ワン・バトル・アフター・アナザー

変態軍人に愛娘をさらわれた元革命家の父が
逃走しながら娘を奪還するべく立ち向かう
コメディ満載で劇的、PTA流アクション映画

  • 2025/10/10
  • イベント
  • シネマ
ワン・バトル・アフター・アナザー© 2025 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED.

レオナルド・ディカプリオ、ショーン・ペン、ベニチオ・デル・トロ、オスカー受賞経験のある3人を迎え、ポール・トーマス・アンダーソン(PTA)が脚本・監督・製作を務めた話題作。共演は、『シャフト』のレジーナ・ホール、ミュージシャンや俳優や監督など多彩に活躍するテヤナ・テイラー、オーディションで選出され映画初出演となる気鋭の若手チェイス・インフィニティほか。最愛の娘をさらわれた元革命家のボブは、次々と襲ってくる刺客の手を逃れながら娘を奪還するべく奔走し……。酒や大麻などの不摂生と長い年月により合言葉を思い出せない元革命家の父親ボブ、妄執でボブを追い詰めてゆく変態軍人ロックジョー、娘の武術の師でありボブを助ける空手道場のセンセイ、アクの強い奴らがそれぞれの目的に向かって突き進んでゆくその先には――。シリアスな逃走劇にして闘争劇、そして予想を遥かに超えるコメディにして家族の物語、というドラマティックなアクション映画である。

愛娘ウィラと平凡ながらも冴えない日々を過ごす元革命家のボブは、ウィラが突然さらわれて生活が一変。異様な執着心をもつ追っ手の変態軍人ロックジョーに激しく追い詰められてゆく。次から次へと襲いかかる刺客たちとの死闘の中、テンパりながらもボブに革命家時代の闘争心がよみがえっていく。ボブはウィラの武術の師である空手道場のセンセイの手を借りて、ウィラを奪還するべく動き出すが……。

テヤナ・テイラー,ショーン・ペン

ベネチア(『マグノリア』(99)と『ザ・マスター』(12))、カンヌ(『パンチドランク・ラブ』(02))、ベルリン(『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(07))、世界3大映画祭の監督賞を受賞した唯一の監督ポール・トーマス・アンダーソンの4年ぶりの最新作。レオナルド・ディカプリオ(『レヴェナント 蘇えりし者』(15)にて第88回アカデミー賞®主演男優賞)、ショーン・ペン(『ミスティック・リバー』(03)と、『ミルク』(08)で第76回、81回アカデミー賞にて主演男優賞)、ベニチオ・デル・トロ(『トラフィック』(00)にて第73回アカデミー賞にて助演男優賞)、3人のオスカー受賞経験のある俳優をはじめ、実力派のメンバーが顔を揃える。受賞歴を挙げ連ねるのは野暮かもしれないが、こうしてまとめると改めて相当な布陣だ。レオナルドはアンダーソン監督作『ブギーナイツ』の主演を断ったことを最大の後悔と感じていたそうで、約30年を経てPTAとレオのタッグが実現ともいわれいてる。監督はこの物語の始まりについて、約20年前に「カーアクション映画を書きたい」という思いから取り組みはじめ、1980年代にトマス・ピンチョンが執筆した、1960年代を題材にした小説「ヴァインランド」の脚色を思いつき、作家の了承を得て進めたという。この映画の特徴は、シリアスでハードな逃走劇でありながらユーモアたっぷりであるところ。ボブと組織の間で繰り返される合言葉のくだり(ネット社会でパスワードを忘れるとどうにもならないことに似ている感覚も)、トム・クルーズなら必ずクールに成功させる映画らしいアクションの数々で、ボブが見事に失敗したり怖がってぐずぐずしたりするところなど笑えるくだりがたくさんある。監督は映画におけるユーモアについて、このように語っている。「一般的に、ユーモアは誠実さや何かに真剣に取り組む姿勢から生まれるものだ。ボブはこの映画の中で非常におかしい。彼の狂気じみた執念深い追求そのものから笑いが生まれる。彼はどこか不器用で、そこからもユーモアが生まれる。人間の本質の不条理さにも笑いがある。ロックジョーにもある種のユーモアがある。彼がどれだけ歪んでいるか、混乱しているか、そして“クリスマスの冒険者”クラブの一員になろうとする執着の中に」

