、作者が言うのもアレですけど、彼女はすごく気になる女性なのに、うまく理解しきれなかったからです。この小説を書き始めてすぐに、(あれ、彼女のことを理解できない)と気づいた。ということは、心情を書くと嘘になるわけだから、彼女の行動だけを追っていこう、と決めたんです」

徐々に心が崩れていった桃子は、それからどこへ向かってゆくのか。吉田氏は猛暑のなか撮影現場を訪問した時のことについて「こんなにも雰囲気の良い現場は初めてだった」と話し、映画への思いをこのように語った。「汗まみれのスタッフも熱演するキャストも撮影に協力してくれているご近所の方々も、夏の長い宵の中、誰もが美しかった。今この場所で一つの奇跡が生まれようとしているのが分かった。森ガキ監督の情熱に、江口のりこという俳優の肉体に、スタッフの方々の汗に、この土地が味方してくれているのがはっきりと伝わってきた。一人でも多くの方にこの映画を観ていただきたいと切に願っております」
 最後に、江口と森ガキ監督より観客へのメッセージをご紹介する。
 江口「原作である吉田修一さんの小説『愛に乱暴』が面白すぎて、映画化するハードルの高さにモヤモヤしていました。しかし撮影現場で、監督の映画作りの情熱や、共演者の方々のお芝居に引っ張られ、森ガキ組の映画としての『愛に乱暴』を作ればいい!と吹っ切れ、真夏の暑さと共に夢中で撮影しました。今回演じた桃子というキャラクターは、映画の中で迷い、暴走し、自分の居場所を見つけようとする女性です。みなさま、是非劇場でご覧になって下さい」
 森ガキ監督「行き過ぎたものは全て、暴力と表裏一体だと思います。愛の裏には暴力があり、暴力の裏には愛がある。あらゆる事物も人間性も表裏一体で存在していることを、今回のタイトルから学びましたし、そこに気づかされた作品でもあります。この素晴らしい原作を繊細に、そして大胆に演出しました。灼熱の太陽の下、江口さんを始めとする素晴らしい役者陣とスタッフが一緒に死にもの狂いでフィルムに焼き付けた本作には奇跡の連続が宿っています。スタッフ全員で紡いだこの映画が多くの方に届くと強く信じています」

参考:月刊読書情報誌「波」、「CREA

作品データ

公開 2024年8月30日より全国ロードショー
制作年/制作国 2024年 日本
上映時間 1:45
配給 東京テアトル
原作 吉田修一『愛に乱暴』(新潮文庫刊)
監督 森ガキ侑大
脚本 山ア佐保子
鈴木史子
音楽 岩代太郎
出演 江口のりこ
小泉孝太郎
馬場ふみか
水間ロン
青木柚
斉藤陽一郎
梅沢昌代
西本竜樹
堀井新太
岩瀬亮
風吹ジュン
:あつた美希
ライター:あつた美希/Miki Atsuta フリーライター、アロマコーディネーター、クレイセラピスト インストラクター/インタビュー記事、映画コメント、カルチャー全般のレビューなどを執筆。1996年から女性誌を中心に活動し、これまでに取材した人数は600人以上。近年は2015〜2018年に『25ans』にてカルチャーページを、2015〜2019年にフレグランスジャーナル社『アロマトピア』にて“シネマ・アロマ”を、2016〜2018年にプレジデント社『プレジデントウーマン』にてカルチャーページ「大人のスキマ時間」を連載。2018年よりハースト婦人画報社の季刊誌『リシェス』の“LIFESTYLE - NEWS”にてカルチャーを連載中。
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