アカデミー賞国際長編映画賞受賞作
軍事独裁政権下のブラジルで起きた失踪事件
行方を探し続けた家族の実話をもとに描く
軍事独裁政権下にあった1970年のブラジルで消息を絶った男性と、その行方を20年以上探し続けた妻の実話をもとに描く。出演は、ブラジルの舞台や映画で活躍するフェルナンダ・トーレス、フェルナンダの実母でありサレス監督作『セントラル・ステーション』でブラジル人初のアカデミー主演女優賞候補となったフェルナンダ・モンテネグロ、俳優や脚本家として知られるセルトン・メロほか。監督は『モーターサイクル・ダイアリーズ』のウォルター・サレスが手がける。軍事独裁政権下のブラジル、リオデジャネイロで元国会議員のルーベンス・パイヴァと妻エウニセ、5人の子どもたちは穏やかな暮らしを送っていた。しかしある日、ルーベンスが軍に連行され消息を絶ち……。ルーベンスの実の息子で作家・ジャーナリストのマルセロ・ルーベンス・パイヴァが2015年に発表した回想録『Ainda estou aqui』を原作に、夫の行方を探し続ける妻、複数世代にわたる記憶と喪失、家族に継承されていく思いと絆を映す。ブラジルを舞台に、当時にどのようなことがあったのか、現代の社会情勢への警鐘を、実際に起きた失踪事件と、一家の喪失と再生により描いていく作品である。
1970年、軍事独裁政権下のブラジル。元国会議員ルーベンス・パイヴァとその妻エウニセは、5人の子どもたちと共にリオデジャネイロで穏やかな暮らしを送っていた。しかしスイス大使誘拐事件を機に空気は一変、軍事政権の抑圧が市民へと押し寄せるなか、ルーベンスが軍に連行され、消息を絶つ。突然、夫を奪われたエウニセは、必死にその行方を追い続けるが、彼女自身も軍に拘束され、過酷な尋問を受ける。エウニセは数日後に釈放されたものの、夫の消息は一切知らされなかった。それからエウニセは諦めることなく夫の行方を探し続け――。
2025年の第97回アカデミー賞では国際長編映画賞を受賞。そのノミネートではブラジル映画史上初となる作品賞を含む、主演女優賞、国際長編映画賞の3部門に選出され、南米でも大きな話題となった注目作。最愛の夫を軍事政権により突然奪われた妻エウニセが、喪失と絶望のなかで子どもたちと自身を守りながら、自分にできることを選択し、長い年月のなかで諦めることなく積み上げていく、静かながら強靭な意志と共に歩む非常に力強い姿が描かれている。
余談ながら、劇中で子どもたちがレコードをかけて楽しそうに踊るシーンで流れるのは、セルジュ・ゲンスブール作詞・作曲による1969年の曲「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」。親たちが「意味は知らない方がいい」というのは、かなりエロティックな歌だから。こうした曲をただの流行歌として子どもたちが楽しめるほど、ブラジルの社会情勢がゆるやかなひとときもあったのだとわかる。サレス監督はこの映画の主題と出会ったことについて、1960年代末にリオへ移住してきたパイヴァ一家と知り合ったことだと説明。そして1970年に起きたルーベンス・パイヴァの失踪について、サレス監督は“友人の父親が行方不明になる”という初めての経験に大きな衝撃を受けたという。監督はルーベンスの失踪以前から多くの人たちが集っていたパイヴァ家について、「思春期の一部を彼らの家で過ごした」と話し、その頃に受けた影響についてこのように語っている。「そこで初めてトロピカリア(1960年代末、カエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルらが主導した、ブラジル音楽にロックや前衛芸術の要素を取り入れた革新的文化運動)を聴き、独裁政権下の政治について語り合う熱気に包まれ、私の価値観は大きく揺さぶられました。あの家は、映画館とは異なるかたちで、『世界は想像以上に広い』と教えてくれた場所だったのです」
元国会議員ルーベンス・パイヴァ役はセルトン・メロが、包容力のある朗らかな父親として。夫と5人の子どもたちを愛する妻エウニセ役はフェルナンダ・トーレスが、気丈に子どもたちを守り、努力を積み上げて夫の行方を追い続ける気骨のあるさまを繊細に表現。後年に夫の失踪についてエウニセがメディアの取材を受けるシーンで、家族写真を撮影する際に担当者から、笑顔はいらない、悲しそうに、と言われると、エウニセが子どもたちに、笑顔で楽しそうに、と言い、母と5人の子どもたちが笑顔で写真撮影に応じるシーンは涙が滲む。それでも自分たち家族は幸せに生きているし、不幸を強いられるいわれはない、脅して駆け引きを仕掛ける軍政のやり方に屈しない、という強い意志と在り方が胸に響くからだ。彼女はエウニセ役について、「あまりに重い現実を、微笑と自制心で演じねばならなかった」とコメント。撮影中に役が憑依したような感覚になり、涙が止まらないままリオの街を歩いたと話している。トーレスは第82回ゴールデングローブ賞では主演女優賞(ドラマ部門)を受賞し、アカデミー賞では主演女優賞にノミネートされた。
老年期のエウニセ役はフェルナンダ・モンテネグロが表現。彼女はトーレスの実母であり母娘の共演で一人の女性を演じ、“継承”という映画の主題とリンクする配役となっている。パイヴァ家の5人の子どもたちは、成長に応じて複数の俳優が演じ、長女ヴェロカ役の思春期はヴァレンチナ・ヘルツァジが、成年期はマリア・マノエラが、次女エリアナ役の少女期はルイザ・コソフスキが、成年期はマルジョリエ・エスチアーノが、それぞれに演じている。役作りにおいて、トーレスはエウニセに関する多くの記録映像や証言を参考に、セルトン・メロもルーベンスの日記や写真を資料として研究。各人が資料の調査やインタビューを通じて丁寧な準備を進め、キャスト全体が「記憶に基づく人物再現」を意識して取り組んだという。