もと革命家で現在は酒を飲み大麻を吸い森の中に隠れて暮らすシングルファーザーのボブ役はレオナルドが、周囲のすべてに対して極端に懐疑的で愛娘を守ることを第一に考えている人物として。主演のレオナルドはこの作品に強く惹かれた理由は監督がアンダーソンであることだと語り、「彼とこの映画を作ることは非常に特別なこと」とコメント。そしてボブという人物についてこのように語っている。「これは典型的なヒーロー物語ではない。私が演じるボブには、愛するものを守り、愛するもののために戦う力があったが、それを失ってしまった。そしてこの映画全体は、彼がそれを再発見しようとする物語だ。恐怖に満ち、常に声を封じられる時代でも恐れずに殻を破ろうとする物語なのだ。ボブはその象徴だ。彼は孤立し、猜疑心が強く、妄想にとらわれてきた。そして恐れを持たずに行動することを強いられる状況に追い込まれる」
 監督はレオナルドとの初タッグについてこのように語り、称賛している。「レオとの仕事は素晴らしかった。期待していた通りのものだったし、私たちは本当に一緒に仕事を楽しめたと思う。また一緒にやりたいと願っている。映画をやろうと話すのと、実際にやるのとではまったく違う。<中略>スターのパワーというものを理解したし、彼は素晴らしい協力者でもあった。物語について何を質問すべきか、どこを掘り下げるべきかを心得ていた。我々は本当に素晴らしい時間を過ごした」
 ボブを執拗に追う“変態軍人”ロックジョー役はショーン・ペンが、狙った獲物や地位にどこまでも執着する不気味さと、ある種のペーソスを含む存在として。いわゆる悪役ながら、老いや孤独や妄執と共にある猪突猛進ぶりに嫌悪感とものがなしさの双方を強くにじませる表現が圧倒的だ。ショーンはこの映画の魅力について楽しそうに語る。「私は日々の撮影の終わりに何を見せられるのか、ポールがどう仕上げるのかに驚かされるのが好きだ。この映画でもそうだったし、何度も笑ってしまった。これは純粋なコメディではなく、独自の存在だ。しかし最も苦しい場面ですら、独創的な視点で描かれているからこそ思わず笑ってしまう。映画にこうした新鮮な感覚をもっと取り入れるべきだと思う。観客も皆、それを楽しんでくれるだろう」
 ボブの娘ウィラの武道の師であるセンセイことセルヒオ役はベニチオ・デル・トロが、危険であろうともボブや移民たち、助けを求める人々の支援を独自の人脈で飄々と続ける、しなやかで強靭な信念をもつ人物として。ベニチオはこの映画がただのアクション映画にとどまらない、その奥深さについて熱く語る。「この映画には、大作映画には時折欠けているかもしれない、豊かな人間性、ユーモアのセンス、登場人物たちの挫折、それらすべてが備わっている。この作品の登場人物は誰も、一面的ではない。アクション映画であり、冒頭から終わりまで大量のアクションがあるが、同時に人間たちが過ちを犯す姿が描かれる。欠点も見える。爆発やスタント、アクション映画のあらゆる要素に満ちているが、そのすべてを通してポールは人間の本質を探っている。左からも右からも、ウィラが生き延びようとする意志、そして父が娘に抱く無条件で無私の愛が描かれる」
 変態軍人に命を狙われるボブの娘ウィラ役はチェイス・インフィニティが鮮烈に、ボブの妻でウィラを産んですぐに姿を消した、先鋭的な革命家ペルフィディア役はテヤナ・テイラーが、ボブたちの革命の同士デアンドラ役はレジーナ・ホールが、それぞれに演じている。

ベニチオ・デル・トロ

多くの観客とおそらく同様に、筆者のお気に入りのシーンのひとつはセンセイがボブを車で送り届ける一連のシーンだ。特に「自由とは恐れないことだ、トム・クルーズみたいに」と言って、車を運転しながらクイッと車体を振って放り出すところと(実際にベニチオが運転している)、警官から交通違反で停車を求められ、降車して道路で軽やかにステップを踏んでいる場面。センセイ=デル・トロのカッコよくてチャーミングな素敵っぷりが突出している。ベニチオはレオナルドとの共演が充実していたことについて、このように語っている。「レオのような素晴らしい俳優と仕事をするのはただただ楽しかった。私がやったことといえば、レオが投げてくるものを受け止めることだけだった。基本的に、私の仕事の一つは最前列に座ってレオがボブを生き生きと演じるのを楽しむことだけだった」
 劇中ではセンセイのセリフで沁みるものがいくつかあり、アンダーソン監督は砂漠の道を疾走するこのシーンをはじめ、そうした台詞についてこのように語っている。「それはニーナ・シモンの言葉だ……『自由とは何かを教えてあげよう。恐れがないことだ。それが自由だ』。脚本には書かなかったのだが、撮影が進むにつれて頭の片隅でずっとその言葉が響いていた。『恐れるな。進め』。この言葉は明らかにベニチオに言わせたかった台詞だとはっきり思った。実際、人生や仕事の哲学として、私にとってもまさに真実だ」

監督は撮影をロケや実在する場所で行ったことについて語る。「撮影は、テキサス州エルパソからカリフォルニア州ユリカまで、さまざまな地域で行われ、その場所自体が物語を育んでくれた。映画に登場する高校のダンスシーンの子どもたちは、実際にその学校に通う生徒たちだ」
 そして劇中のカーチェイスは、すべてアンダーソン監督の発案とのこと。スタントコーディネーターのブライアン・マクライトらと綿密に連携し、シーンごとにおもちゃのミニカーを用いてカメラ位置や動線を検討。街で偶発的に展開されているかのようなリアリティと緊張感を生み出すよう、即興的な演出が巧みに設計されている。なかでも坂道を上がったり下がったり大きく波打つような丘陵地帯でのクライマックスのカーチェイスは、カリフォルニア州ボレゴ・スプリングスのハイウェイ78号線付近、アンザ・ボレゴ砂漠州立公園の道路沿いにて撮影された。アクションシーンの多くは俳優たち自身が演じ、レオナルドは運転やフェンス越え、車からの飛び降りに加え、建物の屋上からのジャンプもスタントコーディネーターの監修のもと約1週間かけてリハーサルをした上で撮影したとも。ベニチオは劇中のすべてのスタントドライビングを自ら行い、チェイス・インフィニティは武術や運転のトレーニングを重ね、格闘シーンも自身で演じ、テヤナは全速力で走行するミニバンに横から飛び込むアクションを自身で行ったとも。

チェイス・インフィニティ,レジーナ・ホール

既にこの映画を3回観たというスティーブン・スピルバーグが最高と言い、マーティン・スコセッシが「並外れた出来栄え」と絶賛、北米での評判も上々で映画賞受賞への期待が高まっているアンダーソン監督の最新作。撮影はアンダーソン監督のこだわりによりビスタビジョンにて行われ、スクリーンで大判フォーマットならではの奥行きや美しさを体感、IMAX®や70mmフィルムとなどの大型フォーマットでも没入感を堪能できるのも特徴だ。
 物語では反体制的な革命家たちと、偏執的な権威による弾圧という社会的テーマに加え、夫婦関係におけるすれ違いを男女逆転の構図で描いているかのような側面も印象的だ。出産後、妻が子育てに没頭することは自然な流れであり(世話をしなければ生きていけない命が相手なのだから)、その過程で夫が「以前のように自分に向き合ってくれない」と感じてしまうこともある。そこから失望や幻滅が生まれ、夫婦間に不和や浮気、さらには別離が生じるケースも決して珍しくない。この映画では、娘を育てる父が社会から距離を取り、彼女を必死に守ろうとする姿が描かれ、家族について多面的に捉えることができる。物語が最終的に父娘のつながりや家族の再生に着地していくことで、その多層的な描写がさらに深みを増していると考えられる。最後に、アンダーソン監督が語るこの作品のテーマと、レオナルドが語るこの映画の魅力についてお伝えする。
 レオナルド「私が映画で常に愛してやまないのは、アクションであれサスペンスであれ、有限の世界の中での決着であれ、最初から最後まで観客の注意を引き続けることができる作品だ。ひと息つくヒマもない。そうした映画こそが時代を超えて愛され続ける。そしてポールはこの映画でそれを見事に実現した。最初から最後まで観客を釘付けにする作品になっている」
 アンダーソン監督「観客として私が観たいのは、自分にとって共感できる、感情的な物語だ。私にとってその感情は、たいてい家族の物語、つまり愛し合い、憎み合うあり方から生まれる。近年の世界の情勢については、正直なところついていくのはほとんど不可能だ。だから私にとっては、時代遅れにならない要素、観客が本当に気にかけるものに焦点を当てるほうがよい。この映画にとってそれは2つのことだ。父は娘を見つけられるのか。そして家族であるとはどういう意味なのか、ということだ」

作品データ

公開 2025年10月3日公開より全国公開 IMAX®/Dolby Cinema® 同時公開
制作年/制作国 2025年 アメリカ
上映時間 2:42
配給 ワーナー・ブラザース映画
映倫区分 PG12
原題 ONE BATTLE AFTER ANOTHER
監督・脚本 ポール・トーマス・アンダーソン
出演 レオナルド・ディカプリオ
ショーン・ペン
ベニチオ・デル・トロ
レジーナ・ホール
テヤナ・テイラー
チェイス・インフィニティ
ウッド・ハリス
アラナ・ハイム
:あつた美希
ライター:あつた美希/Miki Atsuta フリーライター、アロマコーディネーター、クレイセラピスト インストラクター/インタビュー記事、映画コメント、カルチャー全般のレビューなどを執筆。1996年から女性誌を中心に活動し、これまでに取材した人数は600人以上。近年は2015〜2018年に『25ans』にてカルチャーページを、2015〜2019年にフレグランスジャーナル社『アロマトピア』にて“シネマ・アロマ”を、2016〜2018年にプレジデント社『プレジデントウーマン』にてカルチャーページ「大人のスキマ時間」を連載。2018年よりハースト婦人画報社の季刊誌『リシェス』の“LIFESTYLE - NEWS”にてカルチャーを連載中。
XInstagram

記載内容は取材もしくは更新時の情報によるものです。商品の価格や取扱い・営業時間の変更等がございます。