セレス監督は1970年代から現代まで描くことで見出した主題、登場人物の変遷についてこのように語っている。「この物語には、時代を超えて展開される固有の時間軸がありました。エウニセという一人の女性の多層的な人生と、家族や社会に刻まれた記憶が、数十年をかけてゆっくりと再生されていく過程を描くためには、時代の区切りにとらわれることはできなかったのです。とりわけ、子どもたちが母の思いを受け継いだことで、この作品は“継承”の物語としても立ち上がってきました」
監督はこの実話の映画化のきっかけについて、「2015年の著書(映画の原作『Ainda estou aqui』)には深く心を動かされたがそれだけが映画化の動機ではない」とコメント。そして企画の経緯と、ルーベンスの息子である原作者マルセロ・パイヴァが映画の脚本執筆や映画製作に積極的に関わったことについて、監督はこのように語っている。「私は家族と近しい関係にあり、彼らの記憶の再構築が、それぞれの断片的かつ主観的な証言に依存せざるを得ないという構造に直面しました。その複雑さを熟慮した末に、7年前にようやくプロジェクトを始動しました。決定的な後押しとなったのは、マルセロ本人が脚本作業(ムリロ・ハウザー、エイトール・ロレガと共同)に寄り添い、鋭い洞察を与えつつも原作を自由に脚色する裁量を委ねてくれたことです」
原作の著書は、高齢で記憶を失いつつある母エウニセのために執筆され、著者マルセロ・パイヴァが自身の視点から家族の記憶を辿る内容となっている。一方、映画は母エウニセを主人公に彼女の視点で描いたことについて、サレス監督は、原作の中心にも常にエウニセの姿があったと話し、「彼女は運命に抗い、家父長制の枠組みを超えて、自らを再創造した存在です。その静かでありながら揺るぎない抵抗の姿に、私は強く惹かれました」とコメント。そして監督はこの映画の企画を進めた意図について、このように語っている。「壊れた家族の記憶をたどる営みと、国家=ブラジルの記憶を再構築する作業が重なり合うこと──それこそが、この映画を撮ろうと決意した根本的な動機です。30年に及ぶパイヴァ家の探求は、そのままブラジルの再民主化の歩みとも重なっています」
この映画は国際的な映画賞の数々を受賞。第97回アカデミー賞にて国際長編映画賞、第81回ヴェネツィア国際映画祭にて最優秀脚本賞、そして第82回ゴールデングローブ賞にてトーレスがブラジル人女優として初めて主演女優賞を受賞するなど世界的に高い評価を得ている。アカデミー賞の授賞式にてサレス監督は、喜びと共にこのようにコメントした。「過去と向き合うことの大切さを、世界が受け止めてくれた」
この映画の企画が7年かけて進められるなか、ブラジルでは民主主義の危機が迫り、1970年代に起きた出来事を見つめ直す風潮が高まってゆく。そして2024年11月のブラジルでの公開初日に約5万人を動員し、週末の興収は国内1位、パンデミック以降の国産映画として最大級のヒットに。2025年3月2日には、第97回アカデミー賞授賞式がブラジル最大の祝祭・カーニバルと同日に開催され、この映画が国際長編映画賞を受賞したことから、ブラジルではますます熱狂的な盛り上がりとなり、さらなる“社会現象”となっていったという。
サレス監督はこの映画について、「原作が持つ幾重ものレイヤーと、私自身の記憶の断片を交差させた、もっとも私的な映画になった」とコメント。またひとつの家族が時を経て子どもたちが大人になり次世代として記憶を継承していく姿を描いていることから、監督は「多世代の視点が交差する作品」とも。そして「観終わった後に観客のなかで対話が始まるような映画」を目指したという。
この映画のタイトル「Ainda Estou Aqui(私はまだここにいる)」は、単なる存在の文言ではない。奪われた声と記憶は映画として何度でも繰り返し再生される。時を超えて響き続け、観客たちに長く継承されてゆく。地理的には地球の裏側あたりにある日本でも、当時のブラジルで起きたことを知り、家族や社会の在り方についてこれまでとは違う角度から考えるきっかけとなるかもしれない。最後に、監督が語るこの映画の意義とメッセージをご紹介する。「近年、極右の台頭により、軍政期の記憶がいかに脆く、消されやすいものであるかが改めて露わになりました。過去を照らし出し、同じ過ちを繰り返さないための作品が、今こそ必要だと痛感しています。本作では、国家が家族の中にまで介入し、生死を左右し、遺体すら奪うという現実を描いています。2021年には、かつての拷問者に勲章を授ける大統領が現れるまでになりました。この映画はボルソナロ政権以前に構想されたものですが、結果的に過去だけでなく、現代における新たな権威主義の危険性をも照射する作品となりました。それが、私たちが今いる現実です」
公開 | 2025年8月8日より新宿武蔵野館ほか全国ロードショー |
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制作年/制作国 | 2024年 ブラジル・フランス |
上映時間 | 2:17 |
配給 | クロックワークス |
原題 | AINDA ESTOU AQUI |
英題 | I'M STILL HERE |
監督 | ウォルター・サレス |
脚本 | ムリロ・ハウザー、エイトール・ロレガ |
原作 | マルセロ・ルーベンス・パイヴァ |
出演 | フェルナンダ・トーレス セルトン・メロ フェルナンダ・モンテネグロ |
